第二章(7)

 アトラクションを出ると、空はもう夕方と夜が交わったような色をしていた。


「母さん、怒ってないかな」


 朝霧さんと手を繋いだ翼が、俯きがちに呟く。


「怒ってなかったよ。むしろ、心配してた」


 僕の言葉に翼はなにもいわない。気まずいんだろうな……わかる。

 花さんはさっきと同じ、事務所前のベンチに座っていた。周囲には人も少なく、僕らが近づく音に花さんが顔を上げる。


「……翼」


 花さんは翼を真っ直ぐに見つめているが、翼は何事かを躊躇うように視線を逸らしている。自分から飛び出した手前、恥ずかしいのかもしれない。

花さんはそんな翼に、ゆっくりと言葉を重ねていく。


「おいで。おいで、翼」


 優しい声に、翼が朝霧さんの手を振りほどく。花さんに駆け寄った翼は、大きく手を広げた彼女の胸に飛び込んだ。

 花さんの洟をすする音と、翼の大きな泣き声。合間に小さく、言葉が聞こえる。


「ごめんね、翼。お母さん、ついあなたを突き放すようなことを言っちゃって……」


「ううん、オレも……わがまま言って、ごめんなさい」


「小鳥遊くん、改めてごめんね」


 そんな二人を遠目で見守っていると、朝霧さんが口を開く。


「……謝られるようなこと、ありましたっけ」


 心当たりがない。ふふ、と朝霧さんは微笑を浮かべ、続けた。


「翼くんのこと。あそこで管理事務所に連れて行って、お母さんに引き渡しても良かったのだけど。なんとなく、単純に喧嘩とかじゃないんだろうな……って思って、連れまわしちゃった。最後は本心が聞けてよかったけど、小鳥遊くんには迷惑を掛けたと思う。ごめんね」


「いえ……大丈夫です。僕も、あの場ではどうしたらいいか、困っていたので」


「そっか。私も思わず連れまわしちゃったけど、どうしたらいいか分かんなかったんだよね。でも翼くんと話しているうちに、本当はお母さんのこと、すごく心配してるんだなって思って。過去では喧嘩しちゃったけど、未来では仲直りしてもらいたい。そう思って、あのアトラクションに連れて行ったんだ。まさか、翼くんがあんなにしっかりしているとは思わなかったけれど」


 くすりと笑う。


「未来……ですか」


「それに……ああいう家族、放っておけなくてね」


「?」


 朝霧さんはどこか遠くを見るように、視線を飛ばす。その様子を不思議に思っていると、翼と手を繋いだ花さんが、僕らのところに歩いてくるのが見えた。


「本当にこの度は、お世話になりました」


 頭を下げる花さんに、いえいえ、と手を振る僕の横で、朝霧さんは翼に尋ねた。


「翼くん。お母さんにちゃんと、お話できた?」


「うん。母さんに寂しいって、ちゃんと伝えられた。そう言ったらさ、母さん、観覧車に乗ってくれるって!」


「あれ、でも巽くんが高いところ……」


「先ほど管理事務所にお邪魔したときに、時間限定の託児サービスがある、と教えて頂いたんです。観覧車だったらすぐですし、少しだけ巽を預けようかな、と思いまして」


「なるほど」


 託児サービスまであるとは知らなかった。さすが神辺市民御用達のテーマパーク。


「じゃあ、私は巽を預けてきますね」


 花さんが管理事務所に向かい、再び翼と三人になる。


「良かったな、翼」


「うん。母さんと観覧車乗りたかったから、嬉しいんだ」


 そういえば。翼、ずっと母親と観覧車に乗りたがっていたよな。


「なんで観覧車に乗りたかったんだ?」


「ん? オレの名前、翼じゃん。母さんがどこまでも飛んでいけるように、って意味を込めて付けてくれたんだって。だから観覧車とか、ジェットコースターとか、高いところ好きなんだよな!」


 先ほどまでの泣き顔が嘘のように、ニカッ! といい笑顔で僕に話してくれる。

 そんな話をしていると、花さんが帰ってくる。


「それでは、これで」


「姉ちゃん、兄ちゃん、ばいばい!!」


 丁重にお辞儀をしてくれる花さんは、待ちきれない、とばかりに翼に手を引かれて、笑顔で去っていく。

 その姿が見えなくなるまで手を振って、朝霧さんが一つ、伸びをした。


「さ。それじゃ、私たちも帰りましょうか」

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