第6話:ゴールは間近だ

つたが体に……規夫、助けて!」


 デンジャラすごろくの終盤の出来事である。


 坂峯摩耶子の身体を、蔦が、腕や、太ももに、強く締め付けられて、身動きが取れなくなっていた。


 大嵐の家のなか、天井の雨雲から目に降りかかる水滴を袖で何度も拭いながら、どこからともなく鳴り響く太鼓の音を耳に聞き流しつつ、摩耶子の駒が止まったマスに書かれてあることをチェックした。


「蔦が体に絡まって、一回休みだって!?」


 最後の一マスを、そう書かれてあることに呻く。


 しかし、彼女が一回休みなら、二回も俺の駒を進められそうだ。お互いとも、気温の上下差や、吹き付ける雨風で疲労困憊していた。これ以上、十二歳の少女の体力を消耗させるわけにはいかない。自分たちの体力をもって、ゴールへ辿り着けるかは、サイコロの出た目の運次第になるだろう。


「俺は、一体どうすれば君を救えるんだ!?」


「……私のことはいいから、早くサイコロを振ってちょうだい」


「ああ、分かった……」


 摩耶子の言葉に、冷静さを取り戻しつつ、真剣に賽を振ることにした。家のなかの嵐の大雨が止む気配はなく、時折、雷までゴロゴロ音が鳴っている。


 彼女の投げたサイコロは、一という数字を示している。ゴールまで一歩手前のマスの数字だった。


 そのサイコロを拾い上げてから振って投げる。


「三だ」


 そこで、二本足の亀の銅像の駒が発進した。自動的に厚い紙面を滑るように、一マスずつ前進していく。


 そして、亀の駒は、指定のマスの上に止まった。そこに書かれてあることを読み上げた。


ひるに注意?」


 その途端、黒くて丸っぽい生き物が、肌のあちこちへ張り付いてくる。池沼・水田・湿地などに住み、他の動物へ吸着して血液を吸う環形動物かんけいどうぶつが、天井から何十匹も降ってきた。


「ひゃああ!」


「規夫、大丈夫!?」摩耶子は叫んだ。「あなたの番だからもう一回、サイコロを振って! ゴールは間近よ」


 その言葉に、いまのマス目の先をよく見て、ハッとした。四マス目で、ゴールへ辿り着ける。つまり、サイコロの出た目が、四以上なら、アガリになる。次のターンを、ゴール到達まで、半分の確率だ。


 残りの三マスに書かれてある内容をチェックした。


 一マス目、川へ流されて、フリダシに戻る。


 二マス目、雨風で消せたが、火は燃え広がる。


 三マス目、前述した通り、体に蔦が絡まって、一回休み。


「ロクなマスは一つも残らないじゃんかよ」


「規夫、蔦が痛くてつらい、早く、賽を投げて……」


 摩耶子の言葉尻が消えていく。雨風と蔦で、体力の限界が近いのを予感させる。


「分かった。ゴールは間近だ。この一振りに思いを込める。いくぞ!」


 無事にすごろくが終わるように祈りを込めて、賽は投げ、ボードの上を、サイコロは、転がってゆく。


 それはぴたりと止まった。サイコロの目が差す数字を、読み上げる。


「……四だ」


 そこから自分の亀の駒が、マスの上を滑ってゆく。駒は摩耶子のもとを通り越し、ゴールへ到着した。


「アガリだ」


 その瞬間、いくつかの変化が同時に起きる。


 太鼓の音が鳴り止み、摩耶子の身体は、蔦から解放された。


 雨が止み、彼女の家のなかを、鮮やかな虹が架かる。


 俺の体中の蛭は、一斉に、はがれていった。


「これで、終わりだな……」


「そうよ」摩耶子は言う。「このすごろくとの戦いに、打ち勝ったのよ」


 終わりの瞬間は、安心や満足感より、空虚感の気持ちのほうが優っている。本当はそのすごろくを、心から楽しんでいたのだ。


「摩耶子、俺がゴールに着くまで大変だったな」


「難しいすごろくね」摩耶子は言う。「もう一回やると言ったら、お断りするわよ」


「デンジャラすごろくのボードを、どっちで持っておく?」


「あなたのすごろくは、私のものとして、家のなかに置いておくわ」摩耶子は言う。「だから……、私がそのボードを管理するね」


「それは、もしかして……」


「約束通り、あなたとの将来の結婚を許すわ」摩耶子が言う。「先ほどまでの規夫の活躍は、素敵だったからね」


 蛭に噛まれているときの自分を振り返って、あれは本当に素敵かどうかなんて分からなかった。けれども、あの蔦から摩耶子を救いだすために、必死で賽を投げている俺の活躍の姿が、蔦に絡まれて余裕がない彼女の目には、頼もしく映ったのだろう。


「その約束を認めてくれて、ありがとう」


「ちゃんと、理想の彼氏になってね」


「うん、これから、俺は頑張るよ」


 そのとき、玄関のほうから明るい声が聞こえてきた。


「ただいまー」


 摩耶子の母親、坂峯美野里は、慌しく帰ってきた。


 摩耶子に顔を見合わせる。彼女は、青ざめた顔で何かを訴えているのだ。嫌な予感が当たる気もした。


 摩耶子の母親は、居間へ入ってくるなり、凍り付いたかのように動けなくなる。そこで、美野里は腕にぶら下げていた大量の買い物袋を落としてしまう。やがて、彼女の顔には、血の気が上ってきて、震える大声を張り上げた。


「どうして、家中、水浸しなのよ! これじゃ、家中、カビだらけになるでしょう! 摩耶子、一体何があったのだか、全て包み隠さずに、話しなさい!」

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