終わる世界の『転』③――青
暗視ゴーグルをつけ、ミィが寝ている深夜の内に民家を探すことにした。といっても、サイドカーに寝かせておいて一人で探索するワケじゃない。バイクから離れたらこんな状態でもミィは目を覚ましかねないし、方位磁石もない中うろつけば、近場であってもランタンの目印なんて見失ってしまう恐れがある。ミィの言ったフラグにしか聞こえない『いっしょういっしょ』という約束は……まあついでだ、ついで。
定期的に検温したり額の濡れタオルを取り替えながら、エンジンのかかっていないバイクをひたすら押す。大型バイク+サイドカー+大量の積み荷で重量は四百キロ近くあるだろう。重いことは重いが、サイドカーのおかげで車体が傾かず安定感がある。力一杯押せば、なんとかタイヤは転がってくれた。
道路脇に民家がないことは判っているから、ひとまずすぐ近くにあった脇道に入っていった。建物はなかなか見つからず、道が枝分かれしたところで引き返そうか一旦迷う。しかし結局、『今までの苦労が水の泡になってしまう』だとか、『道があるということは人が利用していたんだから』などと強引に理由をこじつけて片方に進んでしまった。典型的なコンコルド効果だ。
案の定、道に迷ってしまった。いくつもの分かれ道を進む内、森の中に入ってしまったのだ。辺りは隕石の落下によって燃え落ちたり、クレーターと化している部分もあるにはあったが、早期に雨で消火されたらしく鬱蒼としている。今から戻ろうとすると余計に迷ってしまうのは確実なので、とりあえずその場で夜が明けるのを待つことにした。半径三メートルほどのクレーターの中央で立ちどまり、安全確保のため懐中電灯で辺りを見回す。
ある一点で光が反射した。動物の眼ではない。平面的な石か何かのように見える。しかしそれはオレの身長の倍ほどもある高さで光っている。もしやとバイクを押して近づいていくと、木々に隠されていた光は次第に鱗のような模様を描き出した。――瓦だ。民家がある!
夜明け頃に到着したのは、田舎らしい平屋の一軒家だった。オレが来たのとは逆方向に未舗装の細い道が伸びている。車が通れる道ではないため当然駐車場は見当たらないが、母屋の脇には大きな納屋も建っていた。
サイドカーに積みあがった布の山を取り除いてから、しばし逡巡する。熟睡している様子に起こすことは諦めて、分厚いコートや手袋を身に着け、数枚の毛布でグルグル巻きにしたミィを抱え上げた。
驚いていきなり身を起こしでもしようものなら接触しかねない状況だったが、ミィは眠ったままだ。敏感なのはオレの気配の喪失に関してだけらしい。
ミィはオレの腕の中で安心したかのように身を委ねきっている。熟睡すると子供であっても結構重いと小説で読んだことがあるが、ただの毛布の塊を抱えているのかと勘違いしそうなほど、抱えた両腕には重みを感じなかった。
「やっぱもっと食わせねえと駄目だな。食いしん坊なくせに偏食で少食だからなあ、こいつ」
呟きながら母屋にミィを運び入れる。家の中は小さな隕石がいくつか降り注いでいたものの、一部屋だけほとんど無傷の部屋があった。居間らしいそこにミィを寝かせ、看病を続ける。
薄暗かった室内に窓から雲越しの弱々しい日光が差しこみ始めたのは覚えている。次に気付くと真っ暗闇の中、埃くさい畳の感触が片頬を押していた。
横寝の体勢から慌てて起き上がる。全身が重く、畳についた手の平にジャリジャリとした細かい砂の手触りを感じた。反射的に手を伸ばしそうになって、畳に沿わせるように慎重に指先を進ませる。毛布の感触を避け、なんとか畳に転がっていた懐中電灯のスイッチを入れた。
明るくなった視界に毛布が入ってこなくて一瞬焦ったが、懐中電灯が少し離れた位置に落ちていただけだった。寝落ちして、手か足で吹っ飛ばしてしまったのだろう。
ということは、もしやミィにも知らずに攻撃してしまったかもしれない。急いで確認すると、ミィは記憶にあるままの姿で布団の中で熟睡していた。そもそもミィと接触していたら、オレは目覚めることすらできていないのだ。
寝ぼけ頭を軽く振りつつ、枕代わりの重ねたバスタオル脇に置いてあった体温計を手にとる。ミィは寝息は苦しそうだが、口に体温計を押しこんでみると、三十九度五分で上昇がとまった。とりあえず下がり始めてはいるようだ。
