オルゼとクロワットの為の再びミックスフライ

 年老いた夫婦が、システィーナで旅行をしていた。毅然とした顔をした亭主のオルゼが鐘楼台を見つめながら、妻のクロワットに囁くように言った。

「今まで苦労をかけたな……」

 普段であれば着る事のないベージュの背広を翻し、オルゼは口元の髭へ手をやる。オルゼの目に僅かな涙が浮かんでいる事に気がついたクロワットは、柔和に微笑み言葉を返した。

「あなたらしくもない、あなたの妻になると決めた時から、私は苦労と思った事はございません」

「そうか……」

 オルゼは泣きたかった。本心はこの通行量溢れるところで、誰にも憚られること無く泣きたかった。

 でも、そんな事をすれば、妻を逆に苦しめる事になるだろう。毅然とした態度で振る舞う事が、自分にできる最大の敬意なのだ。

 クロワットも着た事のない、灰色を基調としたドレススタイル身を包み、僅かに戸惑いつつオルゼを見て柔和な笑みを絶やすことはない。

 生まれも育ちもクロワットと同じ、ベリーヌ村。画家を目指すオルゼの元に悪友がやってきてクロワットを紹介したのは今から三七年前

 オルゼとつきあい始め、クロワットが彼と結婚したのは数年後。とても結婚式とは言えない寂れた結婚式だったけど、オルゼとクロワットはそれでも嬉しかった。

 子供も生まれたが、決して裕福な生活とは言えなかった。でもそれから十年の時が流れオルゼの作品が世の中に認められてくるようになった。

 貴族様に絵を頼まれるようにもなった。そして国の重役にも。オルゼでは気の利かない事も全てクロワットが気を利かしやってくれた。

 オルゼの背後には必ずクロワット。そんな二人三脚で歩んできた人生。クロワットはいつでも、どんな時でも自分の事を先に考える人間ではなかった。

 自分の人生はオルゼのためにあると言っても過言ではないという生き方。それが当たり前の事だとオルゼは思っていなかった。

 そうしてくれる妻に感謝し、オルゼも最高の作品を作り上げるようになった。

 その中でもオルゼが誰にも譲らない作品があった。

 それは、妻という者。という最高傑作と言える作品である。数十年妻を見て来て、描いた何気ない絵だったが、心安らぎ、尚且つその上で鋭いタッチで描かれる絵は、見た者を魅了した。

