第41話


「ねえ、開けて。ここは暗いわ。早く開けてよ、乃亜ちゃん」

「お姉ちゃん開けてよ。意地悪しないで、あーけーて!」


 『開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて……』


 2人の声が、壊れたオーディオの様に部屋に響く。頭が痛くなってきた。

 しかし、乃亜は聞いているうちに恐怖よりも怒りの感情が湧いてきた。

「嘘つき! どうせ偽物でしょ! 本物だって言うなら姿を見せてみなさいよ!」


 しばらくの静寂が続いた後、くすくす笑う声が聞こえた。

「……いいよ、お姉ちゃん。全く疑り深いなあ」

「本当に。一体、誰に似たんだろうねぇ? 仕方がないから、見せてあげるわ」


 画面にノイズが走り、一瞬暗転した後、2人の姿が映った。眼球が白く混濁し、皮膚が腐り落ちて歯茎が剥き出しになった、腐った人間の成れの果てだった。



 乃亜が悲鳴を上げた瞬間、何かが破裂する音がして、部屋の照明が消えた。リビングは、暗闇に包まれた。


 しかし、次第に怜司と羽川、カリナ姿が浮かび上がる。柔らかい光が所々で光り、部屋を照らし出している。


「……行灯を用意しておいて正解でしたね」

「さっすが、羽川さん!」

 カリナが声を上げた。

「家具に足でも引っ掛けて転んでる間にやられたら、間抜け過ぎるからな」

 怜司は不敵に笑った。


 玄関の方からバン! と勢い良くドアが開く音が聞こえた。

「来やがったな! おい、配置につけ!」


 足音を立てずに羽川とカリナが素早く移動する。

「乃亜ぁぁぁぁぁ、いるのはわかっているよおおおぉぉぉぉぉぉ!」

「おねえちゃあん、早く死んでよぅ!」


 2人の死人が、唸りながら廊下を進んでくる。歩くたびにぐちゃぐちゃと、何か液体を踏むような音が聞こえてきた。


 死人がリビングのドアに手をかけた時。

 シャン、と鈴の音が聞こえた。廊下に貼られた札が青白く光り、札を踏んだ死者の足に青い炎が燃え上がった。


 死人達がうめき声を上げる。しかし、下半身が燃えながらも、前のめりでドアノブを掴むと、倒れるように扉を開いた。

 羽川が更に両手に持った鈴を鳴らすと、炎は勢いを増し、死人の全身を包んだ。青い炎とともに、死者の姿は跡形も無く燃え尽きる。


「すごい……羽川さん、こんな事もできたんですね」

 乃亜が呆然と呟く。

「あまり気が進みませんが、今回は特別です。次のレースの種銭が無いので」

「……そうですか」


「乃亜、お前は下がってろ! 次が来るぞ!」

 開け放たれたドアの向こう、玄関のドアがあるべきところには、黒い液体をかき混ぜた様な渦が巻いていた。


「玄関の外はどうなっているんですか!?」

「絶対にあそこから逃げようとするんじゃねえぞ! もう『森』に繋がっちまってる!」


 渦の中から、更に人影が現れた。背の高い男と、太った男、それから地面を這う女が迫ってくる。


 羽川が鈴を鳴らすと先頭の背の高い男が燃え上がる。しかし、太った男と四つん這いの女は、倒れた男を踏みつけて、構わずリビングに入って来た。


「……いっぺんに来られるとまずいですね。そろそろ事前に仕掛けていた札が尽きます」


「そこ、邪魔です!」


 太った男の前に、カリナが割って入った。自分の左腕を上げ、右手のナイフで手首を真横に切り裂く。

 一瞬の間をおいて、手首から勢いよく血が吹き出し、太った男と、這いつくばった女に降りかかった。

 2人の死人は声を上げて悶え出すと、その場で仰向けに倒れ、やがて溶けるように地面に消えた。

 

「いつ見てもすごいですね、松島さんの血は。亡者にとってはまさに毒婦ですね」

 羽川が淡々と呟く。

「……それって褒めてるんですか?」

「もちろんです」


 乃亜は、怜司の話を思い出した。カリナは生まれ付きの特異体質なのだと言う。

 カリナの遠い先祖に、死者を喰らう霊獣と交わった者がいて、時折その子孫に特異体質が発現するのだと言う。

 その血は亡者にとって猛毒そのもので、大抵の亡者は浴びただけで消滅するらしい。その上、カリナは血液が多い体質で、多少の出血はものともしない。本人は、その体質が嬉しくはないようだが。

 

