わたしはただ、普通に働きたいだけなんです。

円野 燈

第1回 労働の“義務”はあっても、労働の“資格”はないのか?



 はじめまして。私は、円野燈と言います。普段はweb小説を書いている、しがないなんちゃって物書きです。

 私が住んでいるのは、関東地方の隣の、日本の真ん中あたりにある地方のとある都市です。


 私は社会人になってから、精神疾患を何度か経験してきました。これを書いている少し前にも患いましたが、現在は薬を飲み少しずつ回復傾向です。


 そんな私は今年、「精神障害者保健福祉手帳」の取得のための行動を起こし始めました。あることが起きるまで、精神障害者が持てる手帳の存在は記憶から抜けていました。その経緯を、今回はお話しようと思います。


 そのあることとは。忘れもしない、今年の4月29日のことです。




 雨が降っていたその日は、とある雑貨店のアルバイトの面接日でした。以前、その店の別の店舗で勤めていたことがあり、面接が連戦連敗だった私は、縋るような思いで古巣に戻れればと思っていました。


 実は、以前その店を辞めた理由は、突然、精神疾患を患ったのが理由でした。長期休暇の取得ができないと言われ、半ば投げやりで退職しました。その事情を知っているはずなので、ある程度の理解をしてくれるだろうと期待して、面接を希望しました。


 本当は、当時のことを知っている社員の女性が立ち会う予定だったようですが、スケジュールが合わなかったらしく、女性店長と男性副店長と三人での面接となりました。


 案内された面接の場所は、店舗の三階にある休憩室。使い古された従業員専用ロッカーに、雑然と置かれたストック商品が入った多くのダンボール。天候のせいで照明を点けても薄暗い空間でした。


 最初は、他の店舗での面接と同様に和やかな雰囲気で始まりました。様子が変わり始めたのは、希望理由を話したあとくらいからです。


 これを書いている今、その面接からは時間が経っているので記憶が曖昧で、質問の順番は前後しますが、思い出せる限り書きます。


 女性店長は、当時を知る女性社員から私の状況を聞いていました。


 店舗で勤務していた当時、とあることがきっかけで精神的な不調を感じ、「これはやばい」と思って本当はすぐにでも休みたかったんですが、人員不足で休むことができませんでした。なので、私は無理やり身体を動かし、石を詰めたリュックを背負ったような重い体と、両足に鉄球を付けているように足をすって通勤していました。

 接客業でしたが、まともに接客など状態ではないのもわかっていました。けれど、入荷した商品は捌かなければならず、追加した分を少し出すくらいしただけで、売り場に留まり続けることができなかったので、ほとんどバックルームに籠もっていました。

 他のスタッフと交代でレジにも入らなければならず、やむを得ず立っていましたが、笑顔などできないので、当然、お客さんにも不快を与えていただろうと思います。


 その状況を聞いていた女性店長ですが、彼女から放たれた言葉は。


「あれから、会社の状況は変わっていません。経営が悪化したので、むしろ悪くなっています。前の店舗ではバックヤードに籠もっていたようですが、それでは困ります。この店舗もギリギリの人員でやっているので、体調が悪かろうがなんだろうが、店に立ってもらいます」


 でした。薄暗い空間の雰囲気と雨音と調子を合わせるように坦々と、ただただ辛辣なことを言われました。私の心は、音を立てて折れました。


 しかし、私の心が傷付けられたのは、その言葉だけではありませんでした。


 履歴書の職務履歴で、前職が接客業ではなく出荷工場の勤務だったことに触れた時です。その職場でも精神疾患を患ったことを正直に言うと、彼女は、


「接客じゃないのに病んだんですか?」


 と言った。その時私には、「接客じゃないのに普通に働けないの? 意味わかんない」という含みを持って、彼女が嘲笑ったように聞こえた。

 その途端、胸が詰まり、涙が溢れてきました。普通に働けないことを、責められたような気がしました。

 自分は何か悪いことをしたんだろうか。普通に働けないことは、悪いことなんだろうか。

 ここで泣いたら負けだと思って、少し過呼吸になりながら溢れ出そうなる涙を必死に堪えました。

 ところが、その予想不可能だった発作も、面接の状況を悪化させる要因となってしまいました。

 俯き、肩で息をし、涙を必死に堪える私を見た彼女は、こんなことを言った。


「そんな状態じゃ働けませんよ。この店舗には、いろんなお客さんが来ます。口の悪いおじさんに、悪態をつかれることもあります。そんな店舗で、そんな状態で働けますか? 私には無理だと思います」


