第二十三話『ややの父親』

 くっくっくと笑い、赤子も揺れる。是実と呉乃は二人で同時に小菊を見て眉を顰める。


「小菊殿、一体どうしたのですか?」


 呉乃が首を傾げて訊ねる。すると小菊は笑って乳から赤子を離し、ぽんぽんと軽く叩きつつ揺さぶった。


「いやぁ、お二人のお話がおかしくって……我慢していたんだけどね。ごめんなさい」


「なにかおかしい話をしていましたか?」


「そりゃもう。少将様、ご安心ください。このややの母親は呉乃さんじゃございませんよ」


「……は?」


「……え?」


 二人して驚いて声を漏らす。


 是実は衝撃からの安堵で肩から力が抜け、呉乃は衝撃からの怒りで額に青筋を立てた。


「そうか、そうだったか。いや、そういうことならいいのだ……本当か?」


「ちょっと待ってください。是実様はもしや私のことを疑っていたのですか? 私が見知らぬ男と共寝をして子を授かったとでも?」


「さっきの話からすると無理やりやられたと思ってるみたいですよ?」


「そんなわけないでしょう!」


 珍しく大声をあげる呉乃。見たことない剣幕に是実はおぉっとのけ反る。


「是実様じゃないんですから! そんな適当なことはいたしません!」


「なっ! 待て待て! 私とて出会ったばかり女人とは致さんぞ。まずは文を贈って返事を待ってだな……」


「そういう話ではございません! そもそも、この赤子はどうせ是実様がどこかの姫君と拵えた子なのでしょう!?」


 呉乃の指摘に空気が凍る。是実はぎくりとして再び肩に力が入り、小菊は『あーあ、言っちゃったよ』という顔をした。


「ば、馬鹿を申すな。私とて逢瀬を果たした者とのその後くらい把握している。知らない子など……いない……いないはずだ」


 多分、と最後に付け加えて袖で口を隠す是実。その様子を見て呉乃はため息を吐く。


「この子の親を探しましょう。是実様の隠し子だったとしても、母親を知らぬわけにはいきません」


 首を横に振って諦めたように呉乃が提案する。授乳を終えた小菊から赤子を受け取り、じっと見下ろすと小さく幼い姫君は途端に目と口をぎゅうと寄せた。


「ぶぇえぇ……」


 赤子が泣き始める。呉乃は「え?」とか「なんで?」なんて言いながら慌ててあやす。


 しかし赤子は一向にご機嫌ななめだ。まだ短い手足をじたばたさせて泣いている。


「おいおい、大丈夫か呉乃。泣いておるぞ」


「わ、私だって分かりません。小菊殿が抱いていた時は大人しかったのに」


 普段冷静沈着で淡白な側女が目に見えて慌てている。思えば先ほどの大きな泣き声も呉乃が抱いていた時のことだったのだろう。


 呉乃が困っている姿は珍しいうえに面白いが、泣き続ける赤子を放ってもおけない。是実は「どれ」と言って腕を広げた。


「私が抱こう。そのややを寄越すと良い」


「そんな、少将様に子のお世話など」


「小菊殿の言う通りです。是実様は部屋にお戻りください」


「まぁそういうな、ほら貸してみろ」


 いったいなんの自信があるというのか、是実は呉乃に近づいて腕を出してくる。


 普通ならば主人に泣いている子の世話などさせられない――しかし呉乃はおずおずと腕の中の赤子を丁寧に渡してきた。


「しっかり抱いてあげてください。絶対に落とさぬように」


「分かっている。どれどれ……」


 泣いている赤子が是実の腕の中へとおさまる。軽く左右に揺らしながら女性を落とすときの極上の笑みを浮かべ、赤子へと語り掛ける。


「おぉ、こうしてみるとなんとも愛らしい顔立ち。そなたの母御前もたいそう麗しいお方なのだろうな」


「子をあやしながら口説かないでください」


 呉乃が冷たい声をぶつける。だが是実の笑みと声が功を奏したのか、先ほどまでびぇびぇ泣いていた赤子はやがて泣くことを止め、自分の指を咥えながら是実を見上げだした。


「あらま、泣きやんじゃった」


 小菊が軽い調子で呟く。是実は赤子を左右に揺らしながらもちらりと呉乃を見て誇らしげに口角をあげてみせる。


 呉乃にできなかったことを是実がいとも簡単にやってみせた。その事実に呉乃はこれまた珍しく悔しげに口を引き結んだ。

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