第37話 最後の試練

 犬山家よりアルゴⅡ世の艦内に転移したジオハルト。

 そこは艦内というよりも、巨大な王宮と呼ぶべき空間だった。豪勢な装飾が施された通路の両脇には、今にも動き出しそうな魔獣の石像が構えている。

 光を通す天井はステンドグラスかと思いきや、船外の光景を映し出す湾曲型モニターのようだ。地上からでは艦底部しか見えなかったが、船体上部は分厚い装甲と強力な武装で覆われていることだろう。


 ジオハルトが辺りを見回していると、突如として石像の目が光を放った。侵入者を排除するための迎撃システムか?

 身構えるジオハルト。しかし三つ首の呪いは発動していない。石像はくるりと首を回し、通路の奥にある扉を照らし出した。


 ……石像は玉座の間への案内役だったようだ。光にいざなわれたジオハルトは、扉を目指して歩を進める。

 1kmを超える巨大戦艦となれば、それなりの人員が必要になるはずだが、船内には人っ子一人見当たらない。最強の魔王を運ぶために造られた船なのだ。現実世界の常識を当てはめる事自体が間違いなのかもしれない。


 静かすぎる艦内に違和感を覚えつつも、ジオハルトは玉座の間にたどり着いた。荘厳な扉には、見たこともない幾何学模様が彫り込まれている。

 扉の向こうに待つは未来の義父か、それとも死か――ジオハルトがそわそわしていても、出迎えのドアマンが現れる気配はない。


 ……自分で開け、ということか。


 ジオハルトは扉にそっと手を触れた――すると幾何学模様が輝きを放ち、積み重ねられていた装甲がバラバラに解体されていく。王が入室を認めぬ限り、この扉は誰にも開けられない。

 ケレン味と実用性を兼ね備えた斬新なデザイン。設計者のこだわりをジオハルトは誰よりも理解している。は扉の向こう側にいるのだ。



「初めまして――とでも言えばよいか? アンナの夫よ」


 

 玉座に腰掛けるは筋骨隆々の大魔王か?

 才気溢れる稀代の英傑か?

 どちらでもない――両方だ。


 天は二物を与えず。

 ではなぜこの男は二つを持っている?

 明々白々――この男が天に抗いし魔王だからだ。


 玉座の間にて待ち受けていたのは、真紅の慧眼を持ちし赤髪の偉丈夫。

 間違いない。かの男こそ魔界の支配者にしてアンナの父親、ガルド・エンプロイドである。


 全てを圧倒するガルド王の覇気が、玉座の間を支配している。魔王を守護する近衛兵の姿も見えたが、彼らですらガルド王からは必要以上に距離を取っていた。いや、そもそも武をもって魔界の支配者に登り詰めた男に、近衛兵などは無用の長物なのかもしれない。

 張り詰めた空気が漂う最中、ジオハルトはガルド王の元へと向かう。謁見えっけんを見越して魔道剣こそ装備していないが、近衛兵たちは警戒を緩めていない。それどころかジオハルトを敵とみなしているようだ。鎧に込められたサーベラスの魂が敵意を感知し、声なき唸りを上げている。


 第一に、ジオハルトは純粋な魔王ではない。勇者同盟は最後まで正体に気づいていなかったが、どうやっても魔族だけは騙せない。

 魔界において魔王を名乗ることができるのは、ガルド王、そして彼の血を受け継ぐ子どもたちだけである。にもかかわらずジオハルトは、自身こそが人類の支配者――魔王であると吹聴しているのだ。無礼千万、厚顔無恥、身の程知らずにもほどがある。


 外様のが魔王を名乗ることを魔族たちはどう受け止めているか、心中は察するまでもない。何よりも大きな問題は、その人間がアンナとの結婚を求めていることであろう。シエラが語っていたように、人間が魔族と婚姻を結ぶなど前代未聞である。ましてガルド王の息女が相手となれば、一族の根本を揺るがしかねない事態に違いなかった。



「お初お目にかかります、ガルド王。私はジオハルトと申します」



 玉座の前で膝をつき、ジオハルトはガルド王に謁見した。

 魔獣の力を秘めし黒き甲冑――獄王の鎧を作り出したのは他ならぬガルド王である。鎧を纏いし男は忠義の騎士か、あるいは王に仇なす反逆者か。


「お前の所業は聞き及んでおるぞ。ワシの作品を使い、随分と好き放題やってくれたそうだな」

「はい。獄王の鎧と魔道剣は、戦力として大いに役立ちました。人類を支配できたのは、ひとえにガルド王より賜りし武具のおかげでございます」


 近衛兵たちがざわつき始める。ジオハルトは、さも臣下であるかのように振る舞ってみせた。人類を支配したのは、魔族のためだと言わんばかりの態度である。


「お前に武具を与えた覚えなどないわ。ワシは、アンナに魔王として現実世界を支配する命を与えたのだぞ。それがなぜ、お前のような馬の骨に魔王を名乗らせておるのだ?」

「人類を支配するための便宜上の措置です。真の支配者がアンナ様であることに変わりはありません。低俗なる人間どもの面倒を見るのは私の役目。魔王たるアンナ様の手をわずらわせる必要はないのです」


 ジオハルトは、自身をアンナの手駒であると主張した。表向き魔王を名乗っているのは、あくまで人間たちの目を欺くための策略。アンナは姿を見せることなく世界を牛耳ぎゅうじることができるのだと。

 事実、勇者同盟はジオハルトにまんまと騙され、本当の敵を知ることもできぬまま撤退へと追い込まれた。アンナは傷一つ負うことなく現実世界を手にすることができたのだ。

 誰にも正体を明かすことなく世界を裏側から統治する――それこそ真の支配者とは呼べないか。


「……例の手紙は読ませてもらったぞ。お前は人類を支配しているとのことだが、いかにして人間たちを屈服させたのだ?」


 ガルド王が怪訝けげんの目を向ける。ジオハルトは人類から土地を奪い取ったわけではない。人権を剥奪し、魔族の奴隷にしたわけでもない。果たして魔王と呼ぶにふさわしい所業を成し遂げたのか?