「あの、絵もお前が居たから描けた」

「本当に、私なんかがモデルでよかったのかしら」

「なにを言う。お前がモデルないと書けん」

 らしくない事を言ってしまってオルゼは赤面しそうになった。でも今のうちに伝えたい事を伝えなければならない。

 夫婦水入らずの旅に出かけようと言ったのはオルゼからだった。なぜオルゼがそう言ったのかクロワット自体も痛い程に解っているので、微笑みながら、はいと言った。

 夫婦水入らずで旅行をしたのは、一体何年ぶりだろうか。この王都を選んだのは自宅から距離があまり遠くないからであった。

 王都で見れるところは見て、旅行を楽しんだ夫婦。でもオルゼは、楽しむ妻を見てただただ泣きたかったのだ。

 でも決してそんな弱みを見せる事はオルゼはしない。そんな事をされる事もクロワットも望んではいない。

 クロワットにとって、オルゼはかけがえのない偉大な騎士なのだから。

「そう言えば、腹は減ったか?」

「私ですか?」

「意外、誰がおる」

「あなたは?」

「お前の事を聴いている。先ほどゴンドラ乗りの少女達に聴いたところ、この王都には凄まじい腕の料理人がおる事をお前も聴いたはずだ」

「そうですね。王都で旅をした記念になにか食べましょうか?」

「そうだな。名前は確か……」

「ラ・ラファエルですよあなた」

「そうだったな」

 オルゼは髭に手を置いて、納得するように相槌を打った。ゴンドラを乗り継ぎ丁度オルゼとクロワットは中央左辺地区へ降り立っていた。

 王城からカーン、カーンという鐘が鳴る音が響く。そんな王城を遠目で見てクロワットはその美しさから吐息を漏らした。

 一方オルゼが先を見やると、ラ・ラファエルという看板が見えた。どうやら相当人気があるらしく、客が出たり入ったりを繰り返している。

「クロワット、人混みの中は平気か?」

「まだ、大丈夫です」

 オルゼはクロワットの体を労るようにして聴いたが、クロワットはその顔から柔和な笑みを消すことはなく、首を縦に振った。

「そうか。ではあの店に行こうか」

「そうしましょう。最高の料理を食べて、最高の思い出にしましょう」

「そうだな」

 そう言いながらクロワットは白髪交じりの髪を風で靡かせながら、夫のオルゼに従うのだった。

 門扉のドアが開き、カランカランとお客様の到来を告げる合図がなる。現在の勘定台には客は居ない。ルクソワールは作業をしている手を止めて、お客を迎えるための挨拶をする。

「いらっしゃいませ。お二人様でよろしいでしょうか?」

 立ち上がり深くお礼をしたルクソワールに、オルゼはうむと首を縦に振る。空いている席はあそこかと確認し、ルクソワールはオルゼ達を空席へと案内する。

 オルゼはちらりとルクソワールへ目をやると、気遣うようにクロワットへ目をやった。オルゼの視線を受けても、クロワットは気にしないで、といった目線を向けてくる。

「幼い頃から働いているのねえ。感心だわ」

 席へ案内している最中に、クロワットがフランカを見ながらルクソワールへ話を振ってきた。

「ありがとうございます。えへ」

「でも大変じゃない?」

「いえ、目を離せない人がいるのと、好きだからやっているので楽しいぐらいです」

「そう。うふふ。なんだか昔の私を思い出します、ねえあなた」

「ごほん」

「私たち、今日旅行でここの来たのよ。とても素敵な都ね」

「私も初めてここに来た時感激しました」

「あら、じゃあここの出身じゃないの?」

 クロワットは口元へ手を置きながら、訊いてきたが、ルクソワールは厨房ですっと手を上げた霧島を見ると、くすりと笑いながら言った。

「店主と一緒にここに来ました。あの子もそうなんですよ」

 話を聴いていたのか、フランカがクロワットに向けて深くお辞儀をする。

「あの子は?」

 厨房で霧島の手伝いをしているモモの事を、クロワットが興味深そうに訊いた。女性が厨房へ入ることは珍しいこの時代。女子が賢明に厨房で作業をしているのには興味がわく。

「モモさんは、将来お菓子職人になるらしいです。生まれも育ちも王都です。お昼と空き時間はお菓子を作っているんですよ」

「へー、お菓子ですか。誰かに師事しているんですか?」

「店主にございます」

 クロワットとオルゼが座りながら訊いてきたのを聴いて、ルクソワールは我が事のように胸を張ってこう付け加える。

「店主は味見味付けとか、デザインであるとか、そうした今後の指針もモモさんに指導してます」

「忙しい人なのね」

「好きらしいので」

「彼をサポートをするのが大変そうね」

「私ですか?」

 そうよと、クロワットが言うのを聴いて、ルクソワールは何度か首を横に振ると照れた。

「店主の仕事のサポートですとか、他諸々の事をするのが楽しいので、大変と思った事はありません。えへ」

 本当に昔の自分を見ているようでクロワットは心が躍る。だからこんな言葉が口から漏れ出る。

「ねえ、あなた昔の私を見ているようで、心が躍るわね」

「ご、ごほん。話はここまでにして、早く料理を頼んでみようではないか」

「そうですね。あなたはなにを食べますか?」

「お前に任せる。体調に無理のない物をな」

「解っています。でも、折角こんな素敵な店に来たのだから、最高の物を食べてみたいわ」

「でも、お前……」

「いいのよ。お嬢さん。私は魚介類が好きなの。それで私が食べた事のないような素敵でそして思い出になるようなお食事をお願いできないかしら。我が儘かもしれないけど」

「とんでもございません。ご旅行の記念になる素敵なお料理を店主に作るようにけしかけます」

「うふふ、ありがとうね」

 ルクソワールはフランカの代わりに注文を聴いて、厨房で一休憩を吐いた霧島へオーダーを伝えにいく。

「キリシマさん」

「うん?」

「魚介類で最高の料理を作ってください」

「へ?」

「だから。向こうにおられるご夫婦さんが、旅行にいらっしたんです。そこで思い出になるような素敵でおいしい魚介類の料理を食べたいと」

