感覚遮断落とし穴はなぜ人間を捕食しないのか?

白神天稀

感覚遮断落とし穴はなぜ人間を捕食しないのか?

「噂に聞いてた――本物の感覚遮断落とし穴だぁ!」


 山中の開けた場所に空いた穴。目にした途端俺は飛び上がった。


 後ろでアシスタントは深く溜め息をついていたが、そんなことに構ってなどいられない。エロ漫画家として俺は、奇跡の発見をしたかもしれないのだから。


「また取材だって無理矢理連れてこられたら、何ですかこれ?」

「お前感覚遮断落とし穴知らねーの? もっと読めよ漁れよエロ漫画。お前も描いてんだろうが」

「落とし穴の方は分かりますよ。なんでこんな山奥にある小さい穴のために山登りさせたんだって聞いてるんですって」

「まーまー、こういうのは足を運んでなんぼでしょ。エロ漫画にもリアリティと引き出しは必要でしょ?」

「百歩譲って現地に行くのはともかく、感覚遮断落とし穴なんてフィクションの産物をどうこの穴に見出してんですか」

「いいや、フィクションかはまだ断定できないぞ」

「何を根拠に……」

「この動画に証拠がある」


 保存してた縦長動画を再生して見せつけた。


 映像では若い動画投稿者がこの穴に下半身をすっぽり入れて実況していた。


『おっ!? なんだこれ、足の感覚なくなってきた気ィする!』


 ガヤの反応も驚嘆と恐怖が入り混じったようなものだった。怖いもの見たさで検証してくれた彼らの勇気を讃えたい。この動画が俺をここまで導いてくれたのだから。


 こんなある種で感動的な動画にも関わらず、俺のアシスタントは訝しげな顔を浮かべたままだ。


「場所は確かにここみたいですけど……ほんとにやるんですか?」

「ガセかどうか確かめるためにも、ここで入らなきゃってわけよ!」

「この人はいつも……」

「それじゃ、レポ漫画描くためにもいざ!」

「もう、どうなっても知りませんよ」

「どうにかなって気絶してたら、帰りのキャリーよろしくねっ」


 とうっ、と勢いをつけて俺は穴へ飛び込んだ。

 見事、腹の辺りまでずっぽりと地中に埋まる。SNSで親の顔より見た光景をこの身で再現できた。


「……何も起きないな」

「はあ。もし本当にこれが感覚遮断落とし穴なら、触手が何かするまで時間かかるんじゃないですか?」

「おおっ、お前頭良いな! よく読み込んでるじゃないか」

「先生が読ませてんでしょうが」


 こんな態度でも作品に対して真摯なところが我がアシの良いところだ。


「ところで常々思ってるんだが――なんで穴の触手って直接人間を食わないんだろうな?」

「エロ同人の設定に理由求めます?」

「ほらぁ、俺普段は一般誌用のバトルやミステリーも描くじゃん? 設定とか考え出すと気になってさ」

「はぁ」

「感覚遮断落とし穴の作品ってさ、事の顛末が描かれないことが多いんだよ。脱出してから意識ぶっ飛ぶとかはあっても、死んだって描写は見たことない」

「自分は何度かありますよ。定番のエッチなパターンかと思ったら、実は地中で下半身がミンチにされてたやつ」

「グッロ!? こわっ、てかなんでそんなもの読んでんの?」

「ジャンル増やせって言い出したのアンタでしょうが」


 方向性はやや奇抜だが、弟子の成長も順調らしい。


「とにかく、俺が思うにだ。感覚遮断ってのは予想外の副産物だったんじゃないか?」

「その心は?」

「毒だ。本来は小動物を動けなくする類の毒成分なんじゃないか?」


 成人男性が入るギリギリの幅しかない穴の縁を指でなぞった。


「そもそもこんな穴、人間がすっぽり入るなんて想定してない。きっと小動物を誘い込んで中で捕食するための構造だ」

「食虫植物のウツボカズラみたいですね。穴に誘い込んで食うって」

「そこがポイント! 本来は動物が動けないレベルでも人間には効果が薄かった結果、麻酔みたいに感覚がなくなる程度で済んでるってわけ!」

「そんな人間だけ効かないって都合の良い話あります?」

「そこはたまたまよ。アボカドだって俺らは普通に食えるけど、犬猫や鳥には劇毒なんだぜ?」

「そんな生物学かぶれな次元まで考えますかね、設定……」

「設定は突き詰めるだけ良いんだよ! トトロだって大型動物だけど草食だから人間みたいな歯ァしてんじゃん」

「それ先生がなんかの都市伝説動画で聞いた知識でしょ」


 他にもアメコミ映画や新劇の雑学は語り尽くしたいぐらいあるが、それは次の機会にしよう。


「あとは仮説だけど、大型動物が罠にかかったのも想定してわざわざ感覚遮断してるのかな?」

