第2回 社会人人生は、未知との遭遇の連続です
第2回の今回は、私の精神疾患の罹患歴を、経緯などとともにざっとお話しようと思います。
昔の話も含むので、記憶がはっきりしないせいで曖昧な表現が連発しますが、ご容赦下さい。
それから。前回の続きを期待した方もいるかもしれませんが、私が近年のみの精神疾患の罹患で「精神障害者保健福祉手帳」の取得を決めた訳ではないということを、一応お話したかったんです。
ちょっと長くなりますが、このエピソードの次にちゃんと相談に行った話も書きますので、ご安心下さい。
私が最初になったのは、20代中盤の頃だったと思います。
接客が好きだったので、グッズなどを取り扱う雑貨店でアルバイトをしていましたが、軽いうつ病を患いました。
この時なぜ、自分がうつ病だとわかったのかというと。あるきっかけがありました。
ある日、何気なくテレビのチャンネルをNHKに変えたんです。そしたら「こんな症状がある人はうつ病」みたいな番組(だったかコーナーだったかは全く覚えていませんが)をやっていたんです。しかもタイミングよくチェックリストも出ていて、「10項目のうち5項目当てはまったらうつ病の疑いがあります」と言っていて(確か5項目と言っていました)。
その頃、食欲不振とかだるさとか、今まで感じたことのない身体の不調が長く続いていました。なのでちょっと気になって、チェックリストで幾つ当てはまるかやってみたら、5項目は当てはまったんです。
自分にうつ病の疑いがあると知った私は、「あ。そうなんだ。自分て、うつ病かもしれないんだ」と、案外すんなり受け止めました。
そのあと、母親にも言っておかなきゃと思って「うつ病かもしれない」と報告したんですが。ちょっとタイミングが悪くて、受け止めてもらえませんでした。そりゃそうです。確か、父親の病気が発覚した時だったので。
そういう反応をもらった私は、両親を頼らず自分で精神科のある病院を探し、念のために受診しました。案の定、先生からは軽いうつ病だと診断され、カウンセリングも一応受けましたが、うつ病になった原因は職場環境だったので、長く務めた職場でしたが退職しました。
ここから、私の精神疾患人生とともに、転職人生も始まりました。
それから数年後。二度目に患ったのは『身体表現性障害』でした。前回お話した面接に行った雑貨店の、別の店舗で働いていた時のことです。
新店舗で、オープニングスタッフとして採用され、人員不足でも、同期たちと合い助け合いながら務めていました。
けれど。ある日出勤すると、私の担当する売り場が、知らないうちにがらりと変えられていたことがきっかけで軽い吐き気を覚え、徐々に体調が悪化していきました。最終的な症状は、前回書いた通りです。
クリニックの先生によると、『身体表現性障害』は、主婦の方がよくなると聞きました。自分のテリトリーの台所の冷蔵庫を、自分の留守のあいだに家族に変えられたことで体調不良になったケースがあるそうです。
その疾患名は全くの初耳でした。精神疾患には様々な病名があるんだと、この時初めて知りました。
この時に、ちょっと不快に感じたことがありました。仲良くしていた同期の一人に、
「冷静になりな」
と言われたんです。心配も同情もない言葉でした。恐らく、「人員不足なのに何言ってるの」という心情だったんでしょう。しかし、突き放された私は、信頼していた相手にがっかりした気持ちと、僅かな憤りを感じました。
私が本当に精神疾患だったと知った彼女は、どう思ったんでしょう。連絡も取っていないので知る術はありませんが、少し聞いてみたいものです。
不快なことは、それだけではありませんでした。
診断書を提出した時です。そんなすぐに完治しないとわかっていた私は、長期の休みを店長と社員に求めました。けれど、有給分しか与えられないと、長期休暇の検討すらされませんでした。
生気なく項垂れた私を見て、この病がたった10日で完治すると思っていたんでしょうか。その冷淡さに、私は絶望させられました。
またその数年後の、去年。診断が下されたのが、『適応障害』です。
それは、食品配達の配送を請負う会社の工場での、ピックアップの仕事に採用された初日でした。その日は朝から極度の緊張状態で、ストレスが重く心にのしかかっていたのを覚えています。
現場に入り、単純作業で、これならすぐに慣れそうだと安心し始めた時でした。ところが突然、他の人が一斉に何も言わずにその場から去って行きました。10分の休憩時間だったんです。合間に休憩時間があることは事前に説明されていましたが、タイミングは全く聞かされていなかった私は、どうしていいかわからず立ち尽くしました。
取り残された私を見つけた現場の責任者の方が教えてくれて、私も5分ほど休み、その日の仕事はなんとか終えました。
しかし、その夜。休憩時間に取り残されたことを思い出した私は、急に泣き出してしまいました。何も言われず取り残されたことが無視されたように思えて、とても怖い場所だと感じたんです。
いつもと違う症状に不安に駆られ、ネットで自分の症状に合う病気を調べて『適応障害』の可能性に気付きました。これも初めて知る疾患名でした。クリニックの先生にもそう話すと、そうかもしれませんねと言いました。
仕事を休み、治療を始めてから、できれば職場復帰をしたかったんです。なので、先生にも勧められて、リハビリで職場に向かってみたことがありました。
けれど、近付くにつれて過呼吸になり、呼吸困難に陥る寸前にまでなりました。これも、今までになかった症状です。
半年の休養御、この職場も結局は退職してしまいました。この頃にはすでに、「普通に仕事をする」という自信がほとんどありませんでした。
今年の春までで、通院して判明した疾患名は以上ですが、この他にも精神的ストレスからうつ状態になっています。
ある職場では、普通に働いていたのに突然、先輩の男性スタッフに勤務中に怒鳴りつけられて。
違う職場では、「過去に手抜き仕事をしていたスタッフがいたから、真面目にやっていることを証明するため」という理由で、朝出勤するたびに、他の人にも見えるように、先輩から赤字のダメ出しメモがデスクに置いてあって、その多大なストレスから不調となり。
しかも。そこでもまた、私の仕事が終わるまで待っていた上司に「待っていてやったんだから何か言え!」と唐突に怒鳴られて。
また別の接客業の職場では、レジで言うセリフを一言一句間違えることが許されず、最初の指導から厳しくされ、初日からストレスを抱えることになり。
……と。他にも、思い返せばあれも鬱だったなと思い当たる節が2〜3あります。必ずしもクリニックに行っていたわけではないので、思い当たる節が全て本当に精神疾患なのかはわかりませんが、とにかく、私の社会人人生は精神疾患との出会いの連続でした。
いや。連続です。
これを読んでいる方の中には、「ただ働く気がないだけじゃないか」「鬱なんて気のせいだ」「怠けたいだけじゃないか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
もしかしたら、そうなのかもしれない。怠けたくて、鬱を理由に働きたくないという心理から、現状を自分で作っているのかもしれない。
むしろ、それならその方がいい。催眠術でもいいから、今まで患ったものが全て気のせいだと誰かがはっきりと断言して、私に普通に働く自信をくれたら、私は「普通に働く」社会の一員になれる。
だけど現状、誰も私を「普通に働ける人」だと証明してくれる人はいない。だから、自分なりに、この多様性の世界で「普通に働く」ことを模索することにしました。
このエッセイを書き終わる頃には、「普通に働く道標」が現れてくれるんだろうか。
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