第三章(3)

 海沿いの街、神辺。

 神辺の市街地を抜けてしばらく車で走ると、神辺大橋(かんべおおはし)という大きな橋が見えてくる。その橋を渡った先が、渡会島(わたらいじま)。

 その渡会島が、次の取材先だった。


「渡会島の神辺側に、『ホテル渡会(わたらい)』というホテルがあるのはご存じ?」


「ああ、あの『渡会に行くなら一度はおいで、渡会のユートピア、ホテル渡会』の」


「そうそう! 有名だよね、あのCM」


 渡会に行くなら、のフレーズをメロディに乗せて口ずさむ朝霧さん。そういうCMがよく流れているのだ。僕も深夜アニメの途中に、何回も見たことがある。


「そのホテル渡会の大きな部屋を、取材で一つ借りることができたので! なんと! 泊まります!」


「え、マジっすか!?」


 これはテンションが上がる。神辺から渡会はそこまで遠くないため、CMでは知っていたが実際に泊まったことはない。地元あるあると言えばそれまでだが、これはめちゃくちゃ嬉しいな……!

 どんなホテルなのだろう。そして朝霧さんと一緒に泊まりだなんて!


「ん?」


「今、なんと?」


 あれ、おかしいな。

 僕が呟きかけたその時、モニターの向こうからそんな声が聞こえてきた。ひょい、と顔を覗かせる夜凪さんに、朝霧さんは満面の笑みで伝える。


「やはり今からは夏の行楽シーズン! 『ホテル渡会』からは海水浴場が見えますし、有名ホテルというだけあってレポートを望んでいる方も多いはずです。取材先には花畑もいれたので、これからのピクニックシーズンにぴったり! そんなわけで、 夏のシーズン前に取材をして、WEBにアップしようかな、と!」


「いや、そうじゃなくて。朝霧、あんた小鳥遊と取材に行くのよね」


「そりゃもう。遠出の機会なんてなかなか無いですから、小鳥遊さんにはしっかり同行してもらうつもりです! 小鳥遊さんの記事、評判いいですからね!」


 どうやらそうらしい。ありがたい話だ。


「で、部屋いくつ借りたの」


「先ほどもいったとおり、ホテル側から提案して頂いた大きな部屋を一つ借りました! なんでも海を一望できる素敵なお部屋らしく、もう今から楽しみで!」


「……やっぱり」


 あちゃー、と言わんばかりの顔をしている夜凪さん。


「なんですか? どうかしましたか?」


 あちゃー、となったのは僕も同じだ。

 しかし、なんと伝えたらいいものか。考える僕の代わりに、夜凪さんが言う。


「あんた、なんで異性と泊まるのに、部屋を一つしか取らなかったのよ」



「電話しないと!!」


 夜凪さんのツッコミに、慌てて朝霧さんは編集部から出ていった。

 この編集部、ビルの作りが悪いのか、携帯の電波が入りにくいのだ。曲がりなりにもメディアの編集部としては致命的じゃないのか、なんて思うけど、今のところは『電話するときは、エレベーターホールで』がお約束になっている。今頃きっと、エレベーターホールでホテルに電話をしているのだろう。


「まったく。朝霧は妙なところで抜けているというか……変なのよね。記事はなんだか感想文みたいだし、少し独特なセンスしてるな、と思う時、ない?」


 朝霧さんが立ち去った編集部の出口を見つめながら、夜凪さんが呟く。

 ポートランドに行ったときの、朝霧さんが書いた記事を検索する。


『ここでなんと、今日初取材の新人編集員がシューティングスターライトに初挑戦! 私はじっと、コースの外で彼を待ちます。すると、パークに響く彼の悲鳴! 実は私はジェットコースターが苦手だったのですが、その悲鳴を聞いて、彼には悪いですが大爆笑!!

