青木周蔵と英国貴族師弟に料理を振る舞おう
時間と場所は変わり、ある男が二人の貴族の子息を連れ立って東京見物に来ていた。男にとって二人を接待しもてなすという仕事は妥協を許されないことだった。男は相当な地位に居る人物だがそれでも貴族師弟の接待をしていた。いやむしろこの男にしかできない。男は英語が喋れて、更に外国人を扱う為の礼儀や作法を心得ていたので適任といえた。貴族師弟といえど、大英帝国様の貴族なので無礼な行動は許されない。
「青木」
男の名前は青木周蔵である。現明治政府外務次官であり、未来の一八九四年にアレキサンダー・フォン・シーボルトを通訳にして日英通商航海条約の改正を成功させた強者である。そんな青木は女性の言葉に恭しく頭を下げて返事をする。
「はい」
貴族の令嬢であるマーガレットは大英帝国の中でも有数の貴族に入る娘だった。マーガレットは現在の英国総領事館で面倒を見られている。ハーン・イルベルトの息子であるウルドは少しマーガレットを見やると、溜息を吐いた。
二人はこの国の勉強をしに日本へ来ていた。文化を勉強した方がなにかと役に立つであろうという考えであった。
マーガレットの年の頃は十五、六歳前後と想像できた。対するウルドも似たような年齢であった。マーガレットは麦色のストローハットに、ジゴ袖を織り交ぜたシュミーズドレスにリボン、そして赤の可愛い靴という洋風人形めいた格好をしていた。
その瞳は宝石のように澄んだ綺麗でマリンブルーの瞳の色をしており、やや大人びた顔をしている。眉目秀麗、清廉潔白ともいえる整った顔立ちをしており、鼻梁に赤の紅をつけた美しい唇。大人びた顔から垣間見られる成長途中でもある少女のような側面があることが、尚のこと彼女の色香と美しさを際立たせた。
身長は同学年の日本人と比較をすれば高い方ではないだろうか。マシュマロを彷彿とさせる白砂のような肌が見目も麗しい。すらりとしたスタイルに日本人にはない身長が特徴といえるだろう。
マーガレットは透き通るかのような金色の髪でウルドは黒髪であった。ウルドは整った顔を僅かに歪め、後ろで一つに結われている髪を触った。
「マーガレット」
マーガレットは腰まで伸びる艶やかな髪を風で流されてしまわないようにするとウルドへ言葉を返した。
「どうかされましたの、ウルド様?」
「休みだったのは仕方がないではないですか、これ以上青木を困らせても仕方がないでしょう」
「だってお腹が空いて仕方がないですわ」
「ははは、お気になさらずに」
青木は立派な髭を触りつつ、掛けている眼鏡を上に上げて余裕を保ったかのような表情をしたが、内心は酷く焦っていた。紺の背広を正しながら、今後のことをどうするかと考える。
今日の青木の誤算は今の会話に現れていた。今日青木を含む三人は東京見学の為に、散歩を行うことになった。時には馬車、時には人力車、そしてそれらの交通機関が入れない場所は徒歩でという様子で東京の各所を見て回り、ちょうどお腹も空いたお昼頃には食事を取る為に、中央街で予約をしてある洋食店に行く予定だった。
他愛もない談笑をして行きつけの店に辿り着いた三人。だが、店に到着して中に入ろうとしたが扉が開かない。青木は慌てて裏手に回り扉を叩くと、修行中の小僧が気怠そうな様子で出てきた。
「今日、予約をした青木だが、どうしてドアを閉めているんだね?」
「あ、そのー、チーフシェフもみんな風邪でやられちゃいまして、とてもまともな料理を作れる状態ではないとのことで店はお休みにしました」
そんなことは聞いていない青木。彼は慌てて小僧に問い詰めるようにして言った。
「ええ! それは困るよ。今日は大事なお客さん達を連れてくるからずっと前から予約をしてたんだよ、それなのに困るよ、こんなことをされたらー」
「そう言われましても、できないことはできないので」
青木の願いもむなしく、小僧は熱で浮かされたかのように額を押さえながら青木に向かって困った表情をする。
「そこをなんとか」
「……無理ですよ、私たちなんかの腕じゃ」
小僧が青木にそういうと無情にもバタリと扉を閉めた。青木が信頼する店は数少ない。更にこの明治ではそうそう何件もちゃんとした味とクオリティーを保っている洋食を出す店があるわけでもない。
「これは本当に困ったな……」
そうしたやりとりが行われたのが数十分前。そして今に話が移るわけだが、少し脳内で思考を巡らせていた青木はピンとなにかを思いついたかのように閃いたかのような表情をした。
「そういえば……この辺りは小野田君の家の近くだったな。台所も料理人もいるし、作って貰うか。訳の分からない店に行くより遙かにその方が安全だ」
青木は同じ歩幅に合わせて歩く二人に言葉を振る。青木の表情は先ほどとは打って変わり自信に満ちあふれていた。
「お腹が空きましたでしょうお二人とも。この青木、良い腹案ができました。きっとお腹が膨れることになるでしょう」
「本当にー?」
「はい、マーガレット様」
次官の青木といえど、英国総領事館から大事に面倒を見るようにと釘を刺されている二人に対して慇懃無礼な態度はとれない。
