第五章(5)

 食事を終えて、夜。

 お風呂を済ませた僕たちは、今日の取材の振り返りをするため、朝霧さんの部屋に集まっていた。

部屋からカメラを持ってきた僕は、今日の写真を一枚一枚チェック。


「あ、漁港の写真だ。いい笑顔だよね、これ」

 横からカメラの画面をのぞき込む朝霧さんの声に、画面をスライドする手を止める。

 ちょうど折よく昼の漁から戻ってきた船団に出会った僕たちは、今日の収穫をバックににっこりと笑う漁師さんの写真を撮ることができた。

 魚の種類はよくわからなかったけど、漁師さんは獲物を前に満足そう。その笑顔に惹かれて、一枚写真を、と頼んだら快諾してくれたのだった。


「写真もずいぶん、上手くなったんじゃない?」


「そんな……。まだまだですよ」


 渡会島の花畑で写真を撮ったのも、懐かしい出来事のように思ってしまう。写真の腕はあのころから上達なんかしちゃいないと思うけど。


「でもね、すごく素敵だと思うよ」


 僕の手からすっとカメラを取って、微笑みながら写真を見ている朝霧さん。なんだか恥ずかしい気持ちでそれを見ていると、朝霧さんはそう言った。


「写真を言葉で褒めるのは難しいけれど……。小鳥遊くんの写真、本当に小鳥遊くんが好きで撮ったんだな、って伝わってくるよ。最近の記事を読んでてもそう思うんだよね。ああ、やらされてるんじゃなくて、自分で取材の最中、好きなことを見つけに行ってるんだなって。この間の真珠ミュージアムの記事も、めちゃくちゃよかったよ」


 そう言ってもらえて嬉しい。取材に行った甲斐があったというものだ。


「ありがとうございます。それが……僕の『楽しい』だからだと思います」


 渡会島で朝霧さんは、楽しいからメモを取る、と言っていた。もっといえば、一度きりの人生だから楽しまなければ損だ……とも。

 カメラを机の上に置いて、僕を見つめる朝霧さんに一つ呼吸を置いて、続ける。


「せっかく朝霧さんと取材に来て、いろんなところを回って。もちろん取材だから、有名な場所を記事にした方がいいのはわかってるんです。でも、そうじゃなくて、僕が取材に来たからには、僕が楽しいと思えるものを紹介したい。きっと僕が楽しまなければ読者の人に楽しい気持ちって伝わらないと思うし、それが……僕だけの視線を持つ、ということだと思うからです」


「……」


 朝霧さんは僕の顔を見て、ぽかん、としている。


「……なにか変なこと、いいました?」


 あまりにフリーズしている時間が長いものだから、僕が困惑してそういうと。


「いや……いつの間にか、すごく成長したんだな、って思って」


 そんなことをいう朝霧さんの目元から、涙が一筋、つ、と流れたのが見えたものだから。


「え、ちょっと、朝霧さん!?」


 慌ててしまう。

 僕の様子に目元を拭った朝霧さんは、自分の手についた涙の玉を見つめながら、


「あ……ごめんね。本当にちょっと……びっくりしちゃった」


「なら、いいですけど」


 ……いいのかな。なんだか朝霧さん、僕が成長した、といってくれる度に泣いている気がする。


「そうかぁ、成長してるんだな、小鳥遊くんも」


「全然ですよ。むしろ、朝霧さんにいろんなことを教えてもらってるから、こうして仕事続けられてるんです」


 僕の言葉に、朝霧さんは黙り込んでしまう。僕も続ける言葉が見つからず、沈黙が訪れた。

 夏の夜、虫の声がよく聞こえる。これはなんの虫だろうか。鈴の音が鳴るような鳴き声だし、スズムシかもしれない。

 そんなことを考えていると、不安そうな声が聞こえた。


「私はさ、小鳥遊くんの上司、ちゃんと出来てる?」


「僕の憧れの先輩は朝霧さんです。それは、変わりません」


「即答じゃん。……でも、ありがとうね」


「お礼を言われるようなことでも」


 むしろお礼を言わなければいけないのは、僕の方だ。


「小鳥遊くんは入社してずっと、私や怜ちゃんに自分が足を引っ張ってるんじゃないか、とか、自分にはなにも出来ないって思ってたみたいだけど……私も、小鳥遊くんに同じことを思ってるんだよ」


「そう、なんですか!?」


 少し大きな声が出てしまった。しーっ、と指を立てて笑う朝霧さん。


「静かにね。でも、そう。私の指導が下手くそで、すぐに最初の後輩がいなくなってしまったのは話した通りだけど、それからずっと私、自信がなくてさ。私のせいでまた、後輩がいなくなっちゃったらどうしよう、って。だから最初めっちゃ明るくして、楽しいが一番! とか言って、さ。小鳥遊くんが辞めないようにするのに必死だった。そうしたら突然、成長したこと言うじゃない。私びっくりしちゃって。例えは変かもだけど……ちょっと過保護すぎたかな、なんてね」


「そんな……」


「成長していく小鳥遊くんの足を引っ張ってるんじゃないか、って、また思っちゃったの。

……今回の宮原行きも、小鳥遊くんが用意してくれたんじゃないの?」


 尋ねる顔は、見たこともないくらい弱弱しい。どう答えていいものか悩む。……けど、ここで嘘をつくのは、良くないよな。


「はい」


「やっぱり。編集長、私には一ノ瀬先輩の話、全然してこないと思ったらいきなり墓参りに行け、なんて言うんだもんな。なにかあったかと思ったよ」


 その表情は、笑ってはいるもののどこか自虐的で。


「ごめんね。昔のことをいつまでも引きづっている、ダメな先輩でさ」


「……ダメなんかじゃ、無いです」


「ダメだよ。自分の明日を探しに行く、なんて大層なことを言っておいて、ずーっと昔のことばっかり。幻滅したでしょ。こんなダメな……」


「だから、ダメなんかじゃ、無いです」


「違う!」


 それは、初めて朝霧さんが語気を荒げた瞬間だったかもしれない。はっ、と僕を見つめる朝霧さんの瞳から、大粒の涙が零れだす。


「違う。私は立派な先輩なんかじゃない。昔の事ばかり気にして、せっかく入ってきてくれた小鳥遊くんも信じられなくて、自分のいいようにコントロールしようとして。せっかく小鳥遊くんが慕ってくれているのに、今もこうして怒っちゃった。私は……最低な先輩なんだ」


 しゃくりあげながら涙を零す朝霧さんに、胸が痛くなるけど……僕は下を向いて考える。

 胸を痛めている場合じゃない。何を言えばいい。考えろ、小鳥遊雲雀。


『お前の先輩のことを、支えてやってくれ』


 夜凪さんの言葉が、ふと蘇る。

 そうだ、僕は朝霧さんを支えるんだ。

 僕は後輩で、朝霧さんは先輩だ。だけどそれ以前に、僕らはきっと、女将さんのいう通り『仲間』であり……そして。


「……相棒、じゃないですか」


「あい、ぼう……?」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔を持ち上げて、僕を見る朝霧さんに頷く。


「確かに朝霧さんは先輩で、僕は後輩です。でも朝霧さん、初日に僕にいってくれたじゃないですか。一年間、小鳥遊くんは私の相棒です、って。今まで朝霧さんは僕が辛いときや悩んでいるとき、何度も救ってくれました。だけど相棒は、互いに支え合ってこその相棒だと思うんです。……だから、今回は、僕が朝霧さんを支える番だ、って」


「……」


 ひっく、ひっくと小さな声が漏れている。

 それでも朝霧さんは、僕の目を見つめて放さない。


「ダメだっていいじゃないですか。それが朝霧さんの弱さなら、僕が支えます。過去に囚われたっていいじゃないですか。それが朝霧さんを後ろ向きにさせるなら、一緒に探しに行きましょう。……朝霧さんの、明日を」


 自分でも随分偉そうなことをいってしまったな、なんて思うけれど。

 役に立たない、足を引っ張る、自分はダメだ。

 ここ半年、そう思うことがたくさんあった。この先もずっと、そう思い続けながら生きていくのだろう。だけど大切なのは、それを認めること。認めた上で、自分に出来ることを一生懸命やる、ということ。そうすればきっと、自分の明日が見つかるのだと、夜凪さん、そして朝霧さんに教えてもらった。

 ネガティブな出来事を、ポジティブに変換する力。それが僕の武器というのならば、その言葉を持って、真正面から朝霧さんにぶつかっていく。

 それもまた、相棒の役割だと思うから。

 いつか朝霧さんが僕にそうしたように、右手を差し出す。


「私は」


 朝霧さんはその手を見つめながら、言った。


「一ノ瀬先輩に原稿を捨てられてしまったこと。私の言葉を勝手に先輩の言葉として使われてしまったこと。思い出すとずっと辛かったから、忘れたフリしてた。でも、一ノ瀬先輩に教えてもらったことも忘れられなかった。感謝もしてる。一ノ瀬先輩がいなければ、私は今、これだけの仕事が出来てるかわからない。だから……知りたい。どうして一ノ瀬先輩が、そんなことをしたのかを。でも、本当に先輩が私を嫌っていたらどうしよう。そう思うと……怖いの」


 涙声で霞んでいる、その言葉。


「……その時は」


 的外れな答えかもしれない。でも。


「僕がその分だけ、朝霧さんを好きになります」


 きょとんとした表情で、朝霧さんが僕を見る。それから、


「……なにそれ。でも、ありがとう」


 右手をぐっ、と掴まれる。ようやくそれで、朝霧さんは笑ってくれた。

 ほっとした。

 やっぱり朝霧さんは、笑顔が一番似合う。



 深夜。

 寝付けずに、窓の外を眺める。

 とはいえ窓から見える景色に人口の光は無く、月明かりにうっすら照らされた山々が見えるのみ。

 階下からは物音一つ聞こえない。朝霧さんは随分消耗しきった様子で、あの後すぐに会はお開きとなった。僕が「早く寝ましょう、明日もありますし」と言ったせいもある。

 それにしても、ずいぶん恥ずかしいことを言ってしまった気がする。


「好き、か」


 頭をぽりぽりと掻く。

 呟いた言葉に少しの気恥ずかしさとむず痒さを感じて、僕は布団に潜り込む。 


「また、明日」


 別れ際に、朝霧さんはそう言って笑った。

 だから、僕も笑って返した。


「また、明日」


 それは……明日が少しでもよくなるようにと願う、おまじない。

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