1-3 世界の意味は?
武器商「バルディッシュ」の入る
最初は強引なエレナの引き止めで、仕方なく滞在していた状態だったが、三日もすれば千沙羅自身も出て行くタイミングを失ったようだった。
俺は十川瀬ビルの屋上にいた。
時刻は昼前。
運送業の仕事も、
四階建ての十川瀬ビル。
周りのビルに囲まれて景色なんか見えないが、こんな穴の底のような屋上にも、真上から動かない太陽はしっかりと陽光を届けてくれる。
ごろりと寝転がると、空の真ん中に居座る太陽の向こう、天球に貼りつく逆さまの第二都市エリアや海が見えた。
『
それがこの世界の名前だと、千沙羅は知っているのだろうか。
ふとそんな疑問が頭をよぎる。
この世界に名前があるなんて、俺は考えた事もなかった。エレナに教えてもらうまでは。
名前の中にあるナンバーについてもそうだ。この世には知らない事がたくさんあって、そして、それは生きていく上で不必要なものばかりだ。
普通の家庭に生まれた俺が、そんな「高尚」な知識を得られたのは、「3」のナンバーを誇る名家「十川瀬家」と親同士が知り合いで、
球の内側に貼り付いたような世界、日本球。
球の中心に太陽があるから、それはどこに行っても必ず頭上にいる。
上を見上げれば、空の果てにある球の内壁に、反対側の地上が見える。
あちらから見れば、俺のいる第一都市エリアも、あのように空のてっぺんに逆立ちしているのだろう。
左右の果てにはそそり立つ地上があるはずだが、ビルに囲まれたこの屋上からは見えない。
空の中心を動かない太陽は、時刻とともに光量を変えていき、夜には消えるか月になる。
まあそんな事は、この世界が誕生してから今日まで一度も変わらない、当たり前の事なのだが。
ただ、なぜこの世界が「日本球」というのかはわからない。
それは、かつて高等な教育を受けていた丸世路やエレナであっても知らない。
「日本」という言葉は、古い文献や遺跡に見つかる言葉だが、その意味を知っている者は誰もいない。
カツカツと、サンダルの音がする。
誰かが屋上に来たみたいだ。
すぐに太陽を遮って、千沙羅が俺を見下ろした。
「よう、千沙羅。お前も日向ぼっこ?」
「うふっ」
短く千沙羅が笑う。
俺の顔の上に垂れていた赤いスカーフが揺れた。
曰く、風呂でエレナに「削れるほど洗われた」千沙羅は、すっかり普通の見た目になった。
その肌はたくましく生きてきた証のように焼けていて、体は細身だがしっかりとしている。
長い髪はエレナの手入れによって、随分と艶やかになった。今日はエレナのワンピースを着ている。
そして、俺達に慣れてくるにつれて、千沙羅は結構しゃべる子だとわかった。
どこにでもいそうな、活発でかわいい十五歳の女の子。
ただその右腕は、肩の先、少しだけしかない。
「イザムは、暇なの?」
「いきなり失礼だな、千沙羅クン」
「だって
「何を言うんだ。君は神衛として戦っている俺を見たではないか?」
「戦うっていうか、逃げてるのは見た」
「うっせえ」
体のすぐ横にあった千沙羅の足を、べしっと叩いてやる。
すぐに千沙羅が笑いながら、げしっと蹴り返してくる。
そして、俺の横にぺたりと座った。
「そうだな。もう五日も運送の仕事がないから、暇かと言われれば、暇だなー」
「運送の仕事って、何?」
「知らないのか?」
「うん、知らない」
「運送ってのはな、誰かから荷物を預かって、別の誰かに渡してあげる仕事だよ」
「ふーん。どうして自分で渡さないの?」
「そりゃあ、遠くにいたりとか、忙しくて相手の所に行っている時間がないとか、さ」
「忙しくて渡しにいけない人の荷物を、イザムが渡しにいく」
千沙羅は繰り返した後、にやっと笑って俺を見た。
「やっぱりイザムは、暇なんだ」
「だから違うって」
笑いながら否定する俺は、運送屋も知らない千沙羅を見上げる。
千沙羅はどんな人生を送って、今、俺の隣に座っているのだろうか。
「千沙羅、知ってるか。この世界はな、『日本球』って言うんだぜ」
「セカイ?」
きょとんとして、俺を見下ろす千沙羅。
「そう。世界」
「セカイって何?」
「世界……とはな。うーん。世界。難しいな」
俺は、がばっと起きあがる。
そして、空を指さした。
「あの太陽。それから空。雲。その先には、第二都市エリアが見えるだろ。それからあっちの端には生産エリアも見える。海も見える。そして、すぐそこ、周りにあるビル。道路。そこにいる人間。動物、木、生き物全部。そういった全てを合わせて、世界っていうんだ」
「ふーん、それが世界なんだ」
「わかったか?」
「うん。世界。つまり世界は『中』って事」
「お前、絶対わかってないよな」
空を見上げる千沙羅に、俺は肩をすくめる。
まあ、俺だって人の事は言えない。
エレナ達に教えてもらうまで、何も知らなかった。
「千沙羅ってさ、いつから廃ビル群で暮らしてたんだ?」
何気なく尋ねた。
千沙羅は屈託のない声で答える。
「いつから? ずっとだから、生まれたときから」
「う、生まれたときから……」
言葉を失って千沙羅を見る。
そんな俺の視線に気づかず、千沙羅は首を傾げた。
「あ、でもお母さんがいる時は、家で暮らしてた。丸い大きなパイプの中に作った家。雨が降ると、奥から出てくる水で流されちゃうけど」
それは家じゃないぞ。
心の中のつっこみは、もちろん声には出さない。
つまりは、元々が
まともな家もなく、食べる物も満足に手に入らない。
千沙羅にとっては当たり前だったのかもしれないけど、街に暮らす人間からすれば、考えられない厳しい生活だ。
しかも千沙羅には右腕が無い。
そんな千沙羅を特別に不幸だとは思わない。
なぜ右腕が無いのかは知らないが、エレナだって左目を失ってからは欠損差別に晒されている。
俺だって家族を失っている。
この世界では、どこにでも転がっている話なんだ。
でも何かの縁で俺と千沙羅は出会い、こうして一緒に肩を並べて日向ぼっこをしている。
こいつが、いつまでここにいるのか知らないけれど、この広くて丸い世界で偶然出会ったのだ。
助けてもらった恩もあるし、千沙羅に構ってやるのもいいかもしれない。
その時、端末が振動する。
丸世路からのメールだ。久々の仕事の依頼。
「よしっ」と言いながら俺は立ち上がって、不思議そうに見上げる千沙羅に手を伸ばす。
「仕事だ。連れてってやるよ、運送の仕事。千沙羅だって暇なんだろ?」
千沙羅の顔が、笑顔になっていく。
「うん」
大きく頷いた千沙羅は、左手で俺の手を握った。
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