「最高の魚介類は生に限るんだけどね、どちらかと言えば」

「生はどうでしょうか?」

 ルクソワールの言葉に、オルゼは首を横へ振った。どうやら生ものはいけないらしい。というか生もの自体食べた事がないので、正直クロワットに食べさせる訳にはいかない。食べるのならば自分が先だ。

「火を通した物にしてほしい」

 オルゼの声を聴いて、やっぱりこの世界の人は生ものは駄目なのか、と霧島は考えると、素材のうまさを引き出せ、更には素材時代の旨さも味わえるあれで行こうと決めた。

 手が掛かる料理な訳ではない。だがシンプルだからこそ、この料理は旨いと霧島は思っている。

「お任せを」

 霧島は柔和に微笑みオルゼとクロワットに深く一礼すると、料理の準備を始めるのだった。クロワットは柔和な笑みを浮かべて、オルゼへこう言った。

「海の幸には私たちの思い出が詰まっているわね」

「そうだな」

「最初にあなたがプレゼントしてくれた料理も、海の幸だったわね」

「もう三六年前にもなるか……」

「そうね。あの時は本当に嬉しかったわ。うふふ」

「……」

 ルクソワールはそんな夫婦の会話を聴きながら、いいなあと思う。私もこんな風な夫婦になってみたいと、ちらりと霧島を見てしまった自分に気がついた。

「……ううん、違うもん。違うもん」

 何度か首を振って謎の言葉を言う彼女を見て、クロワットは若いっていいわねえと態と聞こえるように言うのだから困ったものだ。

 厨房で霧島は微かに聞こえてきた会話に首を傾げながら料理を作り始める。霧島は4匹のかなり大ぶりな海老を取り出すと、素早く皮を剥き、包丁で尾の先を削いだ。

皮を剥くとぷるっぷるの感触がその手に伝わり霧島は満足げな表情を浮かべた。

 白みがかったその身は、さながら真珠のようで綺麗だと、隣で作業をしているモモは思い、ふうー、と大きな惚れ声を漏らした。

 先ほど下準備を済ませた綺麗なピンク色のホタテと海老を銀皿の上へ置き、軽く塩を振った。

「さてと次は」

 と霧島は呟くと、保管庫の中に入っている大鍋を取り出し、大鍋に入っているクリームを二人分取り分ける準備をする。大鍋の中身をレードルで掬うと、白の絨毯がとろりと糸を引き、小鍋の中へ具材と共に滴り落ちていく。

 この具材の中身はカニクリームコロッケのクリームだ。バターと小麦粉、牛乳を加え、加減の良いように良く煮込まれた物で、具材はカニ、マッシュルール、タマネギである。タマネギとマッシュルールは1㎝弱でスライスされ食べやすいようになっている。その上へカニを入れ、よくとろ火で炒められた物だ。

 霧島はその鍋を竈の上へ置くと、火を灯した。暫く温めると、クリーミーで濃厚な香りが溢れ出す。

 タマネギの甘い香りと、牛乳のふくよかな香り、そして僅かなカニの澄んだ香りにクロワットとオルゼは互いの顔を見合わせる。

「なんの香りなのか、これは」

「嗅いだことのない、心温まる香り。ああ、これはミルクの香りじゃない?」

 そしてクロワットは昔を思い出す。オルゼと共に牛の乳搾りをしていた時の事を。お金が無いときはそんな事をしながら生計を立てていた時もあった。

 懐かしい、なにもかもが懐かしい。なにもなかったけど、楽しいと思わせてくれたオルゼにクロワットは深い感謝をする。

 ついつい、涙は見せないと思っていたのに、目頭に涙が浮かぶのを止められない。クロワットは、一度目を瞑ると、心の中でこう思った。

(もう少し、あなたと居たいけど、でもこれが世界の秩序なのよね。人間は誰しも通る道だから)

