第二章(8)

 帰りの電車は爆睡していた。


「小鳥遊くん、大丈夫?」


「さすがに少し疲れましたね……」


 おまけに一度深く眠ってしまったものだから、体が休眠モードに入ってしまい、眠くて仕方がない。朝霧さんに心配されながら帰社すると、夜凪さんが相変わらず猛烈な勢いでキーボードを叩いていた。


「ただいま戻りました」


「おかえり。……小鳥遊はずいぶんやつれているようね」


「いや本当、疲れました……」


 それに引き換え、遊園地であれだけ動いたというのに朝霧さんの動きはテキパキしている。しばらく僕がぼーっとしている間に朝霧さんはどこかに消えたかと思うと、コーヒーを両手に帰ってきた。昨日知ったのだが、コーヒーサーバーがエレベーターの近くに置いてあるらしい。


「改めてお疲れ様でした。ま、一服しちゃってくださいな」


「あ……。すみません、後輩なのに」


「まったくだ。朝霧、私のコーヒーは?」


「手は二つなので、無いです」


「……」


 夜凪さんが憮然とした表情で編集部から出ていく。にこにこしながら見送った朝霧さんは、さて、と僕に向き直って、言った。


「取材はどうでしたか? といっても、今日は……とてもイレギュラーな一日でしたが」


「そう、ですね。でも、楽しかったです」


「そうですか! そうであれば、良かったです」


 朝霧さんは僕が『楽しかった』というと、すごく喜んでくれる。そんな姿に、改めて朝霧さんが上司で良かった、と思った。

 苦いコーヒーが脳に染みる。ようやく覚醒してきた僕の前で、朝霧さんがパソコンの画面をこちらに向ける。そこには『記事が出来上がるまでの簡易スケジュール』という画面が表示されていた。


「今日撮ってきた素材を元に、明日からは私たちで文章を書いたり、写真をピックアップしたり、WEBページを作るための作業に入っていきます」


「明日からも、大変そうですね」


「でも、大丈夫。一つ一つ丁寧に教えますから、一緒に頑張りましょ?」


 にこっ、と微笑む朝霧さんにいわれると、なんでも出来る気になってくる。よし、明日からも頑張ろう……となるのは、僕が単純だから、だろうか。


「それじゃ、今日はここまでにしましょう。上がって大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。それじゃ」


 朝霧さんの入れてくれたコーヒーを飲み干し、席を立つ。


「気をつけてね。また明日」


 笑顔で見送ってくれる朝霧さんに会釈して編集部を出ようとすると、コーヒーを持った夜凪さんとすれ違った。


「帰るのか」


「ええ。お先に失礼します」


「ああ。……朝霧は、どうだった?」


 どうだった、か。


「面白い人だな、と思いました。……それに、面倒見、めちゃくちゃいいですよね!」


「面倒見、か」


 質問の意図に合った回答かはわからなかったけど、とりあえず答える。その答えに夜凪さんは、何故か考え込んでしまった。


「あの……なにか悪いこと、言いました?」


「ん? いや、そんなことは無い。気をつけて帰れよ」


「?」


 小さく手を挙げて編集部に戻っていく夜凪さんを見送り、エレベーターのボタンを押す。

 待っている間にふと横を見ると、エレベーターホールから神辺の夜景が見えた。

 翼と花さんは、どうしただろうか。仲良く家まで帰れていればよいのだけれど。


「母親、か」


 時計を見る。まだ近くのデパートの催事場が開いている時間だ。

 朝の通勤中に、デパートの催事場でバームクーヘンの即売会をやっている広告を見たような。母親は甘いもの好きだから、買って帰るのも悪くないだろう。

 僕の足は、自然とデパートの方に向かっていた。



 母親はまだ帰っていなかった。この時間まで不在、という事は、ひょっとしたら今日は残業なのかもしれない。

 テーブルの上にバームクーヘンの包みを置いて、二階に上がろうとする。

 その時、今日何度も聞いた言葉が頭を過ぎった。


「『言わなきゃ、伝わらない』……だよな」


 鞄の中からノートを取り出し、切り取ってメモにする。ボールペンで『いつもありがとう』と書いた文字はぶっきらぼうに見えてしまったけれど、まあ良いだろう。

 それにしても疲れた。簡単にシャワーだけ浴び、ベッドにダイブする。

 今日一日を思い返していると、最後に翼の顔と、花さんの顔が浮かんだ。

 あの家族によい明日が待っていますように。

 そっか。採用ページに書いてあった文言を思い出す。


「……旅行は、明日を探すこと、か」


 改めて、いい言葉だな。そんなことを考えていると、意識が闇に沈んでいく。


 明日はどんなことが起こるのだろう。朝霧さんの足を引っ張らないように、しっかり勉強しなければ。


 ……明日が、待ちどおしいな。

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