第三章(2)

 ポートランドの記事を纏めている時のこと。うまく考えが纏まらず、夜遅くまで残業した日があった。

朝霧さんは「帰ってリフレッシュしたほうがいいよ」なんて言ってくれたけど、僕は一日休むとせっかく固まりかけた考えがまた霧散してしまいそうで、「いや、出来るまでやります」って言ったんだっけ。

 朝霧さんも仕事があるとかで残業していたけれど、キーボードを叩く手は残業しているにしては緩やかだったから、もしかしたら僕を待ってくれているのかもしれない、という気になり。

 それが、心の中で勝手に負い目になっていたのかもしれない。


「……うん、上手く書けてる」


 夜の十一時。終電間際、ようやく書けた原稿に朝霧さんが頷いてくれたとき、僕の心には原稿が完成した、という嬉しさより、申し訳なさが先に立っていた。


「いや……すみません、僕の文章なんかのために、時間を取ってもらってしまって」


 それが良くなかった。朝霧さんの頬が、ぷくっと膨れる。


「僕なんかの文章、ねぇ」


「……あっ」


「そうかそうか、小鳥遊くんは自分の文章をそんな軽い気持ちで考えていたんだ。なるほどな、じゃあ私も急いでチェックして損したな、その程度の文章だもんなー」


 ちらりとこちらを見て、唇を尖らせながら笑う、という器用な真似。


「いや……すみません。渾身の作です」


「だよね。まったく、謙遜するのはいいんだけどさ、卑下するのは違うよ。たとえ自分で『下手な文章だな』と思ったとしても、それが渾身の力を込めて書いたものであるなら、胸は張るべきだと思う」


 パソコンのモニターを見る。

 何時間掛ったのだろう。文章量にしてみればたったの三千文字。朝霧さんだったらもっと早く書き終わっていたのかもしれない。だけど……自分なりに頑張った、渾身の文章。


「少なくとも、私は自分の文章に誇りを持ってる。自分の作品に自分が味方してあげられないなら、誰がその作品の味方をしてあげられるのかしら」



「それに、私、小鳥遊の文章好きよ」


「本当ですか!?」


 思いもかけず褒められてしまったので、椅子を蹴って立ち上がってしまう。夜凪さんはびっくりした表情を少しだけしたが、冷静に僕にいった。


「立ったついでに、休憩行って来たら。もう正午よ」


「あ……そうですね」


 コンビニにでも行くか。今日から確か、お弁当増量キャンペーンをやっていたような。


「夜凪さんは、なにかいります?」


「エナドリ。無糖のやつ」


「体壊しますよ……」


 まあ、褒められたお礼に買ってこよう。編集長と失礼なことを言ってしまったし。そう思って編集部を出ようとすると、後ろから声が聞こえる。


「……小鳥遊。もしかしたら朝霧の真似でもしようとしたのかもだけど、そんなことしなくていい。お前はお前の武器がある。それを、探してみたら」


「……武器、ですか」


「アドバイスはここまで。さっさとエナドリ買ってきて、喉渇いた」


 素っ気ない。夜凪さんに追い立てられるようにして、編集部を出る。

 コンビニで買い物をしている最中も、夜凪さんの言葉がずっと頭に引っかかっていた。



 お弁当と、夜凪さんがよく飲んでいるエナジードリンクを二本追加で購入する。

 編集部で食べよう、と思ってビルに戻ると、ちょうどエレベーターホールで朝霧さんと出くわした。


「おや、小鳥遊くん。お昼休憩?」


「ええ。朝霧さんは今戻りですか? お疲れさまです」


「いやほんと、疲れた疲れた。途中で電車が事故で止まっちゃってさ、さっさと写真を撮って帰ってこようかと思ったのに、帰ってこれなかったのよね」


「あー、それは……大変でしたね」


 そんな話をしながら、編集部へと戻る。僕らの声を聞いたのか、夜凪さんがひょっこりとモニター越しに顔を出した。


「お疲れ、朝霧。電車止まってるって出てたけど、大丈夫だった?」


「あ、うん。大丈夫よ」


「ふうん。大丈夫ならよいのだけど」


 ……?

 今の会話に、不思議な雰囲気を感じる。でも、朝霧さんは何事もなかったようにデスクでお弁当を開いているしな。

 そんなことを考えていると、夜凪さんの「ご苦労」という声と共に、ひょいひょいと机に置いたコンビニの袋からエナジードリンクが抜き取られていく。


「いくらだった?」


「いいですよ、陰口代です」


「そ。ありがと」


 シュコッ! とプルタブを持ち上げる音が響く。一息に飲み干す音をモニター越しに聴く僕に、朝霧さんが妙な顔をする。


「陰口?」


「そ。小鳥遊、私たちの指導についてこれないんだって」


「!? そうなの!? あんなに楽しそうに話してくれてるのに!?」


 はっ、と驚きの表情を浮かべる朝霧さん。なんだかまたあらぬ誤解をされているような気がする。


「いや、編集長とそんな話をしていて」


「やっぱり付いていけてないんだ……。大丈夫? 私の言ったことも伝わってる? 問題なさそう?」


 ……要らぬことを言ったかもしれない。

 朝霧さんは入社して以来、僕が「分からないことがあるんですが」というと、親身に、というより、それを通り越して過保護なくらいに近寄ってくることがある。

教えてもらう側でそんなことを思うのもどうかと思うが、なんだかあまりに丁寧なので、僕が辞めるんじゃないかと心配されているように感じる。そんなことはないのだけど。


「いや、大丈夫ですよ。朝霧さんの教え方、めちゃくちゃ分かりやすいので」


「そ? それならいいのだけれど。あ、タコさんウィンナー食べる?」


「え、いいんですか!?」


 コンビニおにぎりを食べているところだったからとてもありがたい。それに、朝霧さんの手づくりのおかずが食べられるなんて! 普段外食が多いが、たまに編集部で食べるといいことがあるものだ。

 わくわくする僕の前に、お弁当のフタを皿代わりにして、置いてくれたそれは……。


「……タコさん?」


「はい!」


 あまりに多脚の、なにかだった。そしてなぜか、青い。


「かわいいでしょ」


「あ、はい、とてもかわいいです」


 タコ? いや、足の数が多すぎるし、包丁の切れ込みで作られた顔はなんだかすごく……怒っているように見える。そしてなぜ青いんだ。でも「タコに見えないですね」というと悲しそうな顔をされる気がしたので、黙っておいた。


「だよね! 自信作なんだ!」


 僕が褒めるのに気を良くしてくれたのか、お弁当箱の中身を見せてくれる。

 その中身は、あまりに……不思議な風景だった。

 ご飯が海苔で覆われているのは、まあわかる。だとして、卵焼きが白いのはなんでなんだろう? ミートボールは確かに美味しそうだけど、タコは青いし、その、耳が鬼のように尖ったりんごは……。


「これ、ウサギですか?」


「そう! かわいくできたんだ、この耳の形!」


 当てづっぽうで言ったが、どうも当たっていたらしい。


「タコはどうして青に?」


「海に住んでるから」


 そんな、当然でしょ? みたいに言われても。

 モニターの向こうで夜凪さんが小さくため息を吐いているのが聞こえる。いや……独特の感性だな……と思いつつタコさんウィンナーを頬張ると、味はおいしかった。


「次の取材、お弁当作ってこようかな」


 その顔を見て、思い出したように朝霧さんがいった。


「え、マジですか」


「そうそう、次の取材先はピクニックにうってつけなんです。そうだ、ちょうどいいから打ち合わせをしましょうか! 今回は少し、遠出ですよ!」

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