1章 最弱魔法使い、退学勧告を受けました。

1-1 初めてのダンジョン実習

 いよいよダンジョン実習の開始日――。


 ついにこの日が来てしまった……。


 ステラは憂鬱な気分を引きずりながら、学舎の裏手にある訓練用の人工ダンジョンに向かって歩いていた。


 和気あいあいと話をしながら前を歩く四人は、ステラの実習グループのメンバーたち。


 学園側がAからEクラスから一人ずつ選んで、二十できるグループの能力値が平均になるように組まれている。


 Eクラスでも最弱のステラは、すでに戦闘要員として役立たずと見なされ、荷物持ちという役目を担うことになった。


 といっても、荷物を自動で運んでくれる便利な道具のようなもので、ステラの存在は空気に近い。


 ダンジョンには五階層ごとに地上への転移門があって、いったんそこに到達すれば、いつでもその続きから実習を再開することができる。


 一年生が最初の五階層にたどり着くには、平均で一週間ほどかかると言うので、備蓄は余裕をもって十日分。ステラが背負う大きなリュックの中には、食料や回復用の魔法薬、寝泊まり用の毛布などが全員分詰め込まれている。


 はっきり言って、一人で運ぶにはかなり重いものだ。


 体力は普通にあるから、運べないこともないけどね!


 剣や盾だけ手にして身軽に歩いているメンバーたちを見ると、ステラは恨めしげな目で彼らの背中を睨まずにはいられなかった。




 二百年前の学園創設当時に造られたダンジョンは、苔むした大きな石が積まれた塔の地下にある。その荘厳な塔を見上げれば、悠久の時の流れを感じるものだ。麓にある鉄の扉の向こうに、地下一階につながる階段があるという。


 扉の前に一年生が全員集合すると、実習担当の教師が最後の注意事項の説明を始めた。


 すでに何度も繰り返し聞いていたことなので、これから始まる実習に興奮している学生たちは、おしゃべりの方に夢中だ。


 もちろん、ステラもこの扉をくぐるのは初めて。この中に現れるという魔物も書物で知っているだけだ。


 いよいよ目前まで迫って来ているのかと思うと、緊張から胸がドキドキしてきた。


 教師の説明が終わると、ダンジョンの扉が開かれ、五分おきにグループごと順番に中に入っていく。


 ステラが所属しているのは第五グループ。第一グループがダンジョンに入って待つこと二十分ほどで、「次のグループ、入りなさい」と声がかかった。


 ステラはメンバーの四人に続いて扉をくぐった。


 外から入る光でかろうじて明るい石階段は、地下水が漏れているのか足元が濡れていて滑りそうだ。


「独特の空気があるわね。なんだか嫌な感じだわ」


 前を歩く女子の声が聞こえてくる。


「長時間いたら、気分が悪くなりそうだな」


 独特な空気? と、ステラは首を傾げる。


 外は夏真っ盛り。学生用の黒いローブを着ていると、数分で汗だくになってしまう陽気だ。


 それに比べたら、ダンジョンの中は多少湿気があるものの、嘘のように涼しくて快適だと思う。


「魔素の濃度が地上より高いんだろう。こういう環境に慣れるのも訓練のうちってことだな。具合いが悪くなりそうなら、早めに防御魔法を発動しよう」


 まとめるように言ったのは、Aクラス所属のリーダーだった。


 なるほどそういうことかと、ステラも納得する。


 魔素は大気中や地中、世界のいたるところに存在する黒い微粒子。風や水とともに流れ、窪地や池などのたまりやすい場所――魔素溜まりに集まる。


 やがて凝縮した魔素は結晶となって、それを核に魔物を生み出す。生まれた魔物は魔素を放出しながら魔素濃度の低い場所へ移動し、やがてすべてが粒子に戻って、大気や大地に散っていく。


