水鏡の映す未来

須藤淳

第1話

 幼い頃から、二人はいつも一緒だった。

 田舎町の小さな集落で育ち、家の裏手に広がる山々を駆け回る日々。


「ほら、志乃、早く!」

「ちょっと待ってよ、蒼ちゃん!そんなに急がないで!」


 お気に入りの場所は、山の奥深くにある湖。

 そこは『未来を映す水鏡』と呼ばれ、村の大人たちからは「心が乱れると見たくないものが映る」と言われ、立ち入りを禁止されていた場所であった。


「そんなの迷信だよな」

「ねえ、未来ってどんな感じで映るのかな?」

 二人が湖を覗き込むと、水面には数年後の自分たちの姿が揺らめいていた。


 ほんの少し背が伸び、服装が変わったくらいの違いだったが、それが楽しくて何度も湖を訪れた。


「うわっ、蒼ちゃんがかっこよくなってる!」

「お前もちゃんと女の子っぽくなってんじゃん!」


 無邪気に笑い合い、時には水をかけ合い、時には湖畔に寝転びながら未来の自分たちについて語り合った。


 何度も何度も見ていた未来は、ずっと変わらず「少し成長した自分たち」だった。


 だが、中学二年生の夏――。

 湖に映った二人の姿は、以前とは違っていた。


 湖に映るのは、高校生になった自分たち。

 今までと違い、その距離がやけに近い。

 水面の中の二人は、互いに見つめ合い、肩が触れ合うほどに寄り添っていた。


 そして――

 水鏡の中の自分たちは、手を繋いでいた。


「えっ……」

「……な、なんだこれ……」


 ドキン、と鼓動が跳ねる。


 今まで何気なく一緒にいたのに、この映像を見た途端、お互いの存在を意識してしまった。


 隣にいるのは、ずっと一緒に育ってきた幼馴染。

 なのに、湖の中の二人がまるで"恋人"のように映ることで、胸が熱くなるのを感じた。


「べ、別に……こうなるって決まったわけじゃないしな!」

「そ、そうだよね! たまたまこう映っただけかも!」


 無理に笑い合いながら、でもどこかぎこちない空気が流れる。

 帰り道、いつもなら何気なく並んで歩くのに、妙に意識して距離を取ってしまう。


 それからというもの、二人は互いを意識するようになった。

 ほんの些細な仕草にも心が揺れ、目が合うたびに妙な沈黙が生まれる。


 やがて高校生になった二人は、自然と付き合うようになった。

 付き合い始めた二人の関係は、それまでと何も変わらないようで、でも確実に甘いものへと変わっていった。


「志乃、手くらい繋げよ」

「え、恥ずかしいよ……!」

「湖では繋いでたのに?」

「……あれは未来の話じゃん……」


 恥ずかしがる志乃の手を蒼一がそっと握る。

 繋がった手があまりにも温かくて、指を絡めるのも少しずつ慣れていった。


 放課後、一緒に帰るのが当たり前になった。

 山のふもとの神社で、ぼんやりと夕日を眺めるのが好きだった。


「ねえ、私たちって、いつまでこうしていられるのかな?」

「……いつまでもだろ」

「……本当?」

「本当」


 赤色の夕日が、二人の影を伸ばしていく。

 何も疑うことなく、ただ二人の未来がずっと続くと思っていた――。


 高校三年生になると、進路の話が持ち上がるようになった。

 志乃は都会の大学を目指し、蒼一は地元に残ることを考えていた。

 今までは何もかも一緒だったのに、初めて別々の道を考えるようになった。


「ねえ……湖、久しぶりに行ってみない?」


 未来を映す湖。

 今の自分たちの未来は、一体どんなふうに映るのか。

 もし、このまま一緒にいられるなら、安心できるはず――。


 しかし――。


 水面に映ったのは、これまで見たこともない光景だった。

 蒼一の姿が、怪物のように歪んだ顔をしていた。

 志乃の姿は、水面から消えていた。


「……やだ、なにこれー!」

「なんだよ、この姿! こわっ!」


 怖がりながらも、冗談めかしてはしゃぐ二人。

 でも、胸の奥には、得体の知れない不安が残った。


 高校卒業後、二人は別々の道を歩むことになった。

 志乃は都会の大学へ進学し、蒼一は地元に残り林業の仕事を継いだ。


 遠距離恋愛になったものの、連絡を取り合いながら関係を続けていた。


 しかし、ある日――。

 志乃からの連絡が突然途絶えた。


 何度メッセージを送っても既読にならず、電話も繋がらない。

 嫌な予感がした蒼一は、彼女を探すために都会へ向かった。


 彼が辿り着いたのは、彼女が暮らしていたアパート。

 そこで彼は、信じがたい事実を知ることになる。


 彼女は、大学で知り合った友人に騙され、多額の借金を背負わされていた。

 返済できず、自由を奪われ、出口のない絶望の中で、命を落とした――。


「嘘だろ……なんで……?」


 頭が真っ白になり、足元が崩れ落ちるような感覚がした。

 湖に映った未来の映像が脳裏に蘇る。


 ――彼女の姿は消えていた。

 ――そして、自分は怪物になっていた。


「……全部、終わらせてやる」


 湖に映った怪物の未来。

 その意味を、彼は理解した。


 彼は静かに立ち上がり、夜の闇へと消えていった――。


《終》

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水鏡の映す未来 須藤淳 @nyotyutyotye

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