「それまたどうして?」

「こうやってハマってる時、痛い苦しいって叫んでる動物がいたら他の動物も近づいて来ないじゃん」

「ああ。ここは捕食の罠でもない安全地帯と思い込ませて、次の獲物に刷り込みさせてるんですね」

「くわえて野犬とか猪が居ればラッキーじゃん? 引っかかってる上半身は綺麗に持ってってくれるだろうし」

「そうすれば下半身は穴の中で吸収して、更に死臭がまた新たな獲物をおびき寄せる……考えるほどエグい生態してますね」

「だろぉ? 事実かはともかく、なかなか良い考察なんじゃないのこれ?」

「そこまで考えといてよくこの穴入ろうと思いましたね」


 たしかになと腹から笑ってみたら、穴に圧迫された肺が苦しくなった。


 そんなこんな、この感覚遮断落とし穴(仮)にハマってアシスタントと語っていたら、あっという間に時間は経っていた。

 いつも創作談義なんかをしているとこう時計を見ることを忘れてしまうのは、創作者の性だろうな。


「じゃ、そろそろ出るか」

「下半身食い千切られてるとかごめんですよ?」

「本当に人食い穴だったとしても大丈夫な時間計算してあるから大丈――ぶ?」


 穴の中で違和感があった。足が上がらない。穴の側面以外の何か、板のようなものに阻まれて足を動かせなかった。

 そしてやけに体も重い気がした。


「どうしました?」

「なんだこれっ、足が引っかかってる。入った時気付かなかったけど、板か何かのがあんだよ」

「ああ、ブービートラップ。ベトナム戦争で使われた古典的な落とし穴ですよ」

「えっ、じゃあ人工物確定じゃん。最悪だ、これ上手くやんないと出られな――」

「安心してください。ありませんから」


 その妙な言い回しだった。それに彼は見えない筈の穴の中の仕掛けを言い当てた。

 背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「……お前?」

「何人かの配信者雇って大変だったんですよ? 先生のスマホまで動画回すのだって時間かかりましたし」

「いつ、っていうか、どうして」

「先生は穴の中に捕食する生物がいると考えてたようですが、実際に入っているのはこれですよ」


 アシスタントは右手を差し出す。掌には蠢く黒い軟体生物が乗っていた。


「――ヒルです。その穴にざっと七か八百匹ほど入れてます」


 首まで這い上がる悪寒が全身に走った。


 鳥肌が立ったことで、皮膚の感覚が研ぎ澄まされる。ここでようやく、ズボンの中にニュルニュルした感触があったことに気付く。


「青ざめてますね。実際の失血量は分かりませんが、その様子なら恐怖で先に気を失いそうですね」

「おま、なんで、こんな……」

「感覚遮断とは上手くいったものですね。実際、ヒルは吸血時に分泌する唾液の中に麻酔成分を含んでいる。血を吸われてる感覚なんてなかったでしょ?」


 顔を直視できない。それでも視界の隅とその声音から、彼が笑っていることは察せられた。


「血を吸われてることに気付かず、だんだん血が薄くなる。死ぬ苦しみを味わう前に、意識が先に落ちるってわけです。知らない内に死の足音が迫る」


 意識も聴力も遠のいてくようだった。体が恐怖で犯される。


「最初に感覚遮断落とし穴を考え付いた人も、もしかしたらこれを参考にしたのかもですね」


 この状況で不釣り合いに爽やかな笑顔に、埋まっていない上半身が指の先まで凍っていった。


「お前、どうして……」

「いやー、仕事の要領も覚えてきたし、先生の作風とか絵柄も習得したから。そろそろデビューしたいなぁって思って」

「はっ?」

「先生、編集さんと普段チャットでしかやり取りしてなかったでしょ? だったら入れ替わってても気付かれないなあって」

「か、顔写真とか経歴で誤魔化しなんて出来っこ……」

「そこも匿名貫いてたじゃないですか。企画のためだって出版社にごり押しして」


 目線を合わせるため屈んでいた彼は立ち上がり、踵を返す。


「ただ先生はやっぱ才能ありますよね。穴にハマった動物が別の生き物に捕食されるなんて発想、考えつかなかったよ」

「っ!!」

「そういう発想も鍛えてかなきゃなぁ……ってことで、適当に匂いの強い生肉か血でも取ってきますね」


 失血が進んだせいか、恐怖に屈したせいかは分からない。だが好都合だった。


 野生動物に捕食される前に、俺の意識は糸を切ったように遮断された。

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