第16話。奈波と病室
病院は昔から嫌いだった。
自分が病気にならなければ、病院に足を運ぶことはないと思っていた。なのに自分の周りの人間は何らかの怪我をしたり病気になって、入院をする。その後に何事も無く退院をするなら、私が病院を嫌いになることはなかったと思う。
私の人生の中で、人との別れを経験したことは何度もあった。いきなり、葬式で別れをするよりも病室で弱っていく姿を見る方が何倍も辛かった。
きっと、強い人間なら、そんな光景を目にして自分が医者になることを目指すのかもしれない。
だけど、私は何も出来ない自分に酷く呆れてしまった。励ましの言葉を口にしなかったのは、それはとても、とても、無責任なことだと思ったから。
「着きました」
澪音はここに居る。
「面会時間が決まっています。今からだと、十分に余裕があると思いますけど、気をつけてください」
「結火、ありがとう」
「私達は仕事をしただけです。お礼は必要ありません」
結火が
「はぁ……」
覚悟は決めたつもりだった。
なのに、扉の手すりに手を伸ばした時。私は澪音にどんな顔をして会えばいいかわからなくなった。
命に関わるような病気じゃない。なら、どうして澪音は私に何も話してくれなかったのか。考えれば考えるほど、指先が凍ったように動かなくなる。
だって、それって。澪音が私と顔を合わせたくないって意味だと思うから。私が会いに来ても、澪音には迷惑なのかもしれない。
ここに私が立っているのは自分の為だ。
失うことは怖い。だから、手を伸ばして、掴んでいたい。人間なら当たり前のことが、私には自分を責める理由になってしまう。
「私は……」
私が手を引こうとした時、扉が勝手に動き出していた。思わず、手が離れ、後ずさりをしてしまった。
部屋の中から現れたのは看護師の服を着た女性だった。病院だからおかしなことはないけど、私は動揺してしまった。
「あら。お見舞いの方ですか?」
「……っ」
それは
「はじめまして、私は……」
「私に挨拶をしてくれるんですね」
優しい笑顔を見せる彼女。今まで会った三人とは違って、より人間らしさを感じる。そう思えば、律月の態度が少しだけ過剰だったのかもしれない。
彼女は扉を閉めて、私の前まで歩いて来た。
「はじめまして。私の名前は
確か柳木は姉妹の中では五女だっけ。
「私は
そういえば、澪音の世話しているのは律月だと聞いていたけど。律月が担当というわけでもないのだろうか。
「もしかして、お見舞いですか?」
「はい。お見舞いに……」
柳木の雰囲気のせいか敬語を使ってしまった。今になって思えば、律月や結火に敬語を使わなかったのは失礼だっただろうか。
「それは、よかったです。澪音さん、ご家族にも入院のことを伝えてなかったみたいで、誰もお見舞いに来てくれなかったんですよ」
「澪音は大丈夫なんですか……?」
「大丈夫というのが何に対してなのか、わかりませんが。私から見れば、澪音さんは大丈夫ではないと思いますよ」
私の中にあった不安が大きくなった。柳木が澪音は平気だと言ってくれたら、私はこのまま帰ることが出来ていたのに。
「ああ、ごめんなさい。次の仕事がありますから」
柳木が歩き出そうとした時、私は思わず柳木の手を握ってしまった。そうすれば、依土の手を握った時のように不安が消えてくれると思ったから。
だけど、柳木が私の顔を見た時、冷めた目で見ている気がした。最初に感じた優しさが全部抜け落ちたみたいだった。
「奈波さん。誰かの手を握っていたいなら、私達ではなく、もっとふさわしい人がいると思いますよ」
「でも、澪音は……」
「これは、とてもズルいことです」
柳木が私の手に自分の手を重ねてきた。
「大丈夫ですよ。あの人は優しい人ですから」
私の中にあった不安が少しだけ薄れた気がする。
柳木が立ち去り、私はもう一度扉の前に立った。
ここに来るまで何人もの人が私の背中を押してくれた。今さら不安だからと引き返すなんて、それこそ自分が許せなくなる。
私は覚悟を決めて、扉を開けることにした。
扉を開けた先にある病室。そのベッドの上で窓の向こうを見ている少女がいた。
「澪音……私……」
澪音に近づいた時。私は気づいてしまった。
「なに、それ……」
澪音の首に巻かれている包帯。病院に居ると聞いた時から、何らかの病気か怪我をしたと覚悟はしていたけど。首に怪我を負っているのは想像もしていなかった。
「……」
私に顔を向ける澪音。驚いた顔をしたかと思えば、すぐに納得したような顔をする。最後には諦めたように、澪音は優しい笑顔を私に見せてきた。
「ねえ、澪音……」
ベッドに近づき、私は澪音に手を伸ばす。
「なんとか、言ってよ……」
「……」
澪音が私の腕を掴んできた。
すると、澪音が使える手でスマホを操作していた。
あまり待たされることなく、私の持っていたスマホが音を鳴らした。この状況で無視するわけにもいかず、私はスマホの画面を確認した。
『奈波、酷い顔してる』
澪音から送られてきたメッセージ。
「いったい誰のせいだと思って……」
スマホの上にぽつぽつと、涙が落ちた。
澪音ともう一度話せたら、私は安心出来るはずだったのに。スマホに送られたメッセージが、澪音の容態を示しているようだった。
『ごめん』
「謝らなくていいから……一緒に帰ろ……」
『わたし、帰るつもりはないよ』
澪音の手が自らの首に巻かれた包帯に触れた。
『もう、エレンは死んでしまったからね』
ああ、やっぱりそうなんだ。
ずっと、澪音が言葉を口にしないのは、澪音の声は失われてしまったから。それはつまり、澪音の声から生まれたエレンの死を意味している。
「治るんだよね……?」
澪音が顔を横に振った。
「なら、何の為に手術なんて……」
『放置してたら、命に関わってた』
「……っ」
『手術を受けなくても、わたしの声はいずれ潰れてた。最後までエレンとして活動したかったけど、わたしが死んだら悲しむ人がいるから』
私は自分の覚悟が情けなく感じた。
澪音はもっと大きな決断を迫られていたのに、私は何も知らなかった。そして、その先も私には何も出来なかった。
「なら、どうして。帰らないの?」
『疲れたから。ちょっと休むだけだよ』
「いつまで?」
『わたしの気が済むまで』
澪音がスマホの画面を伏せた。
これ以上、私と話すつもりがないのか。詮索をされたくないのか。どちらにしても、スマホを通さなければ、今の澪音から言葉は伝わってこない。
「澪音……」
私は手を伸ばして、澪音の手握った。澪音は特に驚いた顔はしなかったけど、私は澪音の手を握ったまま何も言うことが出来なくなった。
澪音にとって、エレンがどれだけ大切な物か知っているつもりだった。エレンを失った澪音が一人になりたいというのなら、私は願いを叶えるべきだと思った。
それでも、私は自分の都合で澪音の手を握ってしまった。少しでも、私の心が澪音に伝わればいいと思ったから。
「……」
ただ、過ぎていく時間の中で私は答えを出すことが出来なかった。
今の澪音は何も求めていない。
家族も友達も。澪音の心は癒せない。
きっと、澪音が手術のことを黙っていたのは、そんな自分を見せたくなかったから。私は澪音の気持ちも知らずに余計なことをしてしまった。
私は最後まで、自分勝手だった。
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