特にこのマーガレット嬢は気が強く、中々に気が抜けない相手であった。
「青木、別に無理をしなくても……」
逆に話が分かるのがウルドの方である。気が小さいのではなく。紳士的な少年だった。彼はマーガレットに対して注意じみたことを言った。
「マーガレット、あまり無理はいっちゃいけないよ」
「何を言っているのですか、ウルド様。私、お腹が空いてし仕方がありませんわ。ウルド様だってそうなんじゃないんですの?」
「確かにそうだが……」
確かにお腹が空いて仕方がないウルド。そんな二人を眺めて青木は微笑んだ。
「なに、安心されてください。今にお腹がいっぱいになりますので。この先に小野田邸がありましてな。私の部下の家なんですが、その家には西洋風の台所と、そして外国人の方のシェフがおられまして、これが結構な旨さなんですよ」
「小野田って……どこかで聞いたことあるような気がしますわね」
聞いていてもおかしくはない。今まさにこの件とは別の件で大英帝国の総領事館とは交渉段階に入ってるのだからと青木は思う。しかし、そんなことはこの若者達にはあまり関係のない話だった。だからこそうろ覚えなのだろう。
「マーガレット、知っているのかい?」
「いえ、どこかで聞いた気がするなと思いまして」
「はははっ、今はお気になさらずに」
青木は一度咳払いをすると、二人を連れ立って小野田邸に向かって歩き出した。中央街を抜け暫く歩くと雑木林などがある落ち着いた場所へ辿り着く。
澄んだ小川などが流れ、マーガレットは金色の髪へと手をやり、温かい吐息を吐く。空気が美味しく緑の清々しい香りがしたが、それではお腹は膨れない。やや紅葉がかってきた木々を眺めてからマーガレットは青木に疲れた表情を浮かべながら問いかけてきた。
「はあ、疲れた、まだなの、青木ぃ」
「もうすぐでございます。あそこに見えるのが小野田邸でして」
「まずは着いたらお水ね。喉が渇いて仕方がないわ」
「お水でもなんでもお出しできますので、今のうちに楽しみにしておいてください。ははっ……」
自信満々の笑顔を浮かべる青木。この日には間違いなく外国人料理人がいるし、料理人が働いている日には新鮮な材料が業者より手配され送られてくる筈だ。情報というより、良介から細かく聞いているのでこの情報に間違いはない筈だ。
暫く歩き、三人は小野田邸の門前へと着く。実のところ三人は疲れ果てていた。外国人街の別宅から二人を連れ出し、案内を始めたのが午前九時頃。それから三時間あまりは案内をして時間が経過していた。洋食屋が休店をしていることを知ったときに、別の代案を立ててホテルで食べるという選択肢もあったが、ホテルまでの道が良介の家とは逆方向でしかもかなり遠い。だからこそ一番近い小野田邸を思いついた形だ。
胸を撫で下ろした青木は案内するかのように二人を門の中へ入れ、中に居る使用人か家族を呼んだ。
「ごめんください。誰かおられませぬか。青木と申します」
暫く呼び続けると、使用人と瑠衣が玄関口に現れた。
「あ、可愛い日本人形みたいな子」
相手は英語で喋っている為に、瑠衣には理解できず首を傾げるだけだった。瑠衣を物珍しそうに見やるマーガレット。見知らぬ外国人の観察するような視線に瑠衣は怯えた。
でも、青木は、悪意がないことを伝える為に瑠衣に向かって通訳してそのままの意味を伝える。
「日本人形のように綺麗だと申されております」
青木の言葉に瑠衣は安堵の表情を浮かべた。
「は、はい、ありがとうございます。あ、青木様でよろしかったでしょうか?」
「おお、覚えてくださっていましたか」
青木は数は少ないが何度かこの家に来たことがある。その折りには家族にも挨拶を交わしていたので瑠衣は覚えていたのだろう。
「実はですね、お嬢さん」
「は、はい」
畏まった青木の言葉に聞いて瑠衣は頷く。青木は先を続けた。
「お話がありまして、この家に外国人の料理人の方がいるでしょう。是非その方に頼んでこのお二人に料理を作って欲しいのです。いやー、ここまで来るのになかなか疲れましてなー」
「あ、その、あのー」
「はい?」
そこで瑠衣の代わりに使用人の男性が焦った表情をしながら言葉を詰まらせるようにして返答をした。
「それが……青木様……」
「うん?」
「先ほど連絡がありまして、料理人の方が風邪を引いてお休みになられまして。高熱で立っていられなく、業務に大変な支障ありだそうでして。それで……」
この時点で青木は思わぬカウンターを食らった。目を見開き聞き返した。
「……そ、それは、ほ、本当か?」
「は、はい」
困り果てた表情を浮かべる使用人。青木の顔からは徐々に血の気が引いていった。幾ら西洋に渡った時に、医学を学ぶと言って政治や経済学を学んだり、他諸々やんちゃなことをした青木と言えど、流石に今回の件は肝が冷える。
(どうする……こんな無礼なことをしたことが総領事館に伝わると、どんな意見が来る……もしギザールの奴めの耳に入ったら……これはしまった!)
