第2話 救いの手

 エイラの部屋の扉は、開かずの扉のようなものだ。

 なにせ日に数回、ニーナのみが出入りを許されるだけ。少なくとも、母が亡くなり父も病に伏せってからはずっとそう思って暮らしていた。


 城に務めるものは誰もエイラを庇おうとしなかった。みな宰相であるダネスを恐れていたし、獣人であるエイラを厭っていたから。


「あー、怖がらせるつもりはないんだ、が……」


 扉を開けさせたのは目の前に立っているリズネシスから訪れたらしき青年だろう。

 彼は言葉を区切ってぐるりと部屋を眺めた。それからまた視線をエイラへと向ける。

 思わずさきほど獣化していたときの視線を思い出す。見ていたことはばれていないだろうし、それがエイラに結びつくこともないと思いたい。


 しかしなぜか彼に見られるだけで、胸のあたりがどきどきと落ち着かない。


「ダネス殿、俺の聞いた状況とはだいぶ違うようだが」


 青年の視線が鋭さを帯びて後ろへと向いた。斜め後ろ向きではあるが、威圧と迫力の込められた鋭い視線だということがわかる。


 視線の先で立っていたダネスは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。国の宰相ともあろう男が、もっと繕うべき表情があるだろう。エイラでさえ思わずそう思ってしまう苦々しさだ。


「アドルフ陛下、いいいくら貴方といえど、他国でこのような勝手な振る舞い、許されると思ってい」

「王からの親書は見せたはずだ。それに貴様こそなんの権利があって、エイラ姫にこの仕打ちを強いているのかの説明を願おう」

「ひぃっ!」


 咆哮が聞こえそうな勢いで、獣人の青年がダネスの言葉を遮る。びりびりと空気が震えるような声は、全てを威圧するようなとびきりの迫力があった。

 ダネスは顔色を変えて恐怖に表情が引き攣っている。


 もしかしてニーナが言った通りになったのかもしれない。まさかエイラをこの境遇から救い出してくれるのだろうか。


 青年はまたゆっくりと部屋の中へと視線を向けた。威圧の込められた鋭い視線がエイラのほうを向く。


「エイラ姫ですね」

「は、はい、私がエイラです」

「俺の名はアドルフという、……リズネシスという国で王をしている」


 リズネシスの獣王! エイラは咄嗟に叫びそうな声を飲み込んだし、しがみついているニーナはびくりと大きく震えたところから固まってしまった。


 アドルフは勝手に部屋に立ち入ることもなく、扉から一歩進んだところで片膝をついた姿勢を取った。高かった視線がぐっと低くなる。

 此方を見る瞳は変わらず真剣で厳しい。それでも視線は近いほうが話しやすいと彼なりの配慮をしてくれたのかもしれない。


「貴国の王から、姫との縁談を持ちかけられていた、そのことは知っていますか?」


 縁談とはエイラが知っているような、あの男女の結婚とかそういう意味の縁談だろうか。

 今日まで数年間、虐げられていた生活に変化はなかった。当然そんな話を持ち込むような者はいない。


「知らないです、初めて聞きました」

「……そうか」


 エイラは今年で十九だ。そういう話を受けるのに早くはないし、遅いわけでもない。アドルフは年上に見えるが、そこまで大きく離れていないようにも見える。

 エイラは姫とはいえ虐げられてきた。それにコレルトは北の小国で、普通ならリズネシスの王と釣り合うような立場ではない。


 アドルフは真っ直ぐエイラを見つめたまま告げた。


「今ここで俺の妻となると答えれば、姫をここから助けることができる」


 後ろでダネスが喚いている。なにを勝手なことを! そう叫んでいるが、勝手をしていたのはどちらかというとダネスのほうだ。


 アドルフは、エイラの父王から縁談を持ち掛けられたと言っていた。


「あの、王は……お父様は?」

「これからもう一度確かめるが、おそらくもう……」


 もう何年も会っていなかった。微かな記憶では、妃である母のことを誰よりも愛していた良き父だった。

 病床にいながらもエイラのことを案じ、ダネスの目を盗んでリズネシスのアドルフに話を持ちかけてくれたのだろうか。そしてアドルフもその父の意志を汲んで使いなどではなく、直接この国に来てくれた。

 ならばそのアドルフと父の想いを信じるしかない。


 エイラは一度口を引き結んでから、真っ直ぐアドルフを見た。


「わかりましたアドルフ陛下、コレルト王女エイラは貴方のもとに嫁ぎます」

「承知した」


 はっきりと頷いて見せると、アドルフは僅かに表情を緩ませて笑みを見せた。本当に僅かな表情の変化だったが、それが彼なりの優しさだとエイラには感じる。


 アドルフは立ち上がるとくるりと振り向きダネスを睨むように見下ろして告げた。


「話はまとまった、姫は俺のもとへ嫁ぐ」

「そ、そんな勝手な話がまかり通るとでもっ」

「異論は認めない、リズネシスとこの大陸の獣人を敵にしたいのなら受けよう」

「ぐっ」


 威圧の込められた視線で睨まれれば、ダネスといえどそれ以上は何も言えず黙った。忌々しそうにエイラを見ようとしたが、すぐにアドルフが遮るように立ち塞がったのでそれも出来ない。そのまま踵を返し、逃げるようにその場から離れていった。


 ダネスが去ると、アドルフはもう一度エイラのほうを向く。視線がゆっくりと動き、エイラの頭の上にふたつある獣人特有の耳を見たところで止まる。


「エイラ姫は、獣人なのか?」

「はい、母が混血でした、私はその血が濃く出たようです」


 ワンピースの中で尾が揺れているのが分かる。この国に生きるなら普通の人として生まれたかったと憧れることはあったが、それでも獣人や母が憎いとは思わない。


「なるほど、コレルト王はそれで俺に話を持ちかけたのか」

「あの、私はこれからどうしたらいいのでしょうか」


 国を越えた婚儀なら、本来ならばエイラやコレルト側で準備を整えなければならないことも多いだろう。大国であるリズネシスの王に嫁ぐのに、まさか着の身着のままという訳にはいかないということくらいはわかる。

 しかし長く幽閉されていたエイラは、今のこの国のことを良く知らないし、取り計らえるだけの人脈もない。自由にできる金銭や財産なども当然持っていなかった。


 そのことが言い出しづらいとエイラが思っていると、先にアドルフが提案してくれた。


「姫の安全上、このまま日を改めさせてもらうということは出来ないだろう」

「はい」

「必要なものは全て国に戻ってからこちらで用意させる、だから最低限の物だけ持って一緒に来て欲しい」

「アドルフ陛下と一緒に、このままリズネシスへ行く、ということですか?」

「そうだ、急なことで申し訳ない」


 最低限の物といっても実は持ち出すものなどほとんどない。しいて言えば母の形見と父から譲り受けた思い出の物くらいだろう。

 エイラはそれらを整理する時間を少しだけ貰うことにした。


「では少し経ったら迎えに来る、護衛としてうちの騎士を残していくから、力仕事などがあるときは遠慮なく使ってくれ」

「ありがとうございます」


 アドルフはまた僅かながらも優しい笑みを返してから行ってしまった。彼の言葉通りリズネシスから同行しているらしい騎士が扉の外に二人ほど残ってくれたようだ。


 それから部屋の扉は一旦閉められたが、閂が掛けられる音は聞こえなかった。

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