「次が来てるぞ! 少し下がれ!」

 次々と黒い人影が渦から這い出て、こちらを目指してくる。羽川が廊下に貼った札は、すでに効力を失ったようだ。

 玲司はテーブルを倒して、簡易的なバリケードにした。


 カリナが次々と死人に血を浴びせる。しかし、リビングに次々と死人が入ってくると、次第に追いつかなくなってきた。

 カリナが掴みかかってきた死人に血を浴びせたが、その後ろに別な死人が近づいていた。テーブルを押しのけ、カリナに手を伸ばす。


「松島、危ねえ!」

 怜司が手の平から光の刃を出し、亡者の脇腹に突き立てた。亡者が悲鳴を上げる。しかし、死人はすぐに怒りの表情を浮かべて怜司に組み付いた。大きく口を開けて、怜司に襲いかかる。


「ちょっ、やべえって!」

 亡者の顔面に、札が押しつけられた。鈴の音と共に亡者が青白く燃え上がる。

「大丈夫ですか?」

 羽川が声をかけた。

「お、おう。サンキュ」


「柊木さん、あれを見てください!!」

 カリナの声に、皆がリビングの入り口を振り返る。

 


 5人の人影が立っていた。性別、身長もバラバラで、首にロープを巻いてお互いを結んでいる。5人で円陣を組むように並んでいた。足は床から浮いている。


 薄暗い明かりに照らされたその者達は、一様に赤黒い顔で俯いている。手前の作業着をを着た男の右手の親指は無かった。


「来たぜ! こいつらが今回の元凶だ!」

 5人の亡者は顔を上げた。蛆の湧いた白濁した目に、怒りの形相を見せている。

 『死ね……死ね……死ね!』

 口は開いていないのに、呪いの念が頭に伝わって来る。


 カリナが羽川の背後から飛び出し、作業着の男に血液ををかけた。男の顔は焼けただれ、呻き声をあげる。しかし、他の死人のように消滅することは無く、カリナを掴もうと腕を伸ばした。カリナは素早く後ろに下がった。


「私の血が効かない……?」

「……おそらく、この5人は呪術的に結び付いています。個別撃破は難しいのかと」

 羽川が淡々と呟く。

「まとめてやらないと駄目ってこと!?」


「おい! 乃亜は下がれ! 念のためにアレを見張ってろ!」

「は、はい!」

 乃亜は振り返ると奥の部屋へ向かった。


 寝室のドアに貼られた札は破れ、ドアが開いていた。中で、首が伸びた男の幽霊の姿が見えた。クローゼットの中で震えている。侵入者に怯えているのだろう。乃亜は無視して書斎に入った。


 退路を確認しようと、ベランダのカーテンを開ける。しかし、予想外の光景に乃亜は呆然とした。

「な、何これ?」


 窓の外には、巨大な赤い月が浮かび、視界を完全に遮っていた。クレーターまではっきりと見える。

 ベランダの窓を開けようとしたが、鍵が微動だにしない。

 こちらからも逃げられない、ということか。


 乃亜は、書斎の机の上の『手』を見た。札が巻きつけられた『手』は、微かに動いている。


 本来の持ち主が来たから……? 

 怜司は見張っていろと言ったが、これが奴らの手に渡ったら、今よりまずいことになるのだろうか?



 5人の死人は、徐々に怜司達に迫って来ていた。

 羽川が、前にいた女に札を貼り付けても、やはり全員が燃えることはない。

「柊木さん、ロープを切ってください!」

「任せろ!」

 怜司が死人の首に巻きついたロープを光の刃で切ったが、そのロープはすぐに元通りに繋がった。


「くそっ、駄目かよ!」

 作業着の男が、怜司の首を両手で掴んで絞め上げる。

「が……っ!」

 怜司の体が地面から浮いた。


 カリナが頬を膨らませると、5人に向かって口から血液を霧のように吹き付ける。

 男が怯んだ隙に、怜司は亡者の腕を切り付け、何とか逃れた。


「……助かったぜ」

「れも、わらひ、そろそろ限界れす……」

 カリナが口から血を流しながら言った。舌を噛んだのだろう。いくら血液が多いとはいえ、流血した量が多すぎる。



「みんな、もう少し下がれ!」


 怜司の声を合図にカリナ達が後ろに下がり、死人達が部屋の真ん中に来た時。


 天井から大きな爆発音が鳴り、5人の頭に赤い液体が降り注いだ。亡者達が悲鳴を上げ、悶え苦しむ。

 更に、5人の回りを囲むように床に貼られた札が青白く燃え上がり、死人は残らず燃え上がった。


 やがて、5人の亡者はその場にくずおれた。

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