第35話 攻略報告

「このごろ近くの子どもがね、店のパンを盗んでいくんですよ。相手が小さい子だとね、こっちも注意しにくいじゃないですか」


 雑貨屋を営む女性店主がインタビューを受けていた。民放が制作したドキュメンタリー番組「魔王の真実」のワンシーンである。


「いつもみたく男の子がパンをカバンに隠そうとしたんです。そこへ魔王さんがやってきてね、その子が盗もうとしていたクリームパンを取り上げたんですよ。魔王さんは戦争と犯罪が嫌いだって言うじゃないですか。私もう怖くなっちゃって」


 魔王が子どもを私刑に処すのかと思い、店主は警察に通報しようとしたのだという。しかし、そこで魔王は意外な行動を見せた。


「そしたら魔王さんが私に100円玉を2枚手渡してきたんです。……ええ、クリームパンの値段は158円です。魔王さんは男の子にパンを渡すとそのままどこかへ消えました」


 愕然とする店主をよそに、少年はパンを手に店を出て行ってしまった。店主は防犯カメラのログを見返したが、なぜかそこには魔王の姿だけが映っていなかった。


「不思議なものでね、その日を境に誰もパンを盗まなくなったんですよ。いつもパンを盗んでいた男の子は、貯金箱を持って私に謝りに来ました。……今のは私の作り話じゃないかって? 信じたくなきゃ信じなくていいですよ。ただ、魔王さんがクリームパンを買ったのは本当のことです」


 店主は、ふふふっと笑みをこぼした。どういうわけか、雑貨屋のクリームパンは品切れになるほどの人気商品になったらしい。店主は雑貨屋をやめて、パン屋を始めようかと考えているそうだ。





「すっかり人気者になったな」


 アンナが珍しくリビングでテレビを見ている。放送中のドキュメンタリー番組では、各国の市民や兵士たちがジオハルトに出会った体験を赤裸々に語っている。魔王が支配宣言を打ち出した頃には想像もできなかった光景だ。


 南極での一件以来、ジオハルトに対する世間のイメージはガラリと変わった。魔王をテロリスト呼ばわりするメディアも鳴りを潜め、人間たちはジオハルトをに従事する活動家とみなすようになった。

 無論、世界中の軍隊や警察が魔王の存在を容認しているわけではない。表向きジオハルトが人類の敵であることに変わりはないのだ。


 ……とはいえ善良な市民たちからすれば、ジオハルトが自分たちに危害を加えることはないし、戦争と犯罪をなくそうとする思想そのものは受け入れられている。むしろ内心では魔王の存在を歓迎している者が大多数なのだ。


「うまく人間たちの心を支配できたな。これがお前の支配戦略か」


 僕の膝の上に座るアンナが、ニヤニヤとした顔を向けてくる。いつも以上にアンナとの距離が近いせいか、後ろに立っているシエラさんは、やきもきしている様子だった。


「ヤスオ様……いつになったらヒーローごっこを卒業されるのですか? こんなことを続けても魔界のガルド王は納得されませんよ。魔族の目的は、現実世界に平和をもたらすことなどではありません」


 ガルド王の目的は、言うまでもなく全世界の支配である。

 しかし、そもそも支配とは何なのか。人類を根絶やしにして土地に旗を立てることか。人間を奴隷にして、自分だけの帝国を築き上げることか。

 ……ガルド王は「支配しろ」と命じてはいるものの、そのやり方までは指定していない。つまり、どんな手段を使おうが、どんな経緯があろうが、最終的に人類の支配者になればよいのだ。


