終わる世界の『転』①――青
二人の姿が見えなくなってもボートで川を下り続けた。
改めた積み荷の中に方位磁石はなかったものの、途中から川の横を広い道路が並走するようになった。焦げた壊れかけの標識に、『千曲川・七ケ巻まであと』と書いてあるのが見える。千曲川――受験勉強で見た記憶があるのだが、どこを流れる川だか覚えていない。七ケ巻も知らない地名だ。考えている間に、鉄塔がほとんど見えなくなったところでボートが停止した。
ガス欠になったボートを乗り捨てて、サイドカー付きのバイクに乗り換えることにする。ボートの側面が展開できたため、それを橋渡しにしてなんとか一人でもバイクを地上に移すことに成功した。
ちなみにミィも手伝って、散々オレの邪魔をしてくれた。毎度のことながら、一生懸命だからこそタチが悪い。フラフラになっているというのに、それでも無駄口も叩かず必死でバイクを押そうとするミィの髪から和柄のヘアゴムが落ちた。反射的に拾って渡してしまった。何度もぶつかりそうになるわで、本当に散々だ。
次は積み荷の移し替えを行う。一応、すでにいくつかの荷物はバイクにくくりつけられてあった。しかし行き先に物資があるとは限らないので、できるだけ多く持っていきたい。
ボートに積んであった防寒着や食料、飲料水の他に両手に抱えるサイズの本格的な浄水装置、ガソリンの携行缶はもちろんあるだけ全部だ。それらをバイクの後ろにくくりつけたり、サイドカーに積みこんでいく。
低い気温の中額に汗して働いて、やっと積み替えが終わった。川を下っている途中から平行していた広い道路を進むことにする。この方向は緑……アイツらが捜索隊を出そうとしていた方面だが、それはつまりこの先に町があるということだ。最悪そこまでいけば態勢を整えることはできるし、それより前に別の大きな道との合流地点があれば、アイツらのあずかり知れぬところまで離れることができるだろう。
「行くぞ」
「……狭い」
バイクに跨り短く号令をかけると、サイドカーの隙間に収まったミィが小さく独り言を漏らした。
「文句言うな。お前運転できねえだろ。乗せてやるだけありがたいと思え」
「ひどい~。ミィだって頑張ったもん」
『ひどい』と言いながら、へこたれていたミィが笑顔になる。
「……もっと早く出発できたんだよ。お前が頑張ってくれなかったら」
少したじろいだが、いつもの軽口の応酬を完了させた。判っている、さっきまで自分が不機嫌だったのは。ミィもオレの雰囲気に怯えて口を利かなかった。
オレの気分が上がったのは、バイクに跨ったからだ。バイク乗りなんて粗野な連中は嫌いだが、大型バイクの見てくれ自体は嫌いじゃない。少しだけ、ほんの少しだけ以前から乗ってみたいと思っていた。操縦もリアルが売りのバイクゲームで履修済みだから問題はない。
要はオレの不機嫌なんてその程度だったってことだ。あの医者に裏切られようが、バイクひとつで元通り。オレは全然気にしてない。元から大人なんて信用してなかった。ちょっと魔が差しただけに過ぎない。
黒いフルフェイスのヘルメットを被る。交通法なんて最早存在しないのだが、防寒具代わりになるし、これもちょっと憧れていた。ミラーコーティングされたシールドが、サイボーグのマスクみたいで格好いい。
エンジンを吹かす。モノクロになった視界の中、サイドカー上のミィが肩を跳ねさせ口をパクパクさせている。鳴り響くエンジン音とヘルメット越しにも関わらず、「何これ、うるさい!」という声が聞こえた。もちろん、ただの幻聴だ。幻聴が聞こえるくらい、ミィの声とその行動パターンがオレに染みついてしまっている。
一応手振りで出発を知らせ、バイクを発進させた。さすがにゲームと実物は完全に同じではなく、最初は少しまごついたもののすぐに慣れた。オレにはバイク乗りの素質があるようだ。もし隕石が落下せず、もし理知的なインドア派のこのオレが気まぐれでも起こしたのなら、世紀のロードレーサーになっていたのかもしれない。