ひとつ息を吐くと、思い出したように尿意を覚えた。一応ランタンの灯りを小さく点けておき、静かに襖を開く。部屋から出る前に振り返ってみたけれど、驚異の寝起きのよさも一時的に鈍っているのか、規則正しい寝息が聞こえてくるだけだった。
トイレ内を確認すると、外と面する壁は一部が崩れてしまっていたが、便器自体は無事だった。座る必要はないのに、条件反射で座ってしまう。途端に泥のような睡魔が押し寄せてきた。寝てはいけないと思うのに、目蓋が落ちるのを抗えない――。
「ギャッ!」
突如聞こえてきたすさまじい悲鳴に眠気が一気に吹き飛んだ。急いで居間に戻ると、ランタンのかすかな灯りが照らしているのは毛布だけだ。左右に懐中電灯を振ろうとしたが、その前に毛布の中央がわずかに動いた。中に潜りこんでいるらしい。
「どうした? 何があった?」
捲ろうとしたら、毛布の端を小さな手が必死に掴む。「な、なんでもない」小さな声が聞こえてきた。
弱々しいながらも返事が戻ってきたことに安堵して、いつものノリで返す。
「嘘つけ。なんか隠してるだろ」
言葉の途中で無理やり毛布を剥ぎとった。懐中電灯が照らし出したのはミィの困りきった顔。それから、シーツ代わりの白いバスタオルとミィの着ている白いワンピースに点々とついた赤い染みだった。
「…………着替え、アレしてやる。タオルもアレ――だからその、アレだ。ちょっと待っとけ」
回らない頭でなんとかそう言い、逃げるように部屋を出た。
焦った。子供みたいな体形をしているから忘れていたが、アイツも一応年頃の女なのだ。今まではどうしていたんだろう。いや、十四、五歳でも発育が悪いから、さっきのがいわゆるしょちょ……なのかもしれない。道理であんな悲鳴を上げたワケだ。まったく知識がない状態でいきなり出血してるんだもんな。……というコトは、オレが必要なアイテムの準備から使用方法まで、全部お膳立てして教えてやるしかないのか。
トイレのドアを開けながら重いため息が漏れる。知識だけなら、中学生のときに性教育の特別授業があったから一通り揃っている。しかし間接的とはいえ、自分が関わることになるなんて想像もしていなかった。一人娘の成長に戸惑う男やもめにでもなった気分だ。
トイレの中を懐中電灯で照らすも、目当てのものは見つからなかった。場所柄的に住んでいたのは老人だったのだろう。トイレカバーなどの調度品は女性的だが、デザインが古くさい。
収穫はなかったものの、近くから水の流れる音が聞こえてきた。先ほどトイレに入ったときは気付かなかったが、崩れた壁のすぐ側を小川が流れているようだ。積み荷の中に手動の水汲みポンプがあるから、ホースをトイレタンクに突っこんでおけば問題なく使えるだろう。
タンク内の水は半分ほど残っていた。他にトイレットペーパーがセットされていることを確認して、外に停めてあったバイクから衣類の積み荷を運び入れた。玄関先でハンドタオルと男物のボクサーパンツを取り出す。ミィにはかなり大きいだろうが、川で汚れた下着はまだ洗っていないためとりあえずの応急処置だ。
タオルをみっつに裂いてから部屋に戻った。裂いたタオルを折りたたんでボクサーパンツに宛がいながら、ミィに使い方をレクチャーする。毛布から顔だけ出したミィは自分の状態に頭が追いついていないらしく、ポカンと放心している。熱で朦朧としているからパニックには陥っていないようだが、やはり処置の説明だけじゃこの先マズいか。
「……ってことで、その血はお前の身体が成長した証なんだ。病気でも怪我でもないから安心していい。一週間くらい続くから、その間はさっき言った通りにして、汚れたら取り替えろ」
特別授業の受け売りを終えるも、ミィはやはりポカンとした顔から変わらない。
「おい、判ってるのか? 自分のことだろ。さすがに面倒なんか見てやれないからな」
きつめに念を押すと、やっと「う、うん。判ってるよ。ちゃんとやる」と反応が返ってきた。どこまで判ったのか怪しいものだが、フラフラしながらもミィがトイレに立ったので、ひとまずこれでひと段落ついた。
見ないように顔を背けたままシーツ代わりのバスタオルを引っぺがし、捨てるかどうか悩んで、とりあえず汚れもの用のビニール袋に押しこんでおく。
そのあとは戻ってきたミィの看病を続け、またしてもいつの間にか眠りこんでしまった。
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