第11話 危機との遭遇・1
抽選を通過したナイジェルとフレデリコは、マイヒ・メル中央署の会議室に座っていた。
目の前には、警察庁の制服に身を包んだ若い警官たちが数人。
若い警官たちの真剣な表情が、会議室の空気を引き締めていく。
学生たちも自然と背筋を伸ばし始めていた。
「おはようございます。ようこそマイヒ・メル中央署へ。
特別講義の責任者を務めます、ニール・ウィグナー警部です」
声の主は、二十代半ばほどの青年だった。
背が高く、短い黒髪と澄んだ青い瞳が目を引く。
ナイジェルはその姓に聞き覚えがあった。
──警察庁長官、ランディー・ウィグナー伯爵。
父子なのかもしれない。胸の奥にひとつの懸念が灯る。
評判は高潔でも、息子への扱いとなれば別だ。
貴族の横暴を見慣れて育ったナイジェルには、名門の名はまず疑ってかかる対象だった。
「一日目の今日は、まず制服に着替えてから、事前に配布された教材を用いた簡単な講義を受けてもらいます。
午後からは、ヘリによる警らにご同行いただく予定です。
……ん?ああ、警らとは防犯活動の一つで、今回は空からの巡回ですね」
警部は隣の警官に促され、説明を付け加える。
制服が支給されたのは一昨日。
その採寸と同時に、採血も行われた。
健康診断と同じ形式で、説明によれば健康状態の確認と、犯罪履歴との照合を目的としたものだったという。
「二日目は巡宙艦に乗船し、宇宙空間での警察業務を見学していただきます」
学生たちの間から、待ちきれないとばかりに拍手が沸いた。
ニール・ウィグナー警部はそれを咎めることなく、若者の素直な感情の発露を微笑ましく眺めているようだった。
「楽しみにしてくれて何よりです。ただ、安全が最優先です。
指示に従えない場合は、参加をご遠慮いただくことになります。ご注意ください」
淡々とした口調ながらも、その視線は鋭く、会議室をぐるりと見渡す。
ナイジェルと目が合うと、ニールはふっと目元を緩めた。
何かあったのだろうかとナイジェルが訝しさを覚えるほどに、温かなまなざしだった。
注意事項を一通り伝え終えると、ニールは退室し、残された若手警官たちが段取りを引き継いで動き出す。
フレデリコがナイジェルの耳元に顔を寄せ、小声で言った。
「ウィグナー長官って伯爵様だろ?
それなのに、息子を警部止まりにしてるって、偉くないか?」
ナイジェルは意外だった。貴族という点で身構えていた自分との違いに、内心で苦笑する。
「……なんかさ、ナイジェルとあのウィグナー警部、似てない?
顔がいいからか。……くそ、滅べ」
フレデリコは拳を握り締めたり開いたり、呪いの儀式のような動作を繰り返している。
ナイジェルはそれに目もくれず、制服を手に取った。
「フレデリコ、何してるの」
「呪いをかけてる」
ナイジェルは返答に詰まり、無言のまま袖口に指を通した。
視線は、いつのまにか会議室の出口を捉えていた。
「急がないと、置いていかれるよ」
「おおっと! 制服!
そうそう、これだよ、この制服を着てみたかったんだよな!」
フレデリコが勢いよく立ち上がる。
はしゃぐ笑顔を横目に、ナイジェルは制服の前ボタンに手をかけた。
――似ている、か。
声が、父に似ている。穏やかで、芯のあるあの響き。
在りし日の声が耳の奥に蘇り、話し方も、後ろ姿も、相似図形が回転して重なり合った。
気づけばボタンを留める指先が、胸元で止まっていた。
午前の講義は、どちらかと言えば市民向けの啓蒙に近い内容だった。
「私人逮捕は無理に踏み切らないでください。特に、相手が貴族やその関係者と思われる場合は、人目に触れない場所へ退避してから通報を。……恥知らずな貴族もいて、報復や意趣返しを仕掛けてくることがあります。貴族の私が言うのも何ですが」
ウィグナー警部はさらりと口にしたが、その目には複雑な色が滲んでいた。
「もっとも、首都星に限って言えば、貴族はおとなしいものです。怖い方が三人と、国王陛下がいらっしゃいますからね」
「怖い方」とは、おそらく法務卿、内務卿、財務卿の三名だろう。帝国の行政と治安を一手に司り、貴族でさえも一目置く重鎮である。
残り二人、軍務卿と航保卿は首都星系に常駐していない。
「講義は以上です。昼食の後、屋上ヘリポートへご案内します」
配られたのは、木製の東洋式弁当箱と冷えた飲み物。会議室の空気が徐々に和らぎ、大学の昼休みのような穏やかな時間が流れ始めた。