もし、だったら――。今更考えたところで詮なきことだ。隕石が落下しなかったところで、オレは自分の部屋から出ることなんてなかった。バイクなんて乗らなかった。何も変わることなんて、何かを変えることなんて、絶対なかったに違いない。ずっと書きたかった小説さえ、批判ひとつでやめてしまったのだから。
……駄目だな。ちょっと油断すると、くだらないことを考えてしまう。それというのも運転が単調なせいだ。この辺りは地方の農業地帯なのだろう。隕石で道路は崩れているものの滅多に車は転がっていないし、周りにあるのは川と隕石が焼き払った畑だけ。その向こうには崩れかけの山々が続いているという長閑さだ。今までごみごみとした街の瓦礫の中を進んできたオレにとって、これぐらいの崩壊は無意識でも避けられてしまう。
停止したような時間の中で、かじかんだ指先の感覚だけがリアルだった。積み荷の中の分厚い革手袋を嵌めればよかったと思うも、刺すようなこの冷たさがなかったら、バイクに乗ったまま寝てしまいかねない。
しばらく行くと、また標識に巡り合えた。この辺りは長野県らしい。その県名を見てやっとピンときた。千曲川は長野県での呼び名で、一般的には信濃川のことだ。受験で千曲川と書くと不正解になってしまうため、覚えようとしなかったのだ。
ということは、このままだと新潟県に着いてしまう。南に向かうどころか真逆じゃないか。これも方位磁石が積み荷の中になかったせいだ。ヤツらもまさかこの事態を予測していたワケではなく、単に各自鞄に入れて所持しているからだろうが、予備ぐらいは用意しておけよ。やっぱり所詮は素人集団だ。危機管理がなってない。さっさと抜けてきて、つくづく正解だったぜ。
先ほどから地元民のための細い脇道ぐらいしか見当たらないので、ここはメシを抜いてでも距離を稼いでおかないといけない。偽善ばかり達者なあの連中は、ミィを保護するという名目で追いかけてきているだろう。ミィは自らオレについてきたのだが、そんなことはお構いなしだ。
そうとなればと黙々とバイクを走らせた。昨晩から何も食べていないためミィは不平タラタラだろうが、その声は聞こえない。サイドカーに視線をやったら、詰みこんだ浄水器にうつ伏せに凭れかかっているのが見えた。不貞腐れた末に寝てしまったのかもしれない。この爆音と振動の中で眠れるとはなかなかの大物だが、なんせどこででも寝るヤツだ。
辺りが薄暗くなってきた。もう夕暮れらしい。曇天のせいで急に暗くなるのが本当に厄介だ。そういえば雨は降らなかったなと空を見上げる。
障害物を避けながらの蛇行運転ではあるが、そこそこの距離は進んだはずだ。それでも大きな分かれ道と巡り合わないということは、この道は新潟県に直通しているのだろう。南と真逆ではあるが、新潟県は日本海に面している。白鷺……あのクソ医者の話では、紫心菌は非活性時にも熱エネルギーを生成しているらしい。それなら、細菌がうじゃうじゃの海の側は暖かいかもしれない。
それによく考えてみると、たとえアイツらが追いかけてきていたとしても、ガソリンの備蓄はすべてボートに積みこんであるはずだ。使える状態のバイクや車を見つけるのも容易じゃないし、見つけたところで崩壊の酷いあの町では運ぶなり進むなりするだけで相当の時間を浪費するに違いない。
一旦新潟県に行って、態勢を整えるくらいの余裕はありそうだ。それどころか、ここまで急ぐ必要もなかったのかもしれない。少しくらい休憩しながらでも、追いつかれることはないだろう。
そう考えると気持ちに余裕が出てきて、途端に空腹を覚えた。まだ雨は降らなさそうだ。とりあえずショートブレッドでも齧ってから、寝泊りできる民家を探そう。
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