「どうした?」

「いいえ。良い香りだと思って感激しただけです」

「そうか」

 亭主のオルゼは分かっていた。今の妻の顔は心の中で泣いている顔だと。伊達に長年連れ添ってきた訳ではない。

「昔、金がなかった頃を思い出すな。お前と乳搾りしていたな」

「そうですね。とても楽しかったです」

「あれがか?」

「そうですよ、お金がなくてもあなたと苦楽を共にした事が、私にとってはかけがえのない思いでなの」

「……」

 軽労働ではない。重労働なのだ。それなのにこれほどまで人を引きつける澄み渡った顔をしながら話すクロワットが眩しかった。

 クロワットにとってオルゼが騎士ならば、オルゼにとっては歴戦の戦を共にくぐり抜けてきた姫。

 もっとも、姫と思わせる生活をさせたことなどないがと、オルゼは思った。

「お金で買えない幸せもあるでしょう。それが私にとっては、あなたとの思い出よ」

「そうか……」

 その言葉だけでありがたかった。今度はオルゼの目頭が熱くなってくる。こんな純粋で素敵な妻が自分の元に居てくれただけで幸せな事だった。

「いいなあ。私もあんな素敵なご夫婦になりたいわ」

 勘定台で黙々と作業をしているルクソワールへ、フランカが腰に手を当てながら言うのを聴いて、でもとルクソワールはこんな言葉を付け加えた。

「でも、なにか寂しい感じがするのよ。温かい空気に混じって」

「言われてみれば……」

 確かにそんな感じがすると、姉に言われて気が付いたフランカ。ではその雰囲気を出させる原因がなんにあるのか、そんな事は分かるわけもない。

 その頃霧島は、とろっとろになったクリームをへらで伸ばしながら、しっかりと混ぜ込んでいた。

 ふつふつという音と泡沫を立てて、クリームが鍋の中で対流をし始める。

 もったりとした所で霧島は火を止める。白の蒸気が上がり、その香りと熱気が厨房へ溢れた。

 霧島は、このクリームを保存庫ではなく。直接闇の鉱石を用いて、魔法で固め急速に冷やしていく。

「さてと次は」

 霧島は裁いたエビとホタテに目をやりながら、ボールを取り出した。更にウィルソン製の新鮮な卵を取り出し、割るとボールへ落とした。

 綺麗に立った黄身が、白身と完全に別れ、綺麗な目玉になっている。そんな卵に菜箸を入れると、素早くかき回し始めた。

 かき混ぜる事によって、黄金色の卵液へと変わり、菜箸を浮かせると、とろりと粘液をボールへ落とした。

 霧島は素早く別のボールを取り出すと、その中へ小麦粉を入れた。若干の粉が空中を舞い、ボールの中で綺麗な白の砂漠を描いた。

 更に別のボールの中へ小麦粉を入れると、霧島は素早く別の作業へと移った。

エビとホタテにその純白な小麦粉をまぶし、そして黄金の卵液の中へ通す。よく絡んだのを見て、霧島はエビとホタテにしっかりと小麦粉をまぶす。

更に急速冷却された、クリームをレードルで掬うと手でしっかりと丸めていく。丸い団子状になった具材に小麦粉をまぶし、卵液へ通すと、しっかりとパン粉を付けた。

「よし」

 霧島は掛け声を出すと、竈に鍋を乗せ、その中へ油を慎重に注いでいく。竈に火を付け、その油を適温まで熱すると、僅かな泡沫を浮かばせた。

 油の中へ卵液を落とし。温度を確かめる。どうやら180℃辺りになっている事が、卵液の浮かび具合で分かった。

「では、メインいきますか」

 霧島はその鍋の中へ、エビ、ホタテ、カニクリームを惜しげもなくふんだんに投下していく。

 油という海の中で、優雅に踊り始める具材。じゅわりと衣が揚がる軽やかな音がし、それに伴うように食欲がそそる香りへと変化していく。

 白の衣装が、油で熱せられる事によって、こんがりとした狐色へ変化し、油の中で小躍りするように踊りながら浮き始めてきた。

 じゅわ、しゅわわ、という小気味のいい音がモモの耳に入り、そういえばお昼なにを食べようかなと食事の事を考えはじめるぐらいだ。

 霧島はその感に素早くキャベツを千切りにし、白磁の皿へ盛りつけていく。

 二,三分経った辺りだろうか、身が油からしっかりと浮かぶのを見て、長年の感でここが引き上げるポイントだと思い、フライ達を引き上げていく。

 フライが引き上げられる事によって、フライからぽたりと油が滴り、油の海の中へぽちょんという音を立てながら滴が落ちていく。

 銀皿の上へ置かれた紙の上へフライ達を置くと、霧島はしっかりと油を切っていく。熱の余韻なのか、フライの上で湯気を立てながらぱちぱちという音を響かせて浮かぶ泡沫。

 綺麗な狐色だと霧島は思い、首を縦に振ると、二人分のフライを白磁の皿へ乗せていく。

 緑の大草原を彷彿とさせるキャベツの上へ乗っかる、海のお姫様達。そのお姫様の上へ霧島はふんだんに自家製のタルタルソースをかけた。

 緑、狐色、白色のタルタルソースが見事なまでに調和し、一つのアートになっている。

 更にタルタルソースにはパンだろう。霧島は朝から焼いている自家製のパンを別皿へ乗せると、お冷やと共にトレイに乗せた。

「できたよー、フランカちゃん」

「はーい」

 ルクソワールとの談義などとうに終わっているフランカ。彼女は食べていった客の皿を片付けながら返事をする。

「よいしょっと」

 フランカはトレイに皿を乗せながら、霧島の元へと歩んでくる。食器を厨房へ戻すと、霧島から料理を受け取り、軽快なリズムで、できたてのミックスフライをオルゼとクロワットの元へと運んだ。