ナイジェルとフレデリコが弁当を食べながらヘリの話に花を咲かせていると、警部がコーヒー片手に近づいてきた。
「君たちは将来も宇宙工学の道を志すつもりかな?」
ナイジェルとフレデリコは顔を見合わせ、同時にうなずく。
「もちろんです。特に宇宙船やその構造に強く興味があります」
「造る方かい?それとも、乗る方かな?」
「乗る方ですね。僕は操縦にとても惹かれています」
少し熱を帯びた声で答えるフレデリコ。
操縦技術を学ぶために努力してきた彼だったが、まだ実地に触れる機会には恵まれていない。
宇宙船は高価で、小型練習機の類は存在しない。反重力なしの警備艇やシャトルの免許は簡単に取れるが、重力圏を自力脱出できず、「宇宙船」とは呼べない。
惑星から惑星へと、自力で渡航できるもの。それこそが本物の宇宙船だ。
「僕は、操縦も設計も両方に興味があります。とくに戦闘艦の設計について、深く学びたいです」
ナイジェルが初めて宇宙を旅したとき、護衛を務めていた軍艦に心を奪われた。美しく力強いその姿。
護られる貨客船と、護る軍艦――その構図は、ナイジェルにとってまさに英雄譚そのものだった。
「構造を知っていれば、操縦にも役立ちますからね」
ニールはカップに唇を当てたまま、そうだね、と湯気を揺らした。
「君たちは宇宙への夢を持っている。
警察庁の巡宙艦も、宇宙を駆ける船だ。今回の体験が何かのヒントになればいい」
ニールはそう言い、コーヒーを飲み干してカップを軽く掲げると、次の学生のもとへ歩みを進めた。
名目こそ警ら体験だったが、実際にはほとんど遊覧飛行に近いものだった。
ナイジェルとフレデリコは、生まれて初めてのヘリコプター体験に胸を躍らせ、窓の外に広がる景色に夢中で見入っていた。
王都マイヒ・メル。
どこか懐かしさを感じさせる建築群と、青く穏やかな海とが調和したその街並みは、上空から眺めるといっそう美しく見える。
「すっげぇ、ナイジェル!街が豆粒みたいに見えるぞ!」
「うん、本当に……。こんなふうに見えるんだね」
ナイジェルもまた、揺れる機体の中で身を支えながら、目を離せずにいた。
眼下に広がる街は、精緻に作られたミニチュア模型そのもので、すべてが愛らしく――その精密さゆえに、むしろ現実から切り離された感覚すら覚えた。
古びたレンガ色の建物、あれは自分の下宿かもしれないと思う。
毎朝アルバイトに通う喫茶店の屋根と、のんびり歩く看板猫の姿まで見えた。
地上からは遥かに感じられたヘリだが、ヘリの側から見下ろすと、意外なほど細かな様子まで見てとれるものなのだと、ナイジェルは小さく驚く。
「どうです? 想像していたより、よく見えるでしょう。
識別能力の高さも、ヘリならではです。
たとえば、パトカーの屋根に書かれた番号も、上空から読めるように設計されています」
この都は整然と区画され、広い通りが幾何学的に交差している。
王宮のほかにも、公園や庭園が街の随所に配され、緑が美しいアクセントを添えていた。
「王宮上空は、一部を除いて飛行禁止です。防犯というより、防衛上の理由ですね」
聖ブランダン宮殿――王宮は、マイヒ・メル市北東部、海に面した高台に築かれている。
白亜の本殿は王国の象徴とも言える建築で、王立大学と同じく、四代目国王ロゲール一世の治世に建造された由緒ある建物だ。
「王宮警備隊は警察庁の所属ですが、上空と貴賓用宇宙港は近衛軍の管轄です。
無断で侵入すれば……撃墜されても文句は言えませんね」
「君子、危うきに近寄らず」――いや、ここでは“君子に近づく方が危ない”か。
ヘリは王宮の周囲を大きく迂回するルートをとった。
警察庁のヘリは視界確保を重視し、窓が大きく設計されている。
足元ぎりぎりまでガラス張りであるから、自身が浮遊していると錯覚しそうだ。
「爆音さえなければなあ」
ローターの轟音に負けじと、フレデリコがぼやく。
「同感。俺、反重力装置の小型化を研究テーマにしようかな……」
浮遊感に引っ張られてか、ナイジェルの声も宙に滲んだ。
「小型化できれば、ローターも不要になりますからね」
操縦席の警官が応じる。
反重力装置は現状、最小でも体育館ほどの大きさがあり、重量も相当だ。
宇宙船にしか搭載できなかった。
「ただ、あまり小さくしすぎると厄介です。
車が好き勝手に空を飛ぶようになったら、航空管制官が倒れそうで」
管制だけでなく、警察の仕事も激増する。
そんな光景を思い浮かべたのか、警官の口元がへの字に曲がる。
「いつか、そんな日が来るんでしょうか?」
「もしかしたら。そこは、宇宙工学部の学生さんたちの腕の見せどころですね」
ヘリが旋回を終え、直進に戻る。
「さあ、そろそろ地上に戻りましょう」
機体が高度を下げはじめ、ナイジェルは眼下の街が再び近づいてくるのを感じた。
二日目は、巡宙艦の体験搭乗だ。
マイヒ・メル宇宙港へ向かうバスの中で、学生たちは口々に巡宙艦への期待を語り合っている。
隣のフレデリコの表情を見て、ナイジェルは自分もきっと、同じ顔をしているだろうと察した。
巡宙艦は、軍艦以上に搭乗の機会が限られている。軍艦なら、徴兵期間中に乗ることもあるが、巡宙艦はあくまで警察組織に所属する特殊な艦艇だ。警察官を目指さない限り、その内部に足を踏み入れることすら難しい。
犯罪者としてなら、乗る機会もある。
もっとも、そんな形で宇宙船に乗るのは御免こうむりたい――ナイジェルは、冗談のような想像を頭の中で打ち消した。
搭乗前の説明を聞いているうちに、バスは海底トンネルを抜けて宇宙港へと到着した。
「さて、皆さん。今日もよろしくお願いします」
昨日と同じく、ウィグナー警部が挨拶した。
「こちらが巡宙艦〈ブルージェイ〉です。
青くないのに、名前とのギャップを不思議に思われたかもしれませんね。
ブルージェイとはカラス科に属する小鳥です。
警察庁の宇宙船には、鳥の名前をつけることが慣例になっているんですよ」
艦体は白と黒に塗装されていて、確かに青の要素は見当たらない。
軍用ではないので兵装を減らし、代わりに索敵・通信機能を強化した船体構造となっている。
「改造は航宙保安省の工兵隊に依頼しています。
あそこは改造慣れしてますからね」
〈ブルージェイ〉に足をかけたナイジェルは、耳に飛び込んだ言葉に立ち止まった。
「航宙保安省……ですか?」
「何か気になることでも?」
怪訝な声でウィグナー警部が問い返す。
「あ、いえ。航宙保安省と警察庁はあまり仲が良くないのではないかと思っていましたから……」
「それはドラマの演出ですね。
実際にはあのように捜査を妨害しあったりしませんよ。
場合によっては、航宙保安省が地上で、警察庁が宇宙で捜査することもあります。
意外でしょう?」
ドラマの素材として便利なんでしょうね、と小さく警部が付け加えた。
「どんな場合ですか?」
ナイジェルは、あえて管轄を逆転させる理由が気になった。
「わかりやすい例だと、捕物が地上戦になる場合は航保に頼みます。
頼む前にイッカクが片をつけてることがほとんどですが」
軍への依頼も選択肢にはあるが、特に突入先が自治領内の場合は、手続きが煩雑になるため現実的ではない。
そもそも、軍の介入は名目がどうあれ領主の顔を潰すことになり、貴族の側からすれば極力避けたい状況だ。
加えて――「半殺しにするなら航宙保安省のほうが手慣れていて上手い」というのが、現場での共通認識らしく、軍もあまり乗り気ではないらしい。
「イッカク……?」
「ああ、イッカクというのは、第一から第三の旗艦――ローレライ級戦艦のことです。軍艦に詳しい方ならご存知でしょうが、いずれも艦首に角……いえ、衝角が備えられているんです。それで“イッカク”と」
タラップの先、陽光を受けた〈ブルージェイ〉の白黒の船体が静かに輝き、曲面に沿って光の帯が流れていた。
白と黒に塗り分けられた艦体が、空港施設のグレーの床面によく映える。
わずかに聞こえる補助電源の駆動音が、この艦が生きていることを示していた。
「シュレディンガー家の近衛部隊でしてね。荒事にはめっぽう強い。
軍備を備えた犯罪者が相手となれば、ほとんどの場合貴族絡みですから、航保卿自ら出向いています。
ジークリンデ――あ、いえ、シュレディンガー辺境伯が座乗するなら、必ずこの三隻のどれかになる。
だから我々の間では、“イッカクが先に片づけていた”なんて言い方をするんですよ。
それだけ迅速で、しかも容赦がない――航保卿が動くときは、もう結末が確定している、とね」
ナイジェルは再び、〈ブルージェイ〉に目をやった。
艦体をつたう光と影のコントラストが、妙に鮮やかに思えた。
「さあ、乗艦しましょうか。ようこそ、ブルージェイへ」
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