第36話 家族

「シエラさん、帰ってこないね……」


 シエラさんが魔界に向かってから1週間が過ぎた。依然、犬山家に彼女が帰ってくる気配はない。

 優秀なメイドがいなくなった結果、リビングは散らかり放題の状態。食事はパンしか出てこない。今更ながら、生活面で彼女に依存していたことを痛感させられる。


「落ち着け、まだ1週間だ。魔界からそんな簡単に帰ってこられるわけがないだろう」


 平静を装うアンナだが、心の不安は隠しきれていない。ネトゲに集中することもできず、リビングに残された魔法陣をチラチラと横目で見ている。


「……アンナ、カニに踏み潰されてるよ」

「やべっ、このままだと星になっちまう!」

「それ違うよ。踏み潰したカニが星になるんだよ」

「何を言っているんだお前は……あっ」


 やはりシエラさんのことが気にかかるのか、クエストは失敗続きだ。キャンバスの画面から目を離している内に、アンナのアバターは魔獣の餌食になっていた。気晴らしの狩りもこれでは面白くない。


「あー、もうダメだ。どうしてネトゲは一時中断ができないんだよ!」


 コントローラーを投げ出し、アンナはリビングのソファに寝そべってしまった。


「……やはりシエラがいないと落ち着かないな。これじゃ満足にネトゲもできやしない」

「仕方がないよ。シエラさんは家族なんだから」

「家族?」

「そうだよ。人間だって、魔族だって、家族が帰ってこないと不安になるんだ。アンナが落ち着かないのは、シエラさんを大事な家族だと思っているからだよ」


 僕はアンナの身体を抱き寄せた。いつもなら太陽のように熱い彼女の身体も、今はすっかり冷え切ってしまっている。


「……ヤスオ、お前は私の傍からいなくなることはないか?」


 別人のような、か細い声が耳元に届く。震える少女の腕が、僕を抱き返してくる。今のアンナは魔王ではなかった。


「あり得ない。どうしてそんなこと」

「魔界の住人は――肉親たちは私を恐れていた。他の兄妹よりも凶暴で野蛮な子どもだと、私をののしり、疎んじていたのだ」

「そんな……!」


 初めて聞く話だった。アンナは、普段の威風堂々とした態度からは想像もできないほど弱々しい姿を見せている。


「ある日、兄妹からそしりを受けた私は、衝動を抑えることができず、城を一つ破壊してしまったのだ。……皆は私を小さな暴君リトルタイラントと呼んでいたよ」


 魔王の血を色濃く受け継いだアンナは、幼くして支配者としての片鱗を見せつけた。だが、それは結果として兄妹たちとの溝を深めることに繋がってしまったのだ。


「まさか、それで君は……」

「そうだ。父上は他の兄妹たちと距離を置かせるため、幼い私を現実世界へと送り込んだのだ。その時、ついてきてくれたのはシエラだけだった」


 シエラさんにとって、ガルド王の一族は家族を奪った仇敵である。しかしアンナのことだけは憎んでいなかった。そうでなければ従者として現実世界に赴くこともなかったはずだ。


「父上からは人類を支配する命を与えられたが、私にできることは破壊だけだ。それこそ『恐怖の魔王』ぐらいにしかなれなかっただろうな」


 幼い頃のアンナの姿は今でも覚えている。彼女は「修行」という名目であらゆる物を壊していた。夜道の電信柱を何本もへし折り、暴走族のバイクを粉微塵こなみじんに破壊した。