初めてジェットコースターが楽しいと感じることができました! シューティングスターライト、おススメです!』


 自分の恥を晒された上にそんなことでおススメしないで欲しい、と心底思ったが、


「センスが独特、というか、見ているところが少し面白いですよね。僕は好きです」


「……見ているところ、か。確かにね。ジェットコースターの記事で『他人が悲鳴を上げているのを見て笑えるからおすすめ』なんて記事、見たこともないけど。

でも、私も好きだな、その記事。ジェットコースター、乗れないなりに楽しもうとしてるのが伝わってくるじゃない」


 夜凪さんの感想に頷く。朝霧さんのいう、自分が良いと思うことを、ありのまま伝えたい。その気持ちを体現したような記事だったから。

 そんなことを考えていると、夜凪さんが「ポートランドで思い出したんだけど」という。


「迷子センターでお母さんにきちんと話を付けられるだけのコミュニケーション能力があったり、面接でも、きちんと自分の考えている事を話してくれる人は初めてだ、って朝霧すごく褒めてたのよ。それでなんで他社の面接、落ちまくってたわけ」


「ああ……」


 就活時代、相当な数の面接に落ちたことを、いつか夜凪さんに話したっけ。


「文章で仕事をしたいな、って思ってて。でもライターの職って、倍率高いんですよ。やっぱり人気なんでしょうね。サンプルの文章を提出することがよくあったんですが、そこで落とされることがほとんどで。もう自分の文章ってダメなのかな……そう思っていたから、評価してもらえるのは、嬉しいですね」


「……なるほどね」


「どうかしましたか?」


「いや、別に。さっきも言ったけど、私は小鳥遊の文章、好きだから」


 言うだけ言って、顔が引っ込む。

 嬉しいやら、なんだか恥ずかしいやら。夜凪さんに褒めてもらったのだから、もっと頑張らないと。そう、思った。



 そんなことがあった、翌日、土曜日。

 僕は自宅で、朝霧さんのあじさい園のレポートを読んでいた。


『愛らしい朝顔は、まだ見ぬ明日に向かって花を咲かせています! これからグングンと育っていく朝顔のように、私も精進しなければ、と思いました!』


 こういう文章、書けないよなぁ、なんて思いながら、コーヒーを口に運ぶ。

 気持ちが暖かくなるのは、きっと朝霧さんの人となりが文章から伝わってくるからだろう。ついでに他の記事にも目を通してみたけど、自分の文章と比べて、朝霧さんの文章の方が数段優れて見える。

 自分の文章を卑下するなと言われたばかりではあるのだが、やっぱり見比べてみるとまだまだだなぁと思う気持ちは否定できない。


「……ん?」


 そんなことを考えながら検索サイトに戻った僕は、気になる記事を見つける。それは『WEBライターコンテスト、今年も受賞者決まる』という記事だった。

第十回、の記載があるあたり、それなりに歴史のある賞なのだろう。どうやらその一年間で作成された記事を、自薦他薦問わずピックアップし、表彰するコンテストらしい。

 記事の日付は、四年前。


『銅賞 東西旅行 朝霧雛子』


 そしてそこに、朝霧さんの名前を見つけた。どんな記事で受賞したかまでは書いてなかったけれど、やっぱり朝霧さんはすごい人なんだ、と思う。そして。


『金賞 東西旅行 一ノ瀬夕花」


 知らない人だ。朝霧さんのいう『先輩』がこの人なんだろうか。


『先輩の力になれるように頑張ったんだけど、書き上げた原稿を……なぜか怒られて、捨てられちゃったんだ』


 朝霧さんがポートランドで話していた内容を思い出す。その仕打ちが我が事のように思われて、なんだか『先輩』の文字を聞くだけで少し腹立たしくなってしまう自分がおかしかった。

 しかし、朝霧さんの文章を『下手くそ』というなんて。

 確かに賞の上では一ノ瀬さんが上かもしれないけれど、金も銅も、そんなに差がないんじゃないか、なんて思ってしまうのは、僕のひいき目なのだろうか。

 それにしても二人も賞を取っているあたり、東西旅行ってすごいんだな。朝霧さんも凄いし、その先輩も凄いし、もちろんサイトを作っている夜凪さんも、凄い。

 そんなすごい人達に囲まれて、自分にはなにが出来るだろう。


「とりあえず、朝霧さんの記事を片っ端から読んで勉強するか。写真も覚えないとな」


 やることは沢山ある。自分に言い聞かせるように呟いて、僕は「やるぞ!」と拳を突き上げた。



 それにしても。

 夜凪さんのいう……僕だけの武器って、なんだろう?

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