第三章(5)

 最初の取材先は、橋を抜けた後にある『渡会大橋サービスエリア』。施設内に小さなジェットコースターがあることが有名なサービスエリアである。

 そのジェットコースターの近くで、僕はベンチに座りぼんやりしていた。

橋を抜けたころにはもう、朝霧さんは息も絶え絶え。ふらふらしながらトイレに行ったけど、大丈夫だろうか。帰りは運転変わろうかとも思うが、助手席でも一緒かもな……。

 だけど朝霧さんは今回の取材で迷惑をたくさん掛けるだろうし、それくらいの事はしてもよさそうだ。今日の取材の裏テーマは『朝霧さんの役に立つ』だな。


「お待たせ。ごめんね」


 そんなことを考えていると、朝霧さんが戻ってきた。


「大丈夫です! 朝霧さんこそ大丈夫ですか?」


「うん、ありがとう。……それにしても、サービスエリアにこんなものがあるなんて、びっくりしちゃうね」


 二人でジェットコースターを見上げる。


「鉄の血管、って感じ」


「鉄の血管、ですか?」


「うん。複雑に鉄柱が走ってるのを見て、なんとなくね。そうするとコースターは血管を走っている血液、って塩梅かしら」


 鉄の血管と、それを走る血液……か。そんな視線でジェットコースターを見たことがなかったので、その例えに唸ってしまう。


「伝わりにくかった?」


「あ、いや。その例えがまず思い浮かばなかったので、すごいな、って」


 素直に感心したのだが、朝霧さんは恥ずかしそうに笑う。


「大丈夫、昔から友達に『着眼点がちょっとズレてるんだよね』ってよく言われるの。自覚はあんまりないんだけどね」


 海だから、という理由で青かったタコのウィンナーを思い出す。朝霧さんの友達の言わんとしていることは、なんとなく理解できた。


「それで……ジェットコースター、乗りますか?」


「あー。うん、軽く写真を収めるだけで大丈夫かな」


 朝霧さんはそういって、胸元から下げたカメラを構える。

 ジェットコースターに乗れないから、写真で済まそうとしているのだろうか。であれば、ここはジェットコースターが乗れない朝霧さんの為にも、僕が頑張らないと。


「いや、ちょっと乗ってきますよ! 待っていてください!」


「あ、小鳥遊くん」


 走り出した僕の後ろから朝霧さんの声が聞こえたけれど、僕は構わずジェットコースターの入り口に足を運ぶ。早速朝霧さんの役に立てるチャンスだ。今の僕にはこれくらいしかできないのだから、頑張らないと。


 サービスエリアを出た僕らの次の目的地は、そこから一時間ほど車で走ったところにある『渡会花ばたけ』という公園。広大な敷地の全面が花畑になっており、季節季節でまったく違った花がその表情を見せてくれるらしい……と、パンフレットには書いてある。


「小鳥遊くんは、花はお好き?」


「花は……あんまりわからないんですよね」


 道中、朝霧さんの問いに、風情もなにもない言葉が出てきてしまって、笑われる。


「あはは、まあ男の子はそうだよね。私も花は好きだったけれど、品種なんかについて調べはじめたのは東西旅行に入ってからの事だったし、そういうものかも」


「あ、でも、この間のあじさい畑の記事、とても素敵でした!」


「あー、あれね。そういってくれてありがとう。写真が上手く撮れてなくて、撮り直すハメになっちゃったけど」


 くすくす笑う朝霧さんに、僕は気合を込める。


「今日は任せてください! ばっちりいい写真、撮ってみせます!」


「お、本当に? じゃ、期待しちゃおっかな」


 さっそく二週間の練習の成果を見せるときが来たようだ。そう思った僕はしかし、入り口を入ってすぐの景色に圧倒されてしまった。

 公園自体が少し小高い山の上に出来ており、入場ゲートをくぐるとすぐ眼下に花畑が広がる。赤、白、黄色、桃色……子供のころに口ずさんだ歌じゃないけれど、色とりどりに広がる景色に、思わず目を奪われてしまう。

 風が心地よい。入口から続く道を降りて、花畑の中を散策する。むせかえるような花の匂いに取り巻かれながら、ゆっくりと坂道を降りる。

 色とりどりの花は、『キンギョソウ』というらしい。その名の通り形が金魚に似ている事が由来らしく、近くで見てみると、確かにヒレを優雅になびかせる金魚のように見えた。だいたい九十センチくらいはあるだろうか、長い茎からいくつもの花がついていて、とても見ごたえがある。

 少し先行して歩いている朝霧さんが、胸元に下げたコンパクトカメラを構えて写真を撮っているのが見えた。そうだ、見惚れている場合ではない。僕も写真を撮らないと。

 鞄の中から取り出したるは、真新しいコンパクトカメラ。電気屋の店員さんの意見を聞きながら購入したものだ。……財布のダメージは大きかったけれど。


「おお、いいカメラ」


「ふふふ、買ってしまいました」


 花を撮るときは、可能な限り接写するとよい、とネットには書いてあった。花壇に踏み込まないようにして、キンギョソウの姿を収めていく。

 撮った写真を確認する。ばっちり撮れていると思った写真は、なんだか平凡に見えた。


「……うーん?」


 思っていたのと違う。それに、練習ではもっと上手くいっていた。


「おお、いい写真じゃん」


 そういって朝霧さんはカメラのモニタを覗き込んでくるけれど。


「いや、まだまだ。もっといい写真が撮れるはずです」


 被写体がよくないのかもしれない。花壇の奥まったところに、ちょうど三色のキンギョソウが交わったところが見える。綺麗に画角に収められれば、よい写真になりそうだ。


「ズームだと……枝が入っちゃうな」


 であれば、手を伸ばして写真を撮るしかない。慎重に、他の花を触らないように手を伸ばす。もう少しでいい感じに……。


「っ!!!!」


 無理な体勢で手を伸ばしていたのが、祟った。足を攣ったと自覚した時には、すでに激痛が僕を襲っていた。痛みで体勢が崩れ、花壇の中に倒れそうになる。

 ……花を潰してしまう。


「小鳥遊くん!」


 朝霧さんの声が宙に舞って、僕の左手を掴む。だけど、男の体重を引っ張るには至れなかった。朝霧さんも体勢を崩し、二人で道の上に倒れ込む。


「あ、朝霧さん……大丈夫ですか」


「うん、大丈夫」


 朝霧さんは幸いにも、尻餅をついた程度で済んだようだ。ぱんぱん、とお尻を叩き立ち上がる朝霧さんと対照的に、僕は足を攣った痛みで立ち上がることができない。


「ほら、大丈夫?」


 しょうがないな、と言わんばかりの朝霧さんが、差し出した右手を掴む。それでようやく、立ち上がることができた。


「……すみません」


「ううん。でも、さっきの写真の撮り方は正直、いただけないかな。花壇に突っ込んでいたら、取返しのつかないことになっていたわけだし」


「はい……」


 キンギョソウに目をやる。特に僕が触ってしまったような跡はなさそうだ。静かに風に揺れている花に、ごめんな、と心の中で謝っておく。


「ま、気を取り直して行きましょうか。足はもう大丈夫?」


「ええ、もう歩けます」


 朝霧さんはそういって気遣ってくれるけど、彼女の足を引っ張ってしまった、その痛みが、足の痛みよりつらかった。

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