第29話 鎮火
沈丁花の首魁を討った。その事実がわずかな安堵をもたらすも、すぐに桜夜と伊織は刹那に
「増美たちはそのままみんな連れて山降りろ! ボクと桜夜ちゃんで蓮夜くんを元に戻す」
伊織は後方で仲間の救護に回っていた増美や第四部隊の隊長に指示を下す。
「でも、伊織たちもその状態じゃ――」
「いいから早く行け! これは副長命令や」
ここまで切羽詰まった声音は聞いたことがない。それが増美たちの心を焦燥へと駆り立てるが、
増美たちは首肯し、部下たちに下山するよう呼びかけた。
「蓮夜くんも気絶させれば元に戻るん?」
「戻るが、今の蓮夜には寧子様の〈無空〉が施されている。私たちの攻撃はすべて弾かれてしまう」
「え、じゃあ詰んだやん」
「いや、一つだけ方法がある」
桜夜は懐から大きめの数珠型腕輪を取り出した。昔、柳夜がまだ生きていた時に蓮夜に万が一のことがあればと託されていたものだ。
「この呪具を蓮夜の手首にはめれば龍の力は再封印されて蓮夜は眠りにつく。ただ……」
「ただ?」
「完全変化から十分も経てば体力が尽きて蓮夜は死ぬ」
「ちょっと待って。蓮夜くん完全変化してからもう五分以上は経ってるけど」
「ああ。だからあと二、三分のうちにこれを蓮夜の手首にはめなければもう後はない」
一秒たりとも無駄にはできない最後の戦い。
現状の厳しさを瞬時に理解した伊織は、黒龍に向かって疾駆した。
「何するつもりだ!」
「ボクが蓮夜くんの気ぃ引きつけて足止めする。その隙に桜夜ちゃんは腕輪をつけて!」
「そんなことしたらお前が――」
桜夜の制止を振り切って伊織は黒龍の頭部に向けて〈銀旋風〉を放った。
黒龍はぎろりと伊織を睥睨した。
「ボクと一緒に遊ぼか。蓮夜くん」
それに応えるかのように黒龍は叫号し、伊織に向かって尖鋭な牙を剥く。寸前まで引きつけた後、伊織は大きく跳躍して黒龍の頭部に飛び乗った。そのまま頭部を踏み台にしてさらに空を翔け、暗黒の背に着地する。
当然、黒龍は伊織を振り払おうと激しく暴れる。だが、伊織は満身創痍ながらも卓越した体幹と敏捷性を活かし、舞うように飛翔と羽休めを繰り返した。
「すごい……」
疲弊してもなお傑出した体術を見せる伊織に感嘆しつつ、桜夜も黒龍に近づいてタイミングを見計らう。
そこで伊織が周囲を焼きつくす業火に向かって再び〈銀旋風〉を放った。風圧で業火が裂けたところを狙い、今度は黒龍の血眼めがけて業火を吹き飛ばす。
己の業火が双眸を焼いた。そう認識した黒龍は刹那に動きを止めて悶える。
〈無空〉という鉄壁の防御があるため負傷こそしないものの、自我を失っている黒龍にそれを把握する術はない。それゆえ負傷したと錯覚し、
「桜夜ちゃん!」
うまく黒龍の動きを止めてくれた伊織に感謝し、桜夜は勢いよく地を蹴って弟の変わり果てた手へと己のそれを伸ばす。
「蓮夜」
痛いね。苦しいね。
「ごめんね。もう大丈夫だから」
姉ちゃんが今、助けてあげるから。
「だからもう、帰ろう」
儚い微笑をたたえながらそう言い聞かせ、桜夜は瞬時にごつごつとした右手首に呪具をはめた。すると数珠が淡く光り、縛りつけるように蓮夜の手首をきつく締め上げた。
再封印による影響か、それとも呪縛の痛みによるものか。黒龍はこれまで以上に痛烈な咆哮を天に向かって轟かせた。
神籟が天地を揺るがした後、黒龍は頽れてその場に伏す。同時に業火も消えて焼け野原となった焦土だけが残った。
「蓮夜!」
桜夜と伊織が駆け寄ると、黒龍の鱗が剥がれ落ちて次第に人の姿へと移り変わる。桜夜は元に戻った蓮夜を抱きかかえ、心拍を確認した。
かなり弱いが、心臓は確かに動いている。
「良かった……」
ほっと安堵の息を弱く吐くと、視界が揺らいで雫が両頬を伝った。
「蓮夜……!」
昏睡する弟を苦しめないようそっと抱きしめ、桜夜は忍び泣いた。
一命をとりとめた蓮夜に伊織も脱力し、仰向けになって倒れた。
「やっと終わった……」
もう立てん、と大きく嘆息し、静かに瞑目する。
しばらくすると部下たちを退避させた増美と第四部隊隊長が帰還し、すぐに伊織たちを連れて親兵局へと
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