「奴らから戦争と犯罪を奪いました」

「戦争と犯罪? それに何の意味がある?」

「人間どもは戦うことに恐怖し、罪を犯すことを躊躇ちゅうちょします。腑抜けとなった人類は、今や私の飼い犬も同然……何人たりとも逆らうことはできません」


 なんと邪悪な男であるか。戦争と犯罪がなくなれば、そこに待っているのは平和ではない――支配だ。

 人間たちは戦いを忘れ、罪を犯す勇気を失った。誰かの「管理」を受けなければ、己の身を守ることすらできない矮小な生物に堕落してしまったのだ。


「アンナ様が統治する世界に賊徒は必要ありません。忖度そんたくすらできぬ愚者には、魔王の名において裁きを与えます。それが、私の支配戦略です」


 戦争と犯罪を否定する――それは手段であって目的ではない。全てはアンナが世界を手中に収めるための方策。ジオハルトこそ至上の悪人であった。


「ふむ……」


 納得、とまではいかぬものの、ジオハルトの申し開きに感じ入るところはあったようだ。ガルド王は腕を組みながら思案を巡らせている。素顔を見せぬ娘婿を前に、魔界の覇者は何を思うのか。


「――婚姻にあたり確認しておきたいことがある。ジオハルト、お前はアンナに忠誠を誓うのだな?」


 ガルド王が沈黙を破る。

 魔王は二人の仲を引き裂こうとはしなかった。しかし夫婦といえど、それはあくまで形だけのもの。ジオハルトがアンナに服従し、全てを捧げることが絶対条件なのだ。


「無論です。アンナ様のためならば命を捨てる覚悟はできております」


 そのためだけに生きているのだ、とジオハルトは胸を叩く。不退転の決意にガルド王は満足げな顔を見せる――そして挑戦者に最後の試練を与えた。


「ならば、人類を抹殺しろと命じられたらどうする?」


 悪辣あくらつな笑みを浮かべるガルド王。全てを見通す魔王の眼光がジオハルトを貫いた。


「従います。80億のにえが必要とあらば、私は喜んで人類を――」



「……ははっ、ははははっ!」



 原初の魔王は全てを理解した。

 この男は本気なのだ。女一人のために世界を焼き払う覚悟を持っている。誰よりも愚かで、誰よりも純粋で、誰よりもアンナのことを――


「なるほど、お前は魔王だ」


 膝を叩いて喜ぶガルド王。予想外の事態に近衛兵たちは困惑している。

 今、誰を魔王と呼んだか。その称号はエンプロイドの一族にのみ与えられるものではないのか。黒き甲冑の男は魔族の敵――人間ではなかったのか?


「ガルド王。その者は……ジオハルトは我らの敵です!」

「アンナ様との婚姻などあり得ません! どうかお考え直しを!」


 近衛兵たちは諫言かんげんを試みた。人類の支配者をかたる痴れ者に、魔王の称号は分不相応である。ましてやアンナとの結婚を認めるなどあってはならない。魔界の覇者たるガルド王が、どうしてジオハルトごときの口車に乗せられるのか。


「……不服と申すか? ワシの決定を」 


 ギロリと魔王の目が光る。絶対の王者を相手に物申すなど出過ぎた真似である。タジタジになった近衛兵たちは、すぐさま弁明に走った。


「い、いえ、そのようなことは……」

「だったら黙して席を外せ。ワシはこれから婿と話があるのだ」

「お待ちください! ガルド王――」


 ガルド王が玉座のボタンを押すと、近衛兵たちは強制退出させられてしまった。どうやら転移魔法を応用した装置が仕込まれているらしい。部屋にはガルド王とジオハルトの二人だけが残された。


「……これで邪魔者ないなくなったな」


 厄介払いを済ませると、ガルド王は玉座にもたれかかった。王としての体裁こそ保っているが、先ほどまでの威圧感は鳴りを潜めている。娘婿の揺るがぬ意志を確認し、これ以上の詰問は不要と判断したのであろう。


「よもやアンナが結婚する日が来るとは思わなんだ。妻と子どもたちの驚く顔が浮かぶわい!」


 ガハハ、と豪快な笑い声が響き渡る。

 小さな暴君リトルタイラントと呼ばれた娘が、どこでこんな男を拾ってきたのか。これほど愉快なことは他にない。ガルド王はとめどない哄笑こうしょうを溢れさせていた。


 正式に魔王の称号を授かったジオハルト。だが甲冑の男は動じる様子もなく、石像のように沈黙している。

 アンナとの婚姻が決まったというのに喜びの声も上げないのか? 無愛想な態度が気に入らないガルド王は、語りかけた。


「もはや顔を隠す必要もなかろう。兜を外すがよい。ジオハルト――いや、犬山ヤスオ」

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