第五章(3)
宮原は、古くから交通の要衝として栄えた港町である。
三方を山々に囲まれ、中心部には川が町の真ん中を貫いている、河川の上流から中流にかけては田畑が広がっていて、下流にはぶどう畑が広がっているそう。
特に駅から歩いて三十分程度行くと、江戸時代の街並みがそっくりそのまま残っている『保存地区』があり、宮原随一の観光名所になっている……と事前に読んだパンフレットには書いてあった。
「夏の匂いがするね」
朝霧さんがぽつりと呟く。
駅前にはロータリーとバス停くらいしか見当たらず、少し行ったところに観光案内所らしき建物が見える。遠方には山々がそびえ立っており、なんとなく幼いころ、家族で行った田舎の風景を思い出した。
「どうしますか、これから」
僕が尋ねたのには理由がある。編集長から渡されたメモには、宿の所在地と最低限見てきてほしい場所、そして一ノ瀬先輩のお墓の場所しかなかった。あとは、帰りの新幹線の時間だけ。
『朝霧くんと小鳥遊くんのセンスに任せるから!』
とはいうものの、こう放任されてしまうと困る。
「一ノ瀬先輩の実家は……保存地区の方、でしたっけ」
「うん。先輩の命日は明日だから、明日にしようかと思ってるけど」
それで、異論はなかった。わかりました、と首を振る僕に、朝霧さんは少し大げさなくらいの大声でいった。
「よし! それじゃ、宿のチェックインの時間まで間があるし、取材に行きましょうか!」
バスに揺られて十分ほど。僕らがまず目指したのは、港だった。
「うわー! すごい!」
弾けるような笑顔で、朝霧さんが港に向かって叫ぶ。
夏の終わりとはいえ、まだまだ空は突き抜けるように青く、日差しは眩しい。その日差しを水面が受け止めて、まるで宝石をちりばめたように海が光っている。
「綺麗ですね」
「ね。神辺も港町だけど、こんな綺麗な海は見たこと無いよ」
僕も朝霧さんに同意見だった。水質が違うのだろうか。神辺の海より、宮原の海の方がずいぶん透き通って見える気がする。
「泳ぎたくなってきたな」
「いや、わかります」
他愛のない話をしながら、港をぶらりと歩く。遠くに見えるのはフェリーターミナルだろうか。小型の白い船が停泊しているのが見える。
「無人島に行くんだって、あの船」
「無人島なのに船が通ってるんですか?」
「住所を持っている人がいないだけで、島全域がキャンプ場になっているんだって。
そのキャンプ場に向かう為の船だって、一ノ瀬先輩に聞いたことがある」
「……そうか、朝霧さんは宮原に来たことがあるんですね」
「ああ……そうね」
小鳥遊くんには言ってなかったか、と小さな声が聞こえる。
「最初に一ノ瀬先輩にOKを貰えた記事。それが、宮原を取材した記事だったんだよね」
今まで一ノ瀬さんは、どういう人なんだろうと自分の中で考えていた。
夜凪さんのいう、優しい先輩としての顔。
編集長のいう、頼れる相棒としての顔。
二人が語る一ノ瀬さんの顔が、どうしても朝霧さんのいう『仕事に厳しく、出来の悪い原稿は捨て、他人のよいフレーズは自分のものにする』一ノ瀬さんの像と重ならない。
「一ノ瀬さんと、二人で取材旅行に来たんですか?」
「うん。嬉しかったな、初めて取材に連れて行ってもらったの」
夏の日差しに目を細め、遠くの空を眺める。朝霧さんの嬉しそうな横顔が青い空に重なって、まるで絵画のように見えた。
初めての取材旅行で……地元、か。
例えば一ノ瀬さんが朝霧さんを嫌っていたとして、そんな人が初めての取材旅行で自分の地元に連れていったりするだろうか。
初めての取材を、僕は忘れることはないだろう。朝霧さんに服装を笑われたこと、空中ブランコで目が回ったこと、翼と花さんに出会ったこと、二人が手を繋いで、観覧車の方へ向かったこと。
そのどれもが……忘れたくない、僕の思い出だ。
そっか。
「忘れて欲しくなかった、とか」
「え?」
思考の延長線上の言葉が出て、隣を歩いていた朝霧さんが僕を見る。
「一ノ瀬さんは、朝霧さんに……この景色を、忘れて欲しくなかったんじゃないか、って」
「……」
朝霧さんはそれには答えず、ずっと波止場の先の方まで歩いていく。
「だったら、嬉しいな」
その背中から、小さくそんな声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます