第五章(2)
翌日。
神辺駅の新幹線ホーム、時刻は朝の九時。
「車じゃなくて大丈夫だったんですか?」
走り始めた新幹線の車窓を眺める朝霧さんに、聞いてみる。
「ん? ああ、お気遣いありがと。編集長が手配した切符を無駄にするわけにもいかないし、宮原に車で行こうと思ったら軽く五時間は掛かっちゃうからね」
「ああ、そうなんですね……」
車にあまり乗ることがないので、なんだかトンチンカンな問いをしてしまったかもしれない。
新幹線で二時間、高島駅に着いた後は在来線に乗り換えて宮原まで。全行程二時間半の、そこそこ長い旅路だ。
夏休みも終わりのようで、座席には家族連れの姿が目立っている。僕らも、お墓参り用のスーツや着替えを入れたキャリーバッグをのぞけば、出張中のビジネスマンには見えないようなラフな服装をしていた。
僕は青いシャツに白のインナー、茶色いパンツ。
朝霧さんもゆったりとした白いワンピースを着て、動きやすそうな服装をしている。
「ん? どした?」
「いや、それ、この間買い物したやつですよね、と思って」
「ああ、そうそう! よく覚えてるね。女性の服装に気がつく男の子はモテるぞ」
なんだか前にもそんな話を聞いた気がする。生まれてこの方、一回もモテ期はおろか彼女ができた事も無いのだが。
「いや、それにしてもこの間、いっぱい買いましたもんね」
「確かに。なんか久々にいっぱい買い物した気がするな。おかげでしばらくは外出する服に困らないけどね。付き合ってくれてありがとう」
改めて言われるとなんだか照れる。
「こちらこそ。服、勉強になりました。恥ずかしい話、親がなんでも身の回りのもの買ってくれるんですよね。すごい助かるんですけど、自分で服の勉強とか、しなくなっちゃって」
そういうと、なぜか朝霧さんは羨ましそうに僕を見た。
「そうなんだ。小鳥遊くんはご両親と、仲がいいんだね」
「両親、というか。父親は早くに亡くしてしまったので、母親と二人暮らしなんですけどね」
「あ、ごめん。聞いちゃいけないこと、聞いちゃった?」
「いえ。父親が亡くなったのも、もう二十年前の事ですから」
「そっ、か」
正直、物心がつくころには父親はもういなかったから、父親の記憶はほとんどない。
思い出すのは、白い病室で父親の手を掴んで泣いている母親の姿だけ。
『教師やめたら、楽させてもらうから』……その言葉、守らないとな、と思う。
「朝霧さんは実家でしたっけ」
「ううん、一人暮らし。高校卒業してすぐ、家飛び出したんだよね」
「……飛び出した?」
思いもよらない言葉に、思わず聞き返してしまう。朝霧さんは懐かしいな、といって笑った。
「少しだけ、昔話をしましょうか」
「私の家はさ、厳しかったんだ。テストは九十点以上厳守、門限厳守はもちろん、友達と帰り道に遊びにいく事はおろか、部活も禁止! いやほんと、つまんない学生生活だったんよね」
「……それはまた、えげつないですね」
友達と遊びに行けないなんて辛すぎる。僕だって学生の頃、学校を早々に出た後は、ゲームセンターに行ったり、本屋で本を漁ったり……いや、一人で遊んでいる記憶しかないな。悲しくなってきた。
「えげつないよね。両親共にいい大学出てさ、みんなが知ってるような会社に入ったらそうもなるのかな。とにかく勉強をしろ、勉強をしなければ、いい人生は歩めないぞ、ってさ。だから大学も両親が行ってたような大学に行けってうるさくてさ」
「……それを、断ったんですか?」
「そ。私、やりたい事があってね。文章を書く仕事に就きたかったの。具体的には旅行エッセイとかが好きだったからさ、そういう仕事できたら、って思って」
「へー! 僕と一緒だったんですね」
なんとなく嬉しくなる。朝霧さんも嬉しそうに続けた。
「実はね。面接のときもその話、しようかと思ったんだけど、脱線しそうになったからやめたの覚えてる。でもさ、その話を両親にしたらめちゃくちゃ怒られたの。『旅行? 文章? そんなうわついたもので飯が食えるか! お前をなんのために金を使って高校に進学させたんだ』ってさ」
「うわついたもの、ですか……」
朝霧さんの両親の気持ちも少しわかる。
同じ大学を卒業した友人とたまに連絡を取ると、どこも出版不況とやらで厳しいらしい。おまけに文章なんて個人の技量が大きいから、それでずっと食べていけるかどうかと言われると……まあ、朝霧さんのご両親のいうことが正しいのだと思う。
「でも、私はそれが不満だった」
ぷくっ、と朝霧さんが頬を膨らませる。いつもの朝霧さんが機嫌を損ねたときの仕草だ。
「高校の時にはさ、実はいくつかの文学賞とかに応募していたの。結構いい線行ってたんだよ、私」
「すごいですね。僕なんか大学の時に、そんなこと一度もなかったのに」
話を聞いているとだんだん情けなくなってくる。本当に才能があるんだ、朝霧さんは。
「ありがたい話だよね。講評にはいつも『独特の感性で』って書かれていてびっくりしたんだけどさ。そんなつもりないのに」
「……ん?」
深く突っ込むのはやめといた方がいいかもしれない。
「ちゃんと結果は残してるのに、うわついたものだの、金を払って進学させたのだの、さ。めちゃくちゃに言われるものだから、腹が立っちゃって。そんな時に、地元の文学賞で書いたエッセイが受賞したの。賞金が少ないけど出てさ。それをこっそり溜めておいて、高校卒業した時にばーん! とね」
「行動力が、すごい」
「行動力がすごいというか、今になって思えば、ただ向こう見ずなだけだったように思うのだけど。まあ、そんなこんなで大学に入って、今に至る、ってわけ」
自分とは全然違う、波乱万丈な人生だった。ふう、と溜息を吐いた朝霧さんは、
「久々に昔の話、しちゃったな。私が昔の話をしたの、小鳥遊くんで四人目よ」
「他に誰に話したんですか?」
ちょうどその時、新幹線の到着ベルが鳴る。いつの間にやら高島駅まで来ていたらしい。
降りる支度を始めた朝霧さんは、ぼそっと言った。
「編集長と、怜ちゃん。それに……一ノ瀬先輩、よ」
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