意見ではなく、正確に言えば、圧力といった方が正しいだろう。日本語が分からない二人は青木の様子を眺めてから、こんな言葉を掛けてきた。
「まだですの? 青木?」
「は、はい、もうちょっとお待ちくださいませ」
何がお待ちくださいなのだろうかと青木は自分に問いかけたくなった。青木は二人の顔を見て引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
その頃、鳴海と苺も丁度門前に到着した。なにやら門前に近くに近づくと玄関先の様子が騒がしいことに気がついた。
鳴海と苺が視線を合わせて玄関を見やると、そこには青木とマーガレット、ウルドの三人の姿が窺えた。そんな三人を迎えているのは使用人の男性と瑠衣ということが判った。
「ん、誰だろう……」
鳴海の疑問口調に苺が言葉を返す。苺は顎に指を起きながら少し考えた後に、鳴海に説明をする。
「あの方は青木様だと思います。父様の上司の方の筈です。でも残りのお二人はどうみても外国人の方ですよね?」
「う、うん」
そこで鳴海は考えた。自分の記憶の底からデータを引き釣り出す。
(外務省の上司で青木……眼鏡に髭とあの顔は……まさかな、青木周蔵じゃないのか……)
その青木が苺の下へ歩んでくる。かなり焦った様子であることが窺えた。
「おおお、よく帰られた。苺さん」
「青木様、本日はお越しいただいてありがとうございます。ところで本日はどのようなご用件でしょうか?」
苺は深く頭を垂れて挨拶をするが、青木は何度か瞬きをすると焦るようにして言った。
「そういえば苺さん、あなたは西洋料理を少しできた筈ですな」
「れ、練習中です」
「あ、あの方、いえ、あのお二人になにかを作って貰えませんか……実は……」
そこで青木はことの顛末を苺へ語る。青木の説明を聞いて、苺は首を何度か振りながら言葉を返した。無茶ぶりにも程がある。青木としては賭けたかったのだが、良く考えると賭けにもならない話だ。
「む、無理ですよ……こんな練習中でまともにも作れない私が、外国の方に料理だなんて」
「そ、そこをなんとか、英国総領事館から任された二人なんです」
ここで二人の正確な身分を明かした青木。苺は二人を眺めた後に震える口調で言葉を返す。
「……尚更無理ですよ……わ、私なんかの腕じゃ」
目の前に立つ二人の外国人が何者か察しがついた苺も顔から血色がなくなっていくことに鳴海は気がついた。呆然とした表情で苺を見やる青木。口からこんな言葉が漏れている。
「ここからホテルまでどれだけ歩かないといけないんだ……」
鳴海はそんな青木と苺を見てから、瞳を一度瞑ると唾液を嚥下してから意を決する。
(やっぱり、やるしかないよな、いや言うしかないよな……相手は全盛期のハノーヴァー朝、いや、ヴィクトリア女王を象徴としている大英帝国の貴族が相手だぞ……)
そう考えると鳴海の手が震えた。ひりつくような喉の渇きを抑えるようにしてから手をぐっと強く握ると眼前を再度見据えた。
(恐れるな、男ならやるしかない! 今しか恩は返せないんだ)
これはお世話になっている小野田家のピンチだ。それを回避する為には多少強引になるが、自分が旨い料理を作るしかない。だから鳴海は青木に問うた。
「この家で居候をしている鳴海景太郎と申します」
「ああ……君が噂の居候君か……」
鳴海の挨拶に言葉を返してきた青木。だがその表情は心ここにあらずと言う感じだった。鳴海は小声で青木に尋ねる。
「お二人に料理を作らず、このまま返すと良介さん、いえ小野田さんにも不利益が生じますか?」
「……ああ……生じる」
青木は静かにそう語った。現在の交渉を進めている相手国。幾ら交渉に直接関係ないとは言っても、この接待の仕方はあまりよろしいことではない。
鳴海の真剣な表情を見て苺は呟いた。
「鳴海さん……」
「……」
鳴海は静かに瞑想する。お世話になっている良介。そして苺、瑠衣。そんな人達に不幸になってもらいたくはない。自分に出来ることはただ一つ、最高の料理を作ることそれだけだ。先ほどは酒を飲まなくてよかったと。鳴海はそう思うと安堵の息を漏らした。
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