 見たこともない、狐色のなにか。オルゼとクロワットは首を傾げた。とても良い香りだ。その食欲をそそる香りが、オルゼの喉を鳴らした。

 説明する為に霧島がやってくる。深く一礼すると、霧島はオルゼとクロワットへ言った。

「本日はミックスフライにしてみました」

「ミックスフライとは?」

 霧島の説明にクロワットは首を傾げながら聴いてくる。霧島はその問いかけに柔和に微笑み説明を続ける。

「洋食の定番なのですが、エビ、そしてホタテ、カニなどを調理し油で揚げた物を言います。油で揚げても、存分に海の幸が味わえる優れものというべきでしょうか?」

「なるほど。私にはワインを貰えるかな」

「グラスはお二人分でよろしいでしょうか」

「ああ、頼む」

「了解いたしました」

 霧島はそういうと一度厨房へ戻り、この料理に合う最適のワインを持って来た。

「お待たせいたしました」

「いやいや、最初から言うべきだったな」

「とんでもございません」

 オルゼは少し笑いながら霧島へ言ったが、霧島は逆に恐縮してしまい、テーブルに頭をぶつける勢いで頭を下げた。

 オルゼはクロワットのグラスへワインを注ぐと、自分のグラスにもワインを注いだ。

「それでは頂きましょうか、あなた」

「そうだな」

 クロワットはエビフライにフォークを当て、ナイフで切り込みを入れる。衣がさくっとしており、ナイフを当てる事によって抵抗を見せる。

「中々いい歯ごたえ」

 衣が反発する余韻を残しつつ、ナイフを深く入れるとエビがぷるんとした抵抗を見せた。

 揚げられる事によって、透き通った白から乳白色の色へと変わるエビ。尻尾も赤くなり、華麗ともいえる色彩になっている。

 綺麗な白色のタルタルソースを切り取ったエビへ絡めて、クロワットは口へと運んだ。

 その感触に彼女は驚いた。噛むことによって、さくりとし、香ばしい香りがする衣が最初にクロワットの口の中を包み込んだ。

「はぐっ……」

 更に深く噛み勧めると、エビのぷるんとした感触が後に伝わる。コクがあり甘く、そして薫り高い味がする。

「……」

 タルタルソースの酸味のある、甘くて深く、そしてまろやかな味がエビを包み込み、互いの味が深く絡み合い、引き立てる役目をする。

 昔、旦那であるオルゼが焼いてくれたエビを思い出す。なんの味付けもなく網の上で豪快に焼いたエビだったが、それでも忘れられない味だった。

 深い麦わら帽子を被ったオルゼの若き日の姿を思い出す。

「はぐ……うぐっ……」

 駄目だ。泣いてしまう。このエビがオルゼとの楽しかった生活を思い出させる。でもそんな余韻と素晴らしい味に長く触れたくて、クロワットは深く噛みしめてしまう。

「……えぐっ……」

「……」

 泣きそうになっているクロワットにオルゼは目線を向けると深い息を吐いた。何故泣きたいのか、妻のその気持ちが旦那であるオルゼ意外に分かる訳もない。

 クロワットはナイフとフォークをホタテに持って行くと、切り分けていく。衣を裂くと、弾力のある身が姿を現す。白く、こんな時でなければ飛びつきたい程に食欲をそそる形をしている。じゅわりと表面からささやかな油が浮かび、湯気と共に磯の香りを鼻腔へと運んでくる。

「はぐっ……」

 ナイフで切り取ったホタテを口の中へ運ぶ。磯の香りと、それを引き立たせる甘さ、そして僅かに歯ごたえを感じさせる感触が伝わる。

 おいしいのに、涙が出そうになる。近所の漁師に分けてもらったといい、料理をしてくれたオルゼを思い出す。自分が縫い直した、お世辞にも綺麗とは言えないシャツを着ていた。

「……ぐす……」

 思い出せば出すほどに、駄目だ。騎士の前では従者は泣いてはいけないのだ。味わうように食べて、カニクリームコロッケへ手を伸ばした。

 衣が覆っていて中身が分かるわけもない。ナイフを入れると、中から具材を生かしたふんだんな湯気を上げていた。野菜、牛乳などがまろやかに絡み合いなんとも言えないふくよかな香りが鼻腔を満たす。

 とろりとクリーミーな白の絨毯が衣から溢れるように漏れ出てくる。クロワットはカニクリームコロッケを口の中へ運ぶと、野菜と牛乳に旨く絡まったカニの甘く、そしてそれもさることながら甘美な味が口内を満たした。

 そのコロッケが口の中でとろりと溶け、優しく体を労るようだった。昔、オルゼが少し売れるようになってから、美味しい物があると言って食べさせてくれたカニを思い出す。

 もう、クロワットにとって我慢の限界だった。そんなクロワットの悲壮な顔を見て、オルゼは肩に手を置き、子供をあやすように撫でる。

「ああああああああっ――!」

「ど、どうなされたのですか!?」

 泣いたクロワットに驚いたのか霧島が厨房で作業をしている手を止めて、席へと小走りに駆け寄ってきた。モモは心配そうにカウンターから顔を覗かせ、ルクソワールとフランカも小走りに駆け寄ってくる。

 店の中にいるお客さんでさえも、何事かと見始める。オルゼはクロワットに立つように促すと、霧島に少しいいかな? と話を振った。

 そのオルゼの顔も泣きそうな顔であり、泣いてしまった経緯を霧島へ話そうとしているのが分かった。

 どうやらただ事ではない事を気が付いた霧島はルクソワールとフランカにこう言った。

「二人は店の中にいてほしい」

「でも」

「おねえ、霧島に任せよう」

 自分たちでなにかできるのであればしたい気持ちがあった二人。でも果たして自分たちで深い話を解決できるのか分からない。

 だからこそフランカは、食の魔術師である霧島に任せる事にした。三人は門扉を潜って外に出ると、青空を眺めるようにして涙を流したオルゼがこう囁くように呟いた。

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