「僕だって、ガルド王の目的を忘れてはいないよ」

「では……」

「ああ、ガルド王に認めてもらうんだ。『アンナ・エンプロイド』こそが現実世界の支配者であることをね」

「……えっ?」


 シエラさんが目を丸くしている。ここに来てアンナの名前が出てくることは意外だったらしい。


「シエラさん。一つ頼みがあるんだけど、ガルド王にこの手紙を渡してほしいんだ」

「何ですか、この手紙は?」

「アンナと話し合って書いたんだ。現実世界の攻略が完了したことを報告するためにね」


 僕はシエラさんにガルド王宛の手紙を渡した。手紙の内容を要約すると――





 1.現実世界における人類の支配者はジオハルトである。


 2.アンナ・エンプロイドはジオハルトを夫として迎え入れ、その全てを支配する。


 3.人類は引き続きジオハルトが支配する。ただし、それは形式上のものであり、真の支配者はジオハルトをも支配するアンナ・エンプロイドである。





「アンナ様がジオハルトを夫に迎える……?」

「そこに書いてある通りだよ。……僕たち結婚することにしたんだ」


 血相を変えたシエラさんが、アンナに目を向ける。アンナは顔色一つ変えずに軽く頷いた。


「正気ですか!? 魔族が人間と結婚するなど聞いたことがありません」

「結婚してはいけないという話も聞いたことはないぞ。魔界にも、現実世界にも、魔族と人間の婚姻を禁ずる縛りなど存在しないだろう?」

「それは……そうかもしれませんが……」


 シエラさんは怯えている様子だった。主の身を案じて結婚に反対するかと思っていたが、それ以上に何かを失うことを恐れているらしい。立ち上がったアンナは、シエラさんの肩を抱いて「大丈夫だ」と耳打ちした。


「これで僕は正式にアンナの所有物になる。アンナは僕を使って人類の支配者になるんだよ」

「ヤスオ様が、アンナ様の物に……」

「私とヤスオが同じ世界で生きていくためには、これしか方法がなかったのだ。……どうか父上にその手紙を届けてほしい」


 シーリングすら施されていない簡素な手紙。こんなものでガルド王が果たして納得するのかどうか。筆跡はアンナのものだが、いかんせん彼女は10年以上も現実世界に滞在しているので、親族でも真贋を見分けるのは難しいかもしれない。


「……承知しました」


 シエラさんは深く目を閉じながら、僕たちの願いを聞き入れてくれた。相当に無茶な頼みにもかかわらず、彼女が後ろ向きな態度を見せることはなかった。


「ありがとう、シエラさん」

「遅かれ早かれガルド王への攻略報告は必要です。お二人の婚姻も政略的な判断とすれば、言い訳もつきましょう」

「さすがは私の従者だ。お前がいなければ現実世界の支配は達成できなかったであろう。これからもよろしく頼むぞ」


 アンナはシエラさんに身を寄せつつ、これまでの働きを労った。シエラさんも穏やかな表情でアンナの身体を受け止めている。


「――ですが、現実世界を支配できたと考えるのは早計です。目標を達成できたかどうかを判断するのはあくまでガルド王なのですから」

「そうだね。純粋な魔王ではないジオハルトを容認してくれるかどうかも怪しいところだし……」

「弱気になるな。父上が認めないというのであれば、認めさせればよい。今のお前ならそれぐらいのことはできるだろ」


 アンナが背中を叩いてきた。あまりの力強さに吹っ飛ばされそうになるが、ぎりぎりのところで踏みとどまる。


「ちょ……痛いよ」

「ひひひっ」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて、アンナが腰に抱きついてくる。彼女は今も昔も変わらない。いつも傍にいてくれる大切な幼なじみ。

 ……そうだ、僕は彼女と一緒にいられる世界を作りたい。だから魔道を歩むと決めたんだ。

 

「ヤスオ様、私はこれから魔界へと向かいます。ガルド王に書簡を送るとなれば相応の手続きが必要です」


 シエラさんはメイド服の上から物々しいボディアーマーを装備し、魔界へと向かう準備を進めていた。

 ガルド王の本拠地たる魔界は外界からの侵攻を防ぐため、強固な次元防壁によって守られている。ゆえに手紙一通届けるだけでも複雑な経路をたどる必要があるのだ(たとえガルド王の肉親であろうと、許可なく帰還することはできない)。


「ごめんよ、シエラさん。最後まで負担をかけてしまって」

「何を仰っているのですか? もとよりあなたを魔王に仕立て上げたのは私なのです。全ては人類を支配するために必要な行程に過ぎません」


 銀髪のメイドは冷徹な表情を崩さない。だけど、今の彼女ほど信頼のおける相手がどれだけいるだろうか。今更ながら、アンナがシエラさんを傍に置く理由が分かったような気がする。


を越えるのは久しぶりです。ガルド王の居城にたどり着くまで何日かかるかも分かりませんが、この手紙は必ずお届けします」

「頼むぞシエラ。お前ならば吉報を持ち帰ると信じているぞ」


 転移魔法陣に立ったシエラさんが微笑みを向ける――次の瞬間、彼女の姿は犬山家から消えていた。

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