第10話 入学試験
断言します。私の兄は、この世の理すら超えた、真に畏敬すべき存在です!
私は芦原昴。成り上がりと蔑まれる貴族の長女である私には、血の繋がりを超えた、運命によって結ばれた兄がいます。
前世の記憶を持つ兄は、かつて私たち家族に対し、常に薄い膜一枚隔てるような遠慮がちで、どこか達観した子供でした。
父との約束とはいえ、幼い私に陰陽術の深奥を説く彼の姿は、最初から「特別」という言葉では測り知れないものでした。
その隔たりが消え去ったのはいつからか…いいえ、私にとって兄は、今も、そしてこれからも、唯一無二の、魂の奥底で繋がる大切な人。その揺るぎない事実は、語り尽くせぬほどです。
それはともかく。
兄は、霊力を失ったと、父と共にかつてそう語りました。当時はその意味すら理解できなかった幼い私ですが、今ならわかる。父の命が尽きかけた時、兄は、禁忌とされる『泰山府君祭』を十歳の身で完遂し、死者を黄泉の国から引き戻したのです。
それは、どれほどの奇跡であり、どれほどの業であったことか。その場に居合わせた者ですら、そのあまりにも途方もない偉業を、脳が認識することを拒絶したかのようでした。
しかし――その代償は、計り知れないほどに大きかった。兄は、自らの膨大な霊力のほとんどを、父の命に捧げたのです。そして、自らを「もはや最強の陰陽師ではない」と語るようになりました。
血の繋がらない家族のため、自らの根源たる力を惜しみなく差し出す少年。その崇高なまでの自己犠牲は、凡百の霊力自慢の陰陽師には決して真似できない。そう、私の兄は、その存在そのものが、常軌を逸した偉大さを秘めていたのです。
そんな兄の、揺らぐことなき支えとなりたくて、私は狂おしいほどに研鑽を重ね、飛び級の資格を掴み取りました。なぜか?
兄と同じ学園で、同じ時を刻み、常にその傍らに在るためです! 妹として、これは当然の事なのです。
さて、そんな兄は、陰陽寮付属如月学院高校への受験を決意しました。
当然、私も同行します。私も一応受験はせねばなりませんしね。飛び級が認められたからといって、あくまでも受験する権利を得ただけですから。
そして受験日当日。
道すがら、穢れた瘴気を纏う小さな邪霊が、幼い少女に牙を剥いていました。
それは、かつて父すらも一度遭遇したと語る、災害級たる第一級邪霊『餓鬼蜘蛛』。その禍々しき存在感は、一流の陰陽師が束になっても調伏が困難とされるほどの、まさしく恐るべき脅威――それが、なぜこんな場所に…!?
迷いなど、一片たりとも許されない。私と、兄の忠実なる式神、九重は、瞬時に動いて少女を護り抜きました。
だが、餓鬼蜘蛛は愚かにも、その禍々しい牙を、よりにもよって兄へと向けた――その瞬間、一撃。文字通り、それは一瞬にして、塵すら残さず吹き飛び、消滅したのです。
霊力が無くなった、失った、と? とんでもない。それは兄が、自らに抱いた大いなる勘違い、幻想に過ぎません。
確かに力の大半を泰山府君に捧げ、失ったのは事実。
そう、例えるなら――
銀河を一撃で両断するほどの巨人が、地球を掌で握り潰せる程度の巨体になってしまい、「俺はもはやただの人間だ……力を失った」と嘆くようなものです。
少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、その本質はまさにこれ。
無量大数の値が垓や京に減じたところで、十や百から見れば、その途方もない偉大さに変わりはないわ、というのと同じです。
そう、私のお兄様は、何よりも強く、何よりも偉大なのです、えっへん。
◇
まあそんなこんなで、試験が始まりました。
まずは学科試験。国語、数学、英語に加え、呪術理論や陰陽史――これが最大の難関です。なぜならば、教科書に記された術理や歴史は、兄が教える平安の真実とは、まるで乖離しているからです!
「教科書の術理は、俺の前世と比べて、どうにも後退しているな。平均化された呪術は確かに便利であり広まったが、その代償として、本質的なレベルが地に落ちた」
と、兄が寂しげに笑ったのを、私は忘れません。
ですが、父は言いました。
「確かにそうだけどな。試験では教科書通りに書いとけ。教師どもは真実より、彼らが信じる『正解』を求めるもんだからな。内心で嘲笑いつつ、従っとけばいいさ」
全くその通り!
