第17話。奈波と院長
私は
「……」
私は突きつけられた現実を簡単には受け入れることが出来なかった。澪音が声を失い、辛い現実と向き合わないといけなくなったのに、私は澪音に何も出来なかった。
きっと、どんな言葉も澪音の心を救うことは出来ない。この場所に澪音が居るのも、誰かに救ってほしいとは思っていないから。
「これから、どうされますか?」
私の下がっていた視線。視界の隅に映った靴は
「……帰るつもりだけど」
私が澪音の傍に居ても何も変わらない。
「船の最終便は終わってますよ」
「え……?」
周りを見れば、窓の外は暗くなっていた。まだ時間的には大丈夫だと思っていたから油断していた。
「次に船が出るのは明日の朝になりますね」
「そっか……」
律月が手を差し伸べてくる。
「院長が
「え?」
「ここに奈波さんを連れてくるように指示したのは院長です。院長から奈波さんを澪音さんに会わせた後、部屋に連れてくるように言われてます」
今は誰とも話したい気分じゃない。でも、私をこんな気持ちにさせた張本人に会ってみたいという考えもあった。
案内された部屋。そこは診察室のようは場所で既に椅子に座っている女性が居た。かなり若く見えるけど、大人の雰囲気を漂わせている。
「はじめまして。わたしの名前は
「院長代理……?」
その役職に代理なんてあるのだろうか。
「気軽にママって、呼んでくれてもいいのよ」
「いやいや、ママって……」
私は冗談を言われていると思った。だけど、すぐに律月の顔を見たのは、大事なことを忘れていたから。
「もしかして、律月達を産んだのって、向日葵さんですか?」
「ええ。そうよ」
目の前にいる女性が子供を七人も産んでいるとは到底思えない。そのうえで現役で医者をやっているなんて、誰が見ても驚くべき存在だった。
「驚いたかしら?」
「だって、向日葵さん何歳……」
「そんなことより、澪音さんのお話をしましょうか」
向日葵が律月の方を見た。
「律月ちゃん。コーヒーを二人分、用意してくれるかしら?」
「はい。わかりました」
私の隣から離れて行く律月。
「あの……」
「あら、もしかして、コーヒーは苦手だった?」
「コーヒーは砂糖があれば飲めます。ただ、向日葵さんのお仕事の邪魔になりませんか?」
「わたしのお仕事はだいたい終わってるわね。ただ、向こうの棟には行かないと行けないのだけど」
律月と入れ替わるように部屋に入ってきた少女。
「私達だけでは不安ですか?」
それが
「ええ。とても、とても心配かしら」
「でしたら、話を済ませた後にでも行けばいいと思います。わざわざ、相手に気を使わせるような言い方を……いえ、悪ふざけを口にするのは控えてください」
親子のやり取りというより、本当に医者の先生と看護師の人が話をしているみたいだ。
「棟って、何のことですか?」
私が質問をすると、結火が呆れたようにため息を吐いた。本当は向日葵から澪音のことを聞くべきだとわかっているのに、その勇気が私にはなかった。
「隔離棟のことよ」
結火が部屋を出たところで、向日葵が口にした。
「隔離って……」
「隔離が必要な患者さんを閉じ込めて、治療をする場所。なんて、言い方をしたらあなたは誤解するかしら」
言葉通りなら、私が気楽に聞くべきではない話だと思った。わざわざ、隔離棟のことを口にした向日葵の性格を疑ってしまう。
「どうして、そんな話を私に……」
「澪音さんをそちらに移す予定があるからよ」
「……っ」
ああ、既に向日葵は澪音の話を始めていたのか。
「物騒な言い方をしてごめんなさい。でも、ここと違って、隔離棟は何者にも邪魔されず、静かに過ごせる場所なのよ」
「澪音が望んでるってことですか?」
「ええ。患者さんの中にはネット上で酷い誹謗中傷を受けて、心を痛めてしまった人もいるわ。そんな人が少しでも心が回復するように、わたしは治療所を用意しているのよ」
律月が戻ってきて、二人分のコーヒーを用意してくれた。一緒に持ってきた瓶の中にはスティック状の砂糖が詰まっている。
向日葵はコーヒーを口にする。
「ただ、隔離棟の錠は常に開かれているわ」
「それ、隔離って言うんですか?」
「ええ。錠が無くても、壁さえあれば。そこは自分を閉じ込める檻と変わらない。本当に治療が必要な人間は、こんな島の設備では不十分でしょうから」
隔離棟という名のカウンセリング施設なのだろうか。だとすれば、今の澪音が行こうとしている理由も納得が出来る。
「澪音は……」
声を失って、澪音が平気なわけがない。
「隔離棟に移動することは澪音さんの望み。本来であれば、わたしが有無を言わさずに叶えてあげるべきだったわ」
そういえば、澪音はまだ移動させられてない。
「でも、これを見てしまったのよ」
向日葵が差し出した一枚の紙。そこに書かれていたの手術の同意書だった。
「
こんな紙、私は知らない。
「その同意書。書いたのは澪音さんでしょうね」
「……わかっていたのに手術をしたんですか?」
「遅かれ早かれ手術することは決まっていたわ。ただ、澪音さんは手術を受けることを誰にも知られたくないから、この島に来て。一人で済ませようとしたようね」
どうして、律月が私のことを見つけたのか不思議だったけど、同意書には私の家の住所が正確に書かれていた。
「まあ、本来であれば必要ないものですが」
律月が口を挟むように呟いた。
「え?」
「それは未成年が手術を受ける際に必要な書類です。澪音さんの年齢であれば書く必要はありませんよ」
向日葵がもう一枚の紙を見せてくる。
「こっちが本物の同意書よ。二枚を重ねて書いてもらったから、澪音さんが見落としたのかしら」
「向日葵さん……」
この人、医者としては問題がある気がする。
「琴海さん、というのは名前と住所からご家族であることはわかったわ。でも、こっちの奈波さんの名前が気になってしまったのよ」
「それは、私が澪音の友達で……」
「友達なのに何も知らなかったの?」
「……っ」
向日葵の言葉で私の胸が締め付けられる。
「澪音さんの病気は突然発症したわけじゃないわ。何年も前から予兆、それこそ、本人は病院で検査を受けて手術が必要なことを知っていたはずよ」
「私、澪音とはずっと会ってなかったんです……」
だから、何も知らなかった。
「そう。澪音さんはあなたに知られたくなかったのね」
「なら、どうして、私に会いに来たりなんか……」
「自分の夢を誰かに託す為。なんて、言葉は無責任かしら。わたしは澪音さんと奈波さんのことは何も知らないもの。本当の願いなんて、本人にしかわからないわ」
澪音が自分の夢を誰かに託すなんて思わない。だって、澪音が立っている場所は澪音の才能と努力によって手に入れたモノだから。
私が同じ場所に立つ方法なんてあるわけがない。
「あれ……」
でも、以前よりも私の立っている場所が大きく変わっている。それは澪音の行動によって引き上げられた気がする。澪音の自分を犠牲にするような行い。
私は、ずっと澪音に手を引かれ続けていた。
「律月ちゃん。部屋を用意してくれるかしら」
「奈波さんを病院に泊めるつもりですか?」
「ええ。今は誰にも邪魔されたくないでしょうから」
向日葵が立ち上がり、私の肩に触れてた。
「そんな顔で外に出ない方がいいわ」
「私は……」
きっと、私は以前の私と同じ顔になっている。
自分を見失っていた頃の私。
また、私は元に戻るのだろうか。
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