 一方、この閉鎖されたダンジョン内では、魔物を倒しても魔素が外に流れ出ることがない。一定の時間を過ぎると再び結晶ができて、新たな魔物として復活する。


 おかげで、学生は何度でも魔物を相手に戦闘訓練ができるのだ。


 この環境において、地上よりはるかに魔素が濃いのは間違いない。


 そもそも魔物が人間にとって脅威なのは、人間を襲うからではなく、魔物が放つ大量の魔素が人体に悪影響を及ぼすから。


 軽ければ、眠気やめまい、吐き気といった『魔素酔い』程度。しかし、重度になると体表や内臓の細胞を破壊されて死に至る。


 そんな魔物の脅威から人々を守るために戦うのが、体外の魔素を取り込み、魔法という形で放出できる魔法使いだ。


 魔法で攻撃して魔物を倒す――魔素に戻すこともできるし、必要ならば防御魔法で濃すぎる魔素から身を守ることもできる。


 よって、魔法使いというものは、周囲の魔素濃度に敏感でなければならないのだが――


 魔素に全然反応できないあたしって、ただの人間に毛が生えた程度の魔法使いでしかないってことで……。


 ステラは改めて現実を突きつけられて、げっそりとため息をついた。


 そうしてたどり着いた地下一階層は、緑に発光するヒカリゴケが石壁にみっしり、行く先を淡く照らしていた。


 二十階層まで『緑の階層』と名付けられた理由がよく分かる。


 その幻想的な光景に『なんてきれいなの!』と感嘆の声を上げそうになって、慌てて口をつぐんだ。


 ただでさえ役立たずなのに、観光気分なのかって白い目で見られそうだし……。


 地下一階層は前知識の通り、迷路のように入り組んでいる。先に入ったグループの姿も見当たらない。




 地図を作りながら歩みを進めること十五分ほど――。


「魔物がいたぞ!」


 先頭を歩いていたリーダーが振り返った。


 地下百階層まであるこの訓練用ダンジョンは、下に行くほど魔物が強くなっていく。一階層に出没するのは最弱のスライム。


 ステラが背伸びをして四人の前を覗くと、半透明の粘り気のある物体がゆるゆると地面を這っていた。


 討伐方法は体内にある黒い核を物理攻撃、もしくは魔法攻撃で破壊。


「おい、Eクラス。いくらポンコツでも、スライムくらいは倒せるよな? 譲ってやるから、戦ってみせろよ」


 リーダーがニヤリと嫌な笑みを浮かべて、ステラを振り返る。


「お、いいじゃん。ここから先、お前が勝てるような魔物は出てこないからな」


「この先のことを考えたら、一階層くらい魔力を温存したいところよね。ほら、やってみなさいよ」


 メンバーに口々に言われて、ステラは無理やり先頭に押し出された。


 スライム一匹を倒したところで、能力値が大きく変わるようなことはない。それでも彼らの言う通り、この先ステラに太刀打ちできない魔物しかいないとなれば、せめてスライム一匹でも倒しておきたい。


「で、では、お先にやらせてもらうということで……ファイア・ボール!」


 ステラは右手を掲げ、宙に素早く魔法陣を描く。その中心にこぶし大の炎がポッと灯ったと同時に、それを投げるように手を振った。


 火球は魔法陣を離れ、スライムに向かってふわふわ、ゆらゆら漂っていく。


「あともうちょっと……!!」


 ステラの懇願もむなしく、火球が着弾する前にスライムはサササッと奥の暗闇に消えていってしまった。


「スライムに逃げられるとか、ありえねえ」

「うっそ、スライムすらまともに倒せないの?」

「こりゃ、マジで役立たずだわ」


 ぶははははっと嘲笑がわき起こり、ステラはがっくりと両膝をついた。『弱い魔物ほど素早いんです!』と言い訳する気にもならない。


 さすがのあたしも、これは心折れるわ……。


「すみませ――」


 ステラが『ん』を口にしようとしたその時、地面がゴゴゴッと音を立てて揺れ始めた。


「地震か!?」

「え、ちょっと何……!?」


 ふらついたメンバー四人が焦ったように周りを見回している。


 這いつくばったステラの視線の先、確か火球が着弾した辺りの地面に亀裂が入っていた。


 その亀裂は縦横無尽に地面から壁に広がり――ステラは突然足場を失った。


「きゃあぁぁぁぁ……」


 ふわりと無重力感に包まれ、瓦礫がれきと化した石壁や石床とともに下へ下へと落ちていく。


 いやだ、まだ死にたくない……!!


 ステラは無我夢中で右手を下に向けて、風魔法を連発した。自分の身体を押し上げる風が、クッションの役目を果たしてくれるだろうと期待して――。

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