第19話まだ見ぬ道の途中で
夕方四時。
窓の外では放課後の制服姿の生徒たちが歩き、オレンジ色の光が路地を染めている。
カラン、とドアベルが鳴った。
マスター小鳥遊は、ゆるやかに顔を上げて微笑んだ。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ。」
入ってきたのは、まだ制服を着た男子高校生。
肩にかけたカバンが重たそうで、靴の先を見つめたままカウンターに腰を下ろす。
しばし黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……ここ、相談……していいんですよね。」
「ええ、もちろん。コーヒーは初めてでしょうか?」
「……じゃあ、苦くないやつで……。」
「それなら、ミルクたっぷりのカフェオレをどうぞ。」
サイフォンの湯がぽこぽこと音を立てる。
少年は視線を落としながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……進路のこと、考えてるんですけど……。
進学するか、就職するか……どっちも、なんかピンと来なくて。
やりたいことなんて、特にないんです。
でも……なんとなくで選ぶのも嫌で……。」
マスターは静かに耳を傾け、カップをそっと差し出した。
湯気が立ち上り、ほんのり甘い香りが少年を包む。
「――やりたいことが見つからないと、選べない気がしますよね。」
「……はい。先生は“とりあえず進学しとけ”って言うけど……。
親は“早く働いたほうがいいんじゃない?”って言うし……。
……どっちも違う気がするんです。」
マスターはしばらく考えるように目を細め、やさしく語った。
「やりたいことが見つかるのは、歩き出した先のことも多いですよ。
どちらかを選んだ瞬間、すぐに答えが見つかるわけではなく、
その道の途中で、少しずつ“自分に合う景色”が見えてくるものです。」
少年はカップを見つめながら、小さく息をのむ。
「……でも、間違えたらどうしようって思うんです。」
「間違えたと思ったら、また別の道を探せばいいんですよ。
最初に選ぶ道が、すべてを決めるわけじゃありません。
あなたが“嫌だ”と思ったら、そのときに方向を変えることもできる。」
マスターはゆっくりと笑みを浮かべた。
「――だから、惰性で選ばないと思えているあなたなら、どちらを選んでも大丈夫。
大切なのは、選んだあとに、どう歩くかです。」
少年はしばし黙っていたが、やがてカフェオレを一口飲み、ふっと笑った。
「……なんか、少し楽になりました。
どっちか決めるんじゃなくて……選んでから考えてもいいんですね。」
「ええ。あなたの道ですから、あなたの歩幅で決めていいんです。」
少年はカップを飲み干し、鞄を肩にかけて席を立つ。
カラン、とドアベルが鳴り、オレンジの光の中へと背中が歩き出した。
カウンターの奥で、小鳥遊マスターは静かにカップを拭きながら、
窓の向こうの夕暮れを見やり、そっと呟く。
「――道は一つじゃない。
君の歩みが、きっと新しい景色を連れてくる。」
そしてまた、次のお客様を待ちながら、
やさしくミルのハンドルを回し始めた。
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