第3話 獣王の妃
突然にしかも立て続けて起きた展開がまだ上手く飲み込めない。エイラはなんだか気が抜けて椅子に腰を下ろした。
しがみついていたニーナがはっと我に返って、目を輝かせてエイラのほうを向く。
「姫様、これは夢じゃないですよね!」
「まさか本当にリズネシスの獣王が救ってくださるなんて」
「ダネスのあの悔しそうな顔といったら!」
ニーナは思い出して興奮している。それからすぐに張り切って荷物の整理を始めた。
といってもエイラの身の回りの物は本当に少なく、あっという間に終わってしまいそうだ。ここはアドルフの言った、最低限という言葉に目一杯甘えさせて貰うしかなかった。
僅かな荷物よりなにより、エイラとしては腹心の侍女であるニーナを連れていきたい。
少し時間をおいて、様子を見に来てくれたアドルフにそのことを提案する。駄目だと言われてもなんとか押し通すつもりだったが、彼はすんなり承諾してくれた。
コレルトからリズネシスの王城まではエイラにとってかなりの長旅だった。
長時間どころか、馬車にさえほぼ乗ったことのなかったエイラは、進む景色を飽きることなく眺めて過ごした。
ある程度進んだところで馬車を降り国境を越える手続きをする。それから今度は船に乗って川を下っていく。下流まで下ったところでもう一度国境の確認をしてから、また馬車に乗り換えて移動する。
立場上ニーナは別の馬車に乗っている。エイラの乗る馬車にはアドルフが同乗していたが、彼はもっぱら本に目を通していることが多く、会話はあまりなかった。
しかし必要があると思った時には、興味深く景色を眺めているエイラにあれはどんな物かなど、説明をしてくれる。大国の王だけあってアドルフは博識だった。
エイラにとって初めての長旅だが、リズネシスの王都への旅路は順調に進んだ。
おそらくコレルトに来るときも同じような日程で、アドルフは来てくれたのだろう。これだけ長い期間を経て、王が自らコレルトを訪れてくれたことに深い感謝を感じる。
そうしてようやく、一行の視線の先にリズネシス城が現れた。
「見えるだろうエイラ姫、あれがリズネシス城だ」
アドルフに言われて外を見ると、そこにはコレルトの王城よりずっと堅固で大きな城がそびえていた。
目新しい景色ばかりの旅路はそれなりに楽しかった。
しかしこれからあんな広い場所で暮らしていくことを考えると、今更ながら不安が込み上げる。
「城へ入る前にひとつ言っておきたいことがある」
「はい、なんでしょうか」
真剣な表情で話を切り出したアドルフに、思わず背を正して座りなおす。
リズネシスの者にとって姫といってもコレルトは小国である。どこまで話しが通っているかは分からないが、歓迎されない可能性だってある。
「エイラ、城内での君の生活は、全面的に保障しよう」
「ありがとうございます、アドルフ陛下」
アドルフはそこでなにかを考えるようにエイラを見た。吸い込まれそうな魅力のある金色の瞳のなかに、エイラの姿が写っているような気がして何故か頬が火照る。
「だが、君が王妃としてすべきことはなにもない」
「えっ……、は、……い」
アドルフのその瞳はどこか冷ややかな印象へと変わっていた。
見間違いかと目を瞬かせたが、その表情は同じままだ。
視線と同じくらい冷ややかな声で告げられ、エイラは呆けた表情を取り繕えない。
それでも我に返ると、必死に声を出した。
「私のような、小国出身の無知な者には務まらないということでしょうか」
「そうではない、俺には他に妃はいない、君は王族の上に獣人の血を引いているから、城の者はそれなりに君を歓迎するだろう」
「それであれば」
確かに長く虐げられたエイラでは、教養や経験に乏しい。この大国で王妃としてアドルフを支えられるかと言われたら、いまは自信もない。
それでも、エイラを救ってくれたアドルフの力になりたいという気持ちはある。
その機会も貰えないのか。
気落ちしそうになるエイラへとどめを刺すように、アドルフは冷たい声で言い放った。
「俺が、君と慣れあい愛し合うつもりは一切ない、ということだ」
冷ややかな視線は、確かに想いが込められていないとわかる。
あくまでエイラは、コレルト王への義理で助け妃とした。そこにアドルフのからの希望や想いは含まれていないということだろう。
「わかりました、ご迷惑にならないよう努めます」
肩を落としてそう答えるのがやっとだった。
そこからは会話など一切なく、アドルフの表情と同じくらい冷ややかな空気のまま馬車はリズネシスの王城へと入った。
王が戻ったとあって、出迎えは相応に豪華だった。
おそらく国の重責を担っている貴族や騎士、アドルフ以外の王族などもいるのだろう。
アドルフに同行してコレルトを訪れていた侍従や騎士たちでさえ多いと思っていた。それなのに、ずらりと並んだ人の多さにエイラはさっそく目が回りそうだ。
「おかえりなさいませ、陛下」
「ああ、いま戻った」
エイラが腰を抜かしそうになりながら馬車から降りたところで、一番前にいた男が口を開いた。
アドルフと同じくらい背が高く体格はさらにがっちりとして腕もとりわけ太い。青黒い髪から耳が出ているのが見えるからやはり獣人だろう。
「不在の間、大事はなかったか?」
「ああ、まったく平穏でつまらねえ、少しくらいなにかあった方が楽しいってもんだ」
そう言って低い声で笑っている男は、口調からしてアドルフにごく近い者なのだろう。
確かに髪の色や耳の形など共通点は見られる。
「いい加減そういう考えは自重しろ、ランドン」
「わかっておりますよ、陛下」
エイラは馬車から降りたところ、アドルフの数歩後方で静かにその様子を見ていた。
先程、すべきことはないと冷たく言われたばかりなので、どうも居心地が悪い。ニーナを乗せた馬車は、荷物などとともに別の場所に降ろされたらしい。
心細く思いながら立っていると、アドルフがちらりと振り返ってエイラを見た。
挨拶をしたほうがいいのだろうか。緊張しながらも彼の言葉を一旦待つ。
ランドンと呼ばれた男も、そこでようやくエイラに気が付いたらしい。鋭い視線が好奇心を織り交ぜながらエイラのほうを向く。ぎらりとした鋭い視線にぞわりと言い表せない恐怖が走った。
しかしそこでアドルフが立ち姿勢を変えたので、エイラへ向けられる視線は遮られる。
「なんだ陛下、俺に紹介もなしかよ」
「ランドン、お前ではどうも役が違うな」
「ああ? どういうことだよ」
アドルフは周囲に視線を巡らせると、やや大きく声を出して誰かを呼び出す。
「騎士オーティスはどこに!」
「はい、ここにおります、国王陛下」
ずらりと並んでいる人の間から、一人の騎士らしき青年が出てきた。
「オーティス、お前に頼みたいことがある」
「はい陛下、どういったことでしょうか」
「彼女、エイラ姫の部屋までの護衛と案内を頼めるか?」
そう言いながらようやくアドルフは、身体をずらしてエイラを紹介するように視線を動かした。
オーティスと呼ばれた騎士は、やはり青黒い髪で金の瞳をしている獣人だった。興味深そうに耳と目を動かしながらエイラを見ているが、眼差しは柔らかで怖さは感じない。
オーティスは、エイラを見てから視線をアドルフに戻す。
「この方がコレルトの王女君でしょうか?」
「ああ、エイラ姫だ、俺の妃に迎えた」
その言葉にざわざわとその場が騒めいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます