第五章(1)
「朝霧くん。朝霧くんと小鳥遊くんに、宮原の観光取材と一ノ瀬夕花くんのお墓参りのために、出張を命じます」
僕と編集長が喫茶店で話をした次の日の、朝。編集長は正式に、僕と朝霧さんに出張を命じた。
僕はもう心構えはできていたけれど、一つ、懸念があった。
……もしかしたらその話を聞いたら朝霧さん、断るんじゃないか。だけどその話を聞いた時、朝霧さんは至って平静を保っているように見えた。
「分かりました」
「本当ならボクが行こうかと思っていたのだけれど、急に予定が入ってしまってね! 申し訳ないのだけれど、小鳥遊くんを連れていってきて欲しいの」
「宮原といえばなかなかの距離ですね……諸々手配しなければ」
それなんだけど、と言って、編集長は財布を開く。朝霧さんに手渡されたのは、二人分の新幹線チケット。
「ボクの頼みだから、そこは手配済。宿も取ってあるから、後で朝霧くんに共有する
わね」
「いいんですか、そんな」
「気にしないで欲しいのね。……命日だから、会いに行ってあげたかったのだけど」
「そうか、もうそんなに経つのですね」
「時間が経つのは、本当に早いわ」
編集長が机の上に視線を落とす。視線の先には、入社初日に見た、編集長と誰かの写真が飾られた写真立て。一ノ瀬さんなのでは、となんとなく思っていたけど、やっぱりそうだったらしい。
「……ま、せっかくだから楽しんできてよ。宿もいい宿、取ったからさ!」
「宮原といえば海鮮が美味しいですからね! どんな宿が用意されているのか、楽しみです!」
編集長の明るい口調に気を取り直したように、笑みを浮かべる朝霧さん。
だけどその口ぶりは……少しだけわざとらしいように、僕には聞こえた。
「明日からだっけ、宮原出張」
宮原出張の前日、今日は定時で帰ろうと荷物を纏めていると、夜凪さんが思い出したように言った。
「ええ。二日間いなくなるので、編集部の留守はお任せしますね」
「それはいつものことだから構わないわ」
「ふふ、たまには怜ちゃんも取材に行きます?」
夜凪さんの手が止まる。
「……いや、やめておく。暑いのは嫌だし、寒いのも嫌だ。少なくとも私には、文章を書く才能がない。朝霧のように感性豊かな文章を書くことも、一ノ瀬先輩のように端的かつ読みやすい文章を書くことも、な」
「褒めてくれるじゃないですか」
楽しげに笑う朝霧さんに対して、夜凪さんはいつものようにクールに返す。
「思ったことを言っただけよ」
「くひひ。怜ちゃんが褒めてくれるなんてねぇ」
「でも、朝霧さんの文章……僕、本当に好きです」
「なになに、小鳥遊くんまで褒めてくれるわけ? 今日はどうしたのかなー」
照れ笑いを浮かべる朝霧さんは、恥ずかしそうに手元のボールペンを回している。
「そういえば、なんですけど。朝霧さんは、どうして東西旅行に入ったんですか?」
「あー。それ、言ってなかったっけ」
僕の記憶が確かなら聞いていないはずである。まあ別に、大した話ではないのだけどと前置きして、朝霧さんは言った。
「編集長のね、エッセイが好きだったの」
「編集長って、そんな前から本を出してるんですか?」
朝霧さんが入社したころといえば、五年前くらいになるだろうか。
「うん。当時から結構有名なエッセイストで、特に旅行を題材にしたものが好きだったの。そんな編集長が新しい会社を作って求人募集をしているらしい、と大学の頃に聞いて、応募したのが始まりだったな」
懐かしいな、と朝霧さんは呟く。
「そこで編集長と、先輩と出会って。後から怜ちゃんと、小鳥遊くんとも出会えて。私はこの会社に入れて、とても幸せだったと思う。私は……自分の明日を、この会社で見つけることができたんだ」
自分の明日を、見つける、か。
「……そう、思うなら」
知らず、声が出ていた。朝霧さんのびっくりしたような表情に、慌てて口を押えるがもう遅い。諦めて、言い切ることにする。
「そう思うなら、一ノ瀬先輩のこと……ちゃんと、決着、つけてください」
決着、という言葉が適切かどうかわからなかったけれど、言葉が出てこなかった。
「決着だなんて、そんな」
「ごめんなさい。でも……僕は、一ノ瀬先輩が理由もなく、朝霧さんにひどいことをした、とは思えないんです。もし一ノ瀬さんに理由があったのなら、それを朝霧さんは知るべきだと思います。その理由を知らないまま喧嘩別れになってしまうのは……あまりにも悲しいと、僕は思います」
僕の言葉に、朝霧さんはぽつり、と呟く。
「小鳥遊くんがそう思う、理由は?」
「……一ノ瀬先輩が、朝霧さんの先輩だから、です」
それは、僕が喫茶店で編集長にいった言葉。そっか、と小さな声が聞こえる。
「でも、一ノ瀬先輩に、理由なんてなかったとしたら?」
「一ノ瀬さんを思いっきり悪く言ってやりましょう」
「理由が、あったとしたら?」
「その理由を聞いて、朝霧さんがどんな思いを持つのかはわかりません。だけど、できる限り……僕が、支えます」
朝霧さんはずっと、机に腰掛けて下を向いたままだ。
数分間の沈黙があっただろうか。朝霧さんは顔を上げ、僕の方を見て、言った。
「……ありがとう。今は、それだけしか出てこないや」
その顔は、なにかに耐えるように、くしゃりと笑顔の形に歪んでいた。
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