第28話 神々の死戦

 淡い恋情が業火に焼かれて灰燼と化す。増美のみならず桜夜と伊織も酷薄な光景を目の当たりにし、ますますどうしようもない虚脱感に見舞われた。


「好いた人間に裏切られ、その絶望に怒り狂い、かの者を殺める。やはり邪神の血は争えねえな」


 幹部たちが総じて敗したにもかかわらず、依然として嵐慶は沈着とした姿勢を崩さない。


「そして、怒りと憎しみの業火に焼かれて己も死ぬ」


 この世で最も残忍な男は嘲笑う。


「なんとまあ滑稽で哀れな最期か」


 嵐慶の一瞥が己の奥底に眠る瞋恚を叩き起こし、気づけば桜夜は〈懸河〉で急接近していた。

 〈水牙〉が鍛えられた肉体に噛みつかんとする。殺生の躊躇いなどなかった。

 ただただこの男が憎い。亡き者にしなければ。そんな義務感が迷いを打ち払い、無我夢中で刀を振るった。

 だが、嵐慶は神混じりの猛攻をすべていなし、負けじと神威を放つ。


「〈松柏之寿しょうはくのじゅ〉」


 嵐慶が地面を抉り斬るかのように逆袈裟すると、神力を帯びた斬撃に沿って壮麗な松と柏の木々が林立した。

 嵐慶が一閃するたびに雄々しい松柏が翠緑の威光を放つ。やがて松毬まつかさが落ちては駒のように回転しながら桜夜を襲う。また柏葉も散って手裏剣のように葉先を尖らせ、松毬の手助けに入った。


「〈早瀬〉!」


 捨て身の覚悟で松毬と柏葉の乱舞を突っ切り、松柏の木々を斬り倒していく。


「〈黒風〉!」


 伊織もまた桜夜の援護に徹し、広範囲の放出神技を打破した。

 視界が開けたところで、桜夜の心臓が強く波打った。


「え……」


 嫌だ。ここで落ちるわけにはいかない。

 自分はまだ、やらなければならないことを成し遂げていない。


 ――こんなところで終わるわけには……!


 闇への誘いに抵抗するように歯を食いしばる。だが、予想に反して自身の意識が絶たれることはなかった。

 暗黒から水縹へと移り変わり、鱗も剥がれ落ちていく。軽く感じていた体も、人間に戻ったことと負傷の影響で鉛のように重く感じられた。だが何よりも――


「気絶しない……」


 邪神を討ち倒したからだろうか。蛇女の力こそ失ったものの、意識を保ち続けることができた。

 気を失ってしまえばそれが最期。嵐慶に首を刎ねられ、蓮夜の死も必然となる。最悪の事態を免れたのは僥倖でしかない。


「〈懸河〉!」


 この好機を逃すまいと、重苦しい体躯を叱咤し、最速の一刀を閃かせる。


「さっきより遅くなっているぞ」


 だが、人の形を模したもう一人の化け物は軽々と一閃を受け止めた。


「いい加減、地獄へ逝け」



龍驤りゅうじょうノ木〉



 〈水牙〉を弾き飛ばしたところで、嵐慶は再び〈緑爪〉の切っ先を地面に突き刺した。すると濃密な神力を注がれた地から木龍が目覚め、天に昇った。


 強靭な顎や胴部はごつごつとした幹で構築され、頭部から背にかけて生えている雄々しい鬣は生い茂ったしいの花葉で形作られている。まるで木神である青龍が憑依したかのように、椎の巨木は低い地響きの如き霊妙な神籟を轟かせた。


 ――〈龍驤ノ木〉! 初めて見た。


 嵐慶の奥義である神技。噂には聞いていたが、実物を目にするのは初めてだった。

 〈龍驤ノ木〉は大きく口を開けて、無数の堅果を解き放つ。茶色い団栗どんぐりの乱射はさながら弾丸の雨のよう。足元が炎土と化している今、避けきるのは至難の業だ。一瞬とはいえ〈水牙〉を新たに創成している間にも堅果が己を貫く。


「くっ!」


 〈滝つ瀬・鯉遊泳〉で加速しつつ、急流に乗って神技をすんでのところで回避する。だが、避けたところで嵐慶が接近し桜夜の腹部を斬りつける。

 呻き声とともに第二の刃が振り下ろされると、漆黒の両翼が桜夜を救った。


「しぶてえ奴だな」

「それはこっちの台詞や。もうあんたの時代は終わったっていうのに、いまだに往生際悪くかつての栄光に縋って」


 見苦しいわ、と伊織は凶刃を払いのける。


「すまない」

「いいや。部下を助けるんは上司の特権やから」


 伊織は気丈に笑むが、その様相には隠しきれない疲労の色が滲み出ていた。

 先ほどの〈葦牙〉で全身に裂傷を負ったことで出血が凄まじい。紅葉や他の幹部たちとの連戦を経たうえで立っているのが不思議なくらいだ。


 ――伊織も長くはもたない。


 嵐慶との間合いが確保されたところで、桜夜は〈水牙〉を創成し体勢を整える。そこで黒龍の雄叫びが鼓膜をつんざき、嵐慶と〈龍驤ノ木〉に業火が迫った。


 嵐慶は舌打ちし、業火から距離をとる。その隙を見逃さず、桜夜は〈水牙〉を肉薄させるがやはり〈緑爪〉で防がれてしまう。だが、伊織が〈黒翼〉で二連撃を繰り出すとその一撃がかの者の二の腕を裂いた。

 かすかな手ごたえを感じるや否や、伊織は間断おかずに神技を差し向ける。


「〈風切羽〉!」

「〈水打〉!」


 桜夜も畳みかける。幸運なことに黒龍の業火も嵐慶に集中し、やがて〈龍驤ノ木〉すらも〈業火〉の神威に敵わず崩壊した。龍樹は黒炭からやがて灰燼と成り果て、空を舞う火の粉に抱かれては消えた。

 流石の嵐慶も三柱の神々による猛攻をたった一人ではいなせない。〈風切羽〉は叩き斬ったものの、その間に〈水打〉が腹部に食いこみ、左腕は業火に焼かれた。ここでようやく彼の表情が痛苦に歪む。


「桜夜ちゃん」

「ああ」


 この一振りで決着をつける。だが――


 ――これを放てば、神技はもう使えない。


 なぜならこの奥義は今ある神力をすべて消費する。最後の切り札だ。

 本当は蓮夜の鎮静のためにとっておきたかった。だが、嵐慶を追い詰めたこの好機を逃すわけにはいかない。

 その強い信念のもと、両者は同時に神器を振り薙いだ。



「〈暁鴉ノ風〉」

「〈王蛇おうじゃノ水〉」



 暁風が形作る大鴉と滂沱の清水によって生み出された王蛇。桜夜たちの丈を優に上回る巨神たちは凄絶な神籟をあげながら嵐慶へと猛進した。


 彼もまた〈龍驤ノ木〉を再誕させて迎撃に徹するが、燃え盛る炎土と焦熱が木神の動きを鈍くさせる。そして為す術なく暁鴉と王蛇によって穿たれ、嵐慶もまた神々の突進によって後方へと吹き飛ばされた。


 赤いものを口から繁吹かせながら宙を舞い、やがて勢いよく地面へと落下する。だが、運悪くそこは地獄の業火の上だった。

 だが、身を焼かれる痛みよりも断罪の執念と治世の渇望が勝る。


「死ねない!」


 あの娘をこの手で断罪し、邪魔者を駆逐して自身の天下を取り戻すまでは。


「オレはまだやれるッ! やらなきゃいけねえんだ!」


 もがき、足掻くも業火は己を蝕み、その野望ごと溶かしていく。


「あああああああああああああ―――ッ‼」


 凄絶な断末魔とともに、最後の将軍は骨だけをおいて地獄の深淵へと逝った。

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