 彼女は再び坦々と、ただただ冷徹に現実を突き付けた。それは、氷の棘で覆われた鉄の壁だった。


 それでもここで働きたいですか? と、同じ調子で彼女は尋ねた。私は口を噤み、しばらく沈黙した。


 別に、同情で雇ってほしいと言っているわけじゃない。甘やかしてほしいとか、自分だけ贔屓してくれと言っているんじゃない。古巣だからといって、特別扱いをされることを望んでいない。


 私はこの時間で、一つの答えを導いた。


 ああ。この人は、この会社は、何もわかってないんだ。何も知ろうとしないんだ───と。


 沈黙していた時間は、三分なのか五分だったのかわからない。私は、閉じていた口を拒みながら開き、彼女に言いました。


「結局、雇う気がないんですよね」


 投げやりぎみにそう言った。そしたら彼女は、


「そういうわけじゃありません。障害を持った人も、何人か働いています。でも、あなたには、普通の人と同じように働いてもらいます」


 なるほど。自分の凝り固まった物差しでしか、物事を決められないのか。自分の目で確認できる障害手帳の「あり」「なし」でしか、その人への対処を考えられないんだと理解しました。


 私はこれを、『差別』だと感じた。

 折れた心は、粉々になった。


 それ以外は何を話したのかは、ほとんど覚えていません。面接時間の半分が、少し険悪な雰囲気になっていたのは覚えています。


 結局彼女は、「あなたが働く気なら雇いますよ」と最期まで蔑んだ姿勢で、“私自身”を受け入れようとする寄り添いの欠片は全くありませんでした。同席していた男性の副店長は、涙する私にティッシュを渡してくれた以外、ほぼ話に入って来ませんでした。


 彼女自身が私をどう見て、どう感じていたのかはわからない。けれど彼女の言葉は、会社の方針だ。


 店を出ても、まだ雨は降り続いていました。歩き出した私の心にも雨が降り、同時に雷鳴が轟き、風が吹き荒れた。


 悔しかった。めちゃくちゃ悔しかった。今まで生きてきて、一番悔しかったかもしれない。


 面接をしたことを、酷く後悔しました。事情を知っていることに少しでも期待したのは間違いだったと、バカな自分を責めました。


 その時に、ふと思い出したことがありました。


 SNSでフォローしているあるマンガ家の先生が、PTSDで精神障害者用の手帳を取得したと、手帳の写真とともに投稿していたのを思い出したんです。この時まで、すっかり忘れていました。


 私は、帰宅してから「精神障害者保健福祉手帳」のことを調べ、役所で申請できることを知りました。


 このままではダメだ。精神疾患を何度も繰り返し、そのたびに退職を繰り返すのは、そろそろやめないといけない。この手帳があれば、私の“お守り”になるかもしれない。




 このような経緯があり、私は「精神障害者保健福祉手帳」の取得に動き出しました。


 私たち国民には、労働の“義務”があります。しかし実際には、私たちのような人間は、一般社会の中での労働の“資格”はないのだと感じます。

 東京など大都市の企業は、制度がどの程度整えられているのかはわかりませんが、地方都市の企業の現実はこの程度です。


 一般社会での精神障害者は肩身が狭く、居場所がありません。病がバレれば掌を返されて厄介者のように扱われ、その人のそのままを受け入れることを拒否する。この面接で、その現実をまざまざと突き付けられました。


 もしかしたら、手帳を持つことで、一般人との境界線をはっきりと引かれるかもしれない。

 でも、それでもいい。私は私だ。これが私なのだから、私は自分を恥じない。




 まだ第一回目ですが、最後にこれだけは言わせてください。


 一般社会のあなた方が私を軽蔑したように、私もあなた方に絶望し、軽蔑します。



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