兄の知識は、千年の時を超えた平安の叡智。現代の矮小な教科書に合わせるのは、さぞや苦痛を伴うことでしょう。お兄様は、そうした世俗的な順応には、少しばかり不器用なところもありますしね。
兄の知る、そして私にだけ教えてくれる素晴らしい真実を、愚かな世が認めないという憤り。
しかし同時に、その真実を私だけが独占できるという、背徳的な喜びに、私の心は密かに高揚するのです。
そして学科試験は終わりました。
「どうでしたか、お兄様」
私の問いに、
「駄目だ……なんとか平均点はとれてると思いたいが……」
兄は、苦渋に満ちた表情で答えました。
しかし私は知っている。
兄は、先程も言ったように、自己認識が著しくズレている。自らを人間サイズになったと思い込んでいる、規格外の巨人なのです。
だからきっと大丈夫だろう。何の心配もいりません。
もし落ちていても、その時は私も兄と一緒の学校にいけばいいだけなのですから!
「どんまいです、お兄様」
私は、これ以上ないほどの満面の笑みで、兄の頭を優しく撫でました。ああ、この至福。この瞬間こそが、私の生きた証。
◇
次は霊力測定試験。公開で行われ、受験生たちの格付けが、白日の下に晒されます。
「受験番号0104号、芦原昴!」
私の名が呼ばれました。
測定用呪具に霊力を注入。その表示は、
「53000」
審査員がどよめき、騒然とする。
「信じられん……一体どのような常軌を逸した訓練をすればこれほどの値になるというのだ」
「彼女が飛び級の天才児だという話は聞いていたが……想像を絶するぞ」
しかし53000か。もう一桁、いや二桁あれば、父が愛読する漫画のボスキャラの戦闘力に比肩し、さぞや狂喜したことでしょうに。
私はあとふたつ変身を残している。この意味が解りますね? などと言うのです。
閑話休題。
そして、いよいよお兄様だ。
「受験番号0105号。芦原斗真」
お兄様が、ゆっくりと前に進み出る。
「では霊力を注入してください」
「了解しました」
兄は、微かに緊張している。大丈夫ですお兄様。あなたが霊力みそっかすだと思っているのはたぶんお兄様だけですから。
さあ、見せつけてあげてください、彼らに、お兄様の実力を!
――だが。
「……霊力値、0……」
表示されたのは、無情なまでの「00000」という数字でした。
――そんなバカな、あり得ない!
ついさっき災害指定の一級邪霊を一撃で消し飛ばしたお兄様の霊力がそんなことあるわけがない!
「……ん?」
私はもう一度表示を凝視する。
そういえば、私の前の人の霊力値表示は、3500でした。
「03500」ではなく、「3500」だ。
……これはあれですね。
霊力値1000000とか10000000とか、あるいはそれ以上だからこそ、この陳腐な機械では表示しきれず、「00000」になっているパターンです。
異世界ものの小説で読んだからわかります。
これが「00」だったら「∞」の表記ミスとかいう展開だったのでしょう。
「……なるほど。お兄様の霊力が桁外れすぎるため、霊力測定器が、その途方もない数値に耐えきれず、パンク状態になっているわけですね。ふふっ。何ともお兄様らしい、可愛らしいハプニング」
私は思わず苦笑を漏らしました。
しかし、これをそのまま試験官たちに報告するべきか――
私は一瞬、逡巡し、そして結論を出す。
「……やめておきましょう」
兄は凹んでいる。やはり自分の霊力は回復していない、と思っているのです。そして更なる努力と研鑽を誓う、崇高なまでの決意が滲み出ていた。そんな顔。
ああ、ぞくぞくする。
私だけが兄の真の理解者です。そしてこの世で唯一、兄を心から慰められる。兄の真価を今だけは独り占めできるし、その揺るぎない支えにもなれるのです。たまりません。
『……まあどうせ、斗真様の真価はすぐに愚かなる民草の目にも明らかになるでしょうけれど』
九重ちゃんが念話で囁いてくる。彼女もこの滑稽な光景を目にしている。ます。
それに関しては私も同意です。兄の比類なき素晴らしさをいつまでも隠し通せるわけがない。流石九重ちゃん、よくわかっていらっしゃる。私の姉にして妹にして同志なのは伊達じゃないという事ですね。
◇
……続いた実技試験でも、兄は、その圧倒的な実力を遺憾なく発揮し、悉く好成績を叩き出しました。いや、出し過ぎました。
そして霊力値判定の「00000」という先入観が強固に尾を引き、ことごとくが装置のミス、不都合だろうと片付けられたのは、もはや滑稽で、笑うしかなかったけれど。
そうかー。不良品の式神だから一撃で破壊されてね仕方ないですわよねー、とでも言いたいのでしょう。
そんなわけないのですけど。
うん、人の理解を超えた実力と言うのは、目の当たりにしても、凡庸な者には決して理解されないものなのですね。
数日後、兄は補欠合格し、そして無事に入学が決定しました。
危うい綱渡りでしたが、結果オーライです。
そして始まる――私と、最愛のお兄様との、甘美なるラブラブ学園生活が。
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