1-5 怒り
市場を抜けて二十分ほど歩くと、目的の店に到着した。
普通の喫茶店だ。
他の店員はというと、奥のキッチンに背を向けた金髪の女性らしき人が見えただけ。
そんなこじんまりとした店のマスターに、「バルディッシュ」の店名を告げて品物を渡す。
品物は、大振りのソーラー充填式波動銃だった。
「いやあ、この前、近くで
にこにこと笑う人当たりのいいマスターは、奥の店員に「コーヒー二つ」とオーダーした。
「こんなところまで来てくれたお礼だよ。自慢の豆を使っているんだ。飲んでいってくれたまえ」
ほどなくして、女性店員が手袋をした手で、いい香りのする淹れたてのコーヒーを持ってきてくれた。
千沙羅は興味津々といった感じで、カップをいろいろな角度から眺める。
「なに、これ。飲み物?」
「初めて見るのか? コーヒーっていうんだよ。いい香りだろ」
「なんか焦げ臭い。それに真っ黒じゃん」
「焦げ臭いのとは違うぞ。そのうち、この香りが病みつきになるんだよ」
「おいしいの?」
「ああ、うまい。ただ、最初のうちはミルクと砂糖を入れたほうが――」
「ンングゥッ!?!?」
俺のアドバイスは遅かったようだ。
うまいと聞くや否やブラックのままコーヒーをすすった千沙羅は、目を白黒させていた。
「苦ーーい! 全然おいしくないじゃん!」
「いきなりブラックはきついだろうな。千沙羅はまず、家のインスタントで作ったカフェオレから始めるべきだな」
苦い苦い、と舌を出す千沙羅に、俺は苦笑しながらジュースも注文してやった。
喫茶店からの帰り道。
市場を通らない道を、千沙羅と歩いていく。
「どうだ、これが運送の仕事だ。わかったか?」
「うん。簡単。あたしにもできそう」
「どうかな。やってみると、これが難しいんだぞ。街のあちこちに行かないとダメだから、エレナみたいな方向音痴には無理なんだ」
「だってあたし、路地の中まで詳しいよ」
「あ、そういえばそうか」
治安のよくない路地の奥は、俺もあまり通らない。
でも千沙羅にすれば、これまで生きてきた路地の中の方がホーム。
そう考えれば、千沙羅の方が運送屋に向いているとも言えそうだ。
相変わらず真上から照らしてくる太陽に、影を小さくしながら歩く俺達。
千沙羅が花壇の縁石の上に立ち、バランスを取って歩き出した。
もう
このままずっといればいい、と思う。
他に行く所なんてないだろうし、それは今の俺だって同じだ。
別にやりたい事だって、何もない。
「じゃあさ、お前も運送屋を始めたらどうだ? 千沙羅は運動能力がすごいから、むいてると思う。最初は俺が一緒に手伝うからよ」
「え?」
良い提案だと思った。
十川瀬ビルでこれからも暮らすなら、役割がないと本人がいたたまれなくなるだろう。
別に運送屋でなくてもいいのだ。「バルディッシュ」の
千沙羅は、驚いたような顔で固まっていた。
俺の言葉の真意、伝わっているだろうか。
つまりは、これからも十川瀬ビルにいていい、って事だ。
そんな千沙羅には生きづらいこの世界。
でも、十川瀬ビルでなら、普通に生活していけるんだ。
千沙羅は、なかなか返事をしない。
どうしたのだろう。そんなに悩む事か?
