第五章(4)
漁港を離れたのち、いくつかの観光スポットを取材した僕らは、保存地区へと足を運ぶ。
保存地区の入り口近くにある民宿が今日の宿と編集長からは聞いている。その民宿を実際に目の当たりにした時、僕と朝霧さんは息を飲んだ。
「これ、ですか」
「すごいね、人の家じゃん……」
たどり着いたのは、歴史もののドラマにでも出てきそうな二階建ての古民家。それもそのはずで、今日泊まる民宿は昭和時代に建てられた古民家を改築したものだった。
したがって入り口もいたって普通の玄関で、まるで母親のように出迎えてくれた女将さんに、部屋まで案内してもらう。
「すごい! 趣がありますね……!」
「うふふ、すごいでしょう。ただただ古いだけ、とも言えますが」
通された部屋を見てはしゃぐ朝霧さんに、女将さんはそういって笑った。
「いやいやそんな、すごく綺麗で……江戸時代の民家とは、到底思えないです」
「褒めていただきありがとうございます。とても嬉しいですわ」
和装の女将さんは口元に手を当て、上品に笑う。女性の年齢をあれこれ考えるのは良くないが、顔に刻まれた皺やゆっくりとした動作、なにより人が生きた年輪を感じさせられる柔らかな笑みを見ると、かなりの高齢の方なのかもしれない、と思った。
「この家は、女将さんの家なんですか?」
「そうですね。主人を亡くし、子供は独り立ちしたもので、ここに住まうのは私だけでして。ですが、みな住んでいた頃はよかったものの、一人で住むにはとても広い家なんです。それでどうしようかと考えていたのですが、民宿にしてみようか、と思い至りまして」
畳張りの和室はおよそ十二畳もあるだろうか。一人で使うにはとても広く、ゆったり使えそうだと感じる。このくらい広い部屋がいくつもあるなら、確かに一人で住まうには持て余してしまうだろう。
「どうして、民宿にしようと思ったんですか? その……大変じゃ、ないですか」
お年を召して、と言おうとしたのだが、さすがに失礼かと思い口ごもる。それを察したのか、女将さんは、「ええ、ええ、わかります」と笑う。
「私のようなおばあちゃんが、わざわざ宿を開いてまで、まだ働くなんて……私自身も正直、そう思いますわ。それでも昔は私、バリバリにホテルで働いていたのです。定年を越えて、もう十分でしょう、と支配人にいわれるまで働いたんですよ」
バリバリに、で力こぶを作るような仕草に、僕と朝霧さんで笑ってしまう。
失礼しますね、といって、女将さんがお茶を啜るので、僕も朝霧さんも頂戴することにした。お茶の味には詳しくないけれど、とても甘い味がする。
「お二人は、旅行メディアのお仕事をされている、と伺いました」
「ええ」
「いいですね。旅行は人を繋げます。私たちだって、こうしてお二人がここに訪ねてきてくださなければ、お会いすることはありませんでした。さらにお二人の記事を見て、他のお客様に出会うことができる。私はその日が、楽しみで仕方ないのです」
「素敵ですね、その考え方」
朝霧さんの感心したような声に、女将さんは恥ずかしそう。
「そうでしょうか。私は、人は誰かと繋がっていたい。繋がるために、仕事をしているのだと考えています」
「繋がるため……ですか」
「ええ。もちろんお給料も大事ですし、待遇なども大事かと思います。なんとなく仕事を、という方もいるでしょう。ですが私が仕事をする理由は、人と繋がっていたいからだと思うのです。だからこうしてリタイアしてなお、民宿を開いたのかもしれません」
黙ってしまう。その発想は……なかった。
「仕事の同僚、先輩、後輩。取引先の人、形容する言葉はいろいろあると思います。ですが、私は『仕事仲間』という言葉がいちばん好きですね。前に勤めていたホテルにも仲間がたくさんおりましたし、この民宿を作るのにも、今は一人で切り盛りしておりますが、仕事仲間はまた、沢山できました。この年になって仲間がたくさんできるなんて、想像していなかったものですし、その上、貴方がたのような素敵なお客様がまた、この宿のことを広めてくださる。……私は今、とても楽しいのです」
そういった意味ではまた、私たちも『仕事仲間』かもしれませんね、と女将さんは上品に笑う。
「ふふ、歳を取ると話が長くなっていけません。ゆっくりおくつろぎください」
席を離れようとする女将さんに、示し合わせたわけでもないのに僕たちは席を立つ。
「ありがとうございました!」
頭を下げる僕たちに、女将さんはびっくりしたような顔をしていたけれど。
「いいえ。こちらこそ、私の話を聞いてくれてありがとうございます」
と笑ったのだった。
民宿『竹の里』は二階建てとのこと。
一階二階、両方に和室があり、どちらにも宿泊することができる。だが宿泊の予約を受け付けているのは一日一組まで。協議の末、僕が二階、朝霧さんが一階の部屋を利用することとなる。
「二階の階段、急だから怖いのよね……」
と朝霧さんが眉をひそめて僕に訴えかけてきたのが主な理由だが、確かに夜中うかつに下ろうとすると足を滑らせてしまいそうなほど、急な階段だった。
ただその代わり、物干し台からの見晴らしはとてもよい。夕刻、一人でぼんやりと風に吹かれながら外を見ていると、山々の間に赤い夕陽が沈んでいくのが見える。
「……仲間、か」
女将さんの話を思い出す。
それを言えば……一ノ瀬さんも、朝霧さんの『仲間』なんだよな。
一ノ瀬さんの実家は保存地区の方だと聞く。であれば、一ノ瀬さんもこんな景色を眺めたんだろうか。
「……ずいぶん遠くまで来たな」
思えば入社二日目で、ポートランドの取材中に『先輩』の話を聞いたのが始まりだった。
それから、先輩の名前が一ノ瀬夕花さんだと知ったこと。朝霧さんがとても辛そうに、彼女の話をしたこと。彼女が朝霧さんにした仕打ちを聞いて、胸が痛くなったこと。それでも朝霧さんが一ノ瀬さんを慕っているように見えたこと。
『小鳥遊くんは本当に、朝霧くんの事が好きなのね』
編集長の言葉を思い出す。
「まあ、好きじゃなかったらこんなところまで来てないよなぁ」
出会ったこともない人を追いかけて、はるばる旅をして田舎町まで。果たして明日、なにか掴めるのだろうか。それすらわからないけれど。
「小鳥遊くん、ご飯だって!」
階下から朝霧さんの声が聞こえる。
スマホを見ると、随分な時間ぼーっとしていたらしい。
「今行きます!」
そう答えて、僕は部屋を出た。
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