 今思えば、あれは彼女にとって修行などではなかった。一族から疎まれ、故郷を追われた己の境遇を呪い、怒りをぶつけていただけなのだ。


「なあ、ヤスオ。どうしてお前は私の傍にいるのだ?」

「えっ……」

「悪鬼のような私の姿を目にしておきながら、どうしてお前は離れない? 命を奪おうとする私からどうして逃げ出さない?」


 アンナがうるんだ瞳を向けてくる。冷たくなっていた身体は、火傷やけどしそうなぐらいに熱くなっている。


「アンナ……」


 このまま焼け死んでしまっても構わない。自分の気持ちを表す言葉なんて必要ない。僕は衝動に任せて彼女の唇を――





「あの……ヤスオ様……」


 慌てて後ろを振り返ると、複雑な表情のシエラさんが立っていた。


「し、シエラさん、いつ帰ってたの!?」

「あなたがアンナ様を抱きしめた時には、ここにいましたが?」


 気づいてもらえなかったことが不服なのか、シエラさんはふくれっ面を見せた。見られたら色々とマズイものを目撃されてしまったらしい。


「うわあ……」

「ご自身でやったことでしょう。いまさら頭を抱えないでください」

「やったって!? まだ何もしてないよ!」

「……シエラ、魔界への攻略報告はどうなったのだ」


 バツの悪そうな顔をしたアンナが問いかけた。シエラさんは慌てて改まった態度をとる。


「失礼しました。お二人の手紙はしかとガルド王にお渡ししました」

「して、父上の答えは?」


 僕とアンナが息を呑む。シエラさんは落ち着かない様子で口を開いた。


「『ジオハルトに会いたい』とのことです」


 その言葉を耳にして、ふっと脱力した。倒れかかる僕の身体をアンナが受け止める。


「要するに、まだ決められないってことか。魔界の支配者にしては随分と慎重じゃないか」


 回答を保留にされたことが余程気に入らないのか、アンナは顔をしかめていた。一蹴されずに済んだだけでも拾いものだとは思いたい。


「……とにかく、ガルド王に会わなきゃいけないんだよね? 魔界に出向くだけでも骨が折れそうだ」


 結婚相手の父親に会うのって緊張するな。こんなことなら、シエラさんが帰ってくるまでに結婚情報誌でも読んでおけばよかった。


「その必要はありません」

「えっ?」

「ガルド王は既においでになっております」


 シエラさんが上を指した。頭上から何やら大きなエンジン音が聞こえてくる。昼間なのに窓の外が暗くなったような気が……。


「あ、あれは……!」


 急ぎ足で庭に出ると、空が黒い壁で塞がれていた。……いや、違う。空を覆っているのは船底だ。全長1kmを優に超える船が、王見市の上空に浮かんでいるのだ。


「ガルド王の旗艦『アルゴⅡ世』です」


 同盟の啓示戦艦をも凌ぐ巨大な空中戦艦が、犬山家の真上に鎮座している。グラビティレイダーを開発したガルド王にかかれば、都市サイズの船を浮かべるなど造作もないことだ。その威容は、空飛ぶ居城とでも呼ぶべきか。


「父上自らお前を見定めに来るとは……文字通り最後の戦いだな」


 ……そうだ。これは戦いだ。


 魔界を支配する最強の魔王が、手紙一通で娘と人間の結婚を認めるはずがないのだ。ガルド王は現実世界に出向いてまで、ジオハルトの力を試そうとしている。ここでガルド王と向き合う勇気を示さねば、アンナと共に生きる未来は勝ち取れない。


「ガルド王は、いつでも会う準備はできていると仰せです。今回は特別に玉座の間への入室をお許しいただきました」


 シエラさんがリビングの転移魔法陣を起動させていた。今ならば、犬山家から巨大戦艦の中枢に乗り込むことができるのだという。

 アルゴⅡ世にしつらえられた玉座の間は、本来であれば外様とざまの者が立ち入れるような場所ではない。そこにジオハルトを招き入れるガルド王の真意とは何なのか。


「ヤスオ、父上に嘘は通用しない。何があっても本心を語れ。お前が私の夫としてふさわしい人間であることを証明してみせるのだ」


 アンナが僕の手を強く握った。彼女との結婚は僕だけの願いではないのだ。望みを叶えることができるかどうかは、僕の一挙手一投足にかかっている。


「分かったよ。僕は人類の支配者――そして君の夫になる男だ」


 少年はブレスレットを起動させ、黒き甲冑に身を包む。見上げる先にあるのは、魔界より来たりし覇者の居城。偽りの支配者ジオハルトが、原初の魔王に挑戦する。


 最後まで悪を貫け。

 魔界の主を認めさせろ。

 今こそ本物の魔王になる時だ、犬山ヤスオ。

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