不思議に思い始めたとき、道の先から怒鳴り声が聞こえてきた。
俺と千沙羅も、同時にそちらを見る。
道の先には、義足の男が倒れていた。あの市場で見た男だ。
その男を、三人の男がよってたかって蹴りつけている。
男は頭を抱え、足を曲げて腹を隠し、為されるがままだ。
それを見た瞬間、千沙羅が走り出した。
慌てて追いかけるが、千沙羅の速力は尋常ではない。
俺は足に装備していた駆動スケーターを起動する。
その間に千沙羅はあっという間に集団に迫り、そのまま一人の後頭部に、飛び蹴りを決めた。
「ぎゃっ!」
と声を上げた相手は、義足の男を飛び越えて吹っ飛ぶ。
千沙羅はさらにもう一人の男の腹に、強烈な前蹴りをねじ込んだ。
だが、後ろにいた別の男に頭を殴られ、小さな千沙羅の体が吹っ飛ぶ。
それを、現場に追いついた俺が抱きとめた。
「なんだ、てめえはっ!」
倒れていた男達も立ち上がり、三人が俺達に詰め寄ってくる。
「いや、俺達は別に――」
弁解しようとした瞬間、千沙羅が腕の中から飛びだした。
正直、油断していた。
後ろから不意打ちで攻撃したのはわかるが、まさか正面からでも三人の男に向かって突撃しようとは。
千沙羅の攻撃は一人の男を突き飛ばしたが、多勢に無勢。
横の男が、すぐに千沙羅を殴り返す。
うめいた千沙羅が後ろによろけて、俺の腕の中に戻ってきた。
「なんだ、このガキ。右腕がないぞ」
しまった。バレたか。
腕の中で、千沙羅が全身を固くしたのがわかった。
男達は、こちらを見下ろて笑い合う。
「なんだ、こいつも『不完全者』かよ。このじじいと同じか」
「そうか。お仲間だから助けにきたって訳か。ま、いいんじゃねえか。神に認められなかった者同士、小さく集まって生きていればよ」
「チガうっっ!!!」
千沙羅が絶叫した。
初めて聞く、千沙羅の本気で怒った声だった。
「あたしは、不完全じゃないっ!」
「何を言ってんだよ、お前、右腕が無いじゃねえかよ。悔しかったら右手を持ってこい。グハハハハッ」
「うぅ、ウアアアアッ!」
獣が吠えたような声を千沙羅が上げた。
俺が押さえていた両肩を振りほどき、男達に突進する。
渾身のタックルを受けて、右の男が地面に転がる。
すぐに千沙羅は別の男に飛びついた。
だが、後ろから千沙羅を捕まえた相手が、力任せに地面に投げつけた。
そこに俺が走り寄り、絶妙なタイミングで投げられた千沙羅をキャッチする。
もう慣れた。この短時間で三回目。
「千沙羅キャッチ選手権」があれば、今の俺なら間違いなく優勝だ。
「てめえもかっ!」
男達が俺にむかってくる。
俺は波動銃を抜き、走り寄る男達の足下に無言で撃ちこんだ。
「うおぉっ!」
急ブレーキで止まる男達。
うなり声をあげて暴れる千沙羅をなんとか抱きとめながら、俺は男達を見る。
「最初にこっちが手を出したけど、やり返されてるし、もうチャラってことにしてくれないか。ちなみに俺は、現役の
「か、神衛……」
「いざとなればギフトも使える。知ってるよな? ギフトは人だって何だって攻撃できる。それから、そっちの人も置いていってくれよな」
倒れたまま動かない義足の男を、顎で示す。
顔を見合わせた男達は、舌打ちをしながら去っていった。
その背中を見送りながら、ふうと息をつく。
「ふん、ギフトなんてやってたまるかよ。千沙羅、大丈夫か?」
腕の中の千沙羅に問いかける。
千沙羅は頷きながら、すっと立ち上がった。
やつらの攻撃を受けはしたが、ダメージはほとんどないようだ。
俺と千沙羅の前で、倒れていた男が体を起こした。よく見れば、もう初老の男性。
こんな歳の人間を、三人掛かりで攻撃していたのか。
歩み寄り、手を貸して立ち上がらせた。
男は服の中に隠していた袋を取り出して覗きこみ、弱々しい声で言う。
「ありがとう。ああ、良かった。壊れずにすんだよ」
「あの、余計なお世話かもしれないですけど、人ごみに一人で行くのは止めた方がいいですよ。今日、市場にいましたよね。あそこも最近、欠損差別がひどいですから。特にあなたは足ですからね。逃げる事も、立ち向かう事もできないでしょう」
「そうじゃな。妻の誕生日プレゼントを買うために、一人で行ったんじゃが。寂しい時代になったもんだ。人々のために神衛として戦い、体を失った不完全者を痛めつけるなんての。ああ、お嬢ちゃん。君もありがとう」
少し離れた所で、じっと立っている千沙羅に、男性は悲しそうに笑いかける。
「お嬢ちゃんも、腕を失ったか。儂と同じつらい立場だが、がんばっていこうな」
千沙羅が、ぐっと拳を握ったのが見えた。
「同じじゃない! 一緒にするなっ!」
そう叫んだ後、千沙羅は走っていってしまう。
俺は、戸惑う男性に頭を下げ、慌てて千沙羅を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます