第一章:日本球と神衛

1ー1 旧ビル地区の日常

 ここは、第一都市エリアの外縁。

 古い建物が立ち並ぶ場所「旧ビル地区」。

 さらに外にあるのが、朽蟻くちありの出現した「廃ビル群」だ。


 その浮浪者の街から、俺は二時間もかけて、ようやく旧ビル地区まで帰ってきた。


 路地の奥にある武器商「バルディッシュ」。

 その店が入るビルの三階。

 その一室のベッドに、右腕の無い少女が横たわっている。


 彼女の体を素人診察したエレナが言った。

「小さな擦り傷はいっぱいだけど、大きな怪我はないみたいだよ。きっと、軽い栄養失調じゃないかなぁ」

「って事は、腹が減っていただけってこと? まじかよ。わざわざ連れて来る事なかったな」


 肩を落とす俺の上から、エレナの兄である丸世路まるせろが、二メートル近いがたいで言ってくる。

「しかしイザム、お前、この子に助けられたんだろう。その礼と考えればいいじゃねえか。命の礼に、一宿一飯の恩返しだ」

「いや、助けられたって程でもないけどさ」

「うそつけ。禿げたくないよって、逃げ回っていたのは、どこのどいつだ?」


 醜態を暴露しやがった螺数らずを、俺は殴りつける。

 螺数はひらりとかわして、天井近くまで飛び上がった。

 丸世路が呆れた声を上げる。


「またかよ。お前、いつになったら神衛かみもりらしく戦えるんだよ」

「全くだ。このままでは丸剝げチキンになるのも、時間の問題だな」


 天井から螺数も、丸世路に加勢する。

 俺はやる気のない声を返した。


「いいんだよ、神衛らしくなんてならなくって。とりあえず、朽蟻との戦闘現場にさえいれば、いいんだからさ。無理して戦う必要なんてない」


 そんな俺の前に、ちょこちょことエレナがやって来る。


「うん。ギフトを使わなくて済むなら、それがいいと思う」


 銀の髪を揺らして言うエレナに、心が和む。

 幼い頃から知っている彼女は、俺にとっても妹のようなものだ。

 そのエレナが、右目で俺を見つめる。


「でも、どうしてもギフトを使わないといけない時は、気をつけてね……」


 心配そうな表情のエレナ。

 その右目。

 たった一つしかないその目を、俺は見つめ返して笑った。


「ああ、大丈夫だよ、エレナ。ありがとな」


 頭に手をおいてやると、エレナはようやく不安そうな目を和らげた。


 エレナには、神衛のつらさがわかるのだ。

 かつて神衛として徴兵され、戦っていたエレナには……。

 そしてギフトにより左目を失い、今でも眼帯をつけ続けているエレナには……。


「まあ、問題は、この子をどうするかだな」


 丸世路の言葉に、俺は無駄にでかい男を見上げる。


「どうするって、どういう事だよ、丸世路。さっき、一宿一飯をやるって言っただろ」

「その先の話だ。別に一晩面倒を見るくらいは、大した事はねえ。だがよ、この子の腕を見るに……」


 丸世路の視線を追う様に、全員がベッドで眠る少女の「無い右腕」を見る。

 そこには結ばれた長めの赤いスカーフがあるだけだ。


「この子は恐らく、00ゼロゼロナンバーだろ」

「でもお兄ちゃん、腕が無いなら私みたいに、神衛退役者かもしれないよ? ギフトで使っちゃったのかも」

「いや違うな、エレナ。そうだとしても、ただの退役者ならここまでにはならない。この子の姿。どう見ても家も仕事もないだろう」


 丸世路の言葉通り、室内の明かりの下で見ると、よりはっきりとわかった。

 少女はどこもかしこも汚れている。顔だけは先程エレナが拭いてやったので、幾分かはましだが。


 ベッドの枠に座ったぬいぐるみの螺数が、ブースターのついた腕を振る。


「まあ、浮浪者なんだろうな。若いのに可哀想なこって。とは言っても珍しい話でもないが」

「じゃあ、この子。帰る家がないんだね」


 エレナがじっと少女の顔を見つめる。

 そして、おもむろに丸世路を見上げた。


「ねえ、お兄ちゃん。もしもこの子がここにいたいって言ったら……」


 それに非難めいた声で答えたのは、螺数だ。


「おいおい、エレナ。お前、自分が言っている事をわかっているか? こいつは、00ナンバーだって話をしているんだぞ」

「そ、そうだけど……」


 言葉を失うエレナに、丸世路が諭すように話しかける。


「螺数の言う通りだ、エレナ。口で言うのは簡単だがな。政府が『人として認めていない』00ナンバーの人間を家族に入れるのは、それなりの覚悟が必要だ。しかもこの子は欠損者。今のお前の状況より、もっとつらい事になるぞ」


 眠っていた少女が小さな声を漏らしたのは、ちょうど丸世路の言葉が終わった時だった。

 全員が見下ろす前で、片腕の少女はゆっくりと目を開けた。

 ぼうっとした視線で辺りを見渡した少女が、少し体を起こす。


 最初に話しかけたのは、丸世路だ。

 大きな体で前屈みになり、銀色短髪刈り上げの頭を突き出す。


「気がついたか? ここは――」


 丸世路の言葉は、そのあごを真下からカチ上げた少女の膝蹴りで止められた。


「ぐへあっ!」


 うめき声を上げて後ろによろける丸世路。


 まあ、寝起きにあのゴリラ顔を近づけられたら、攻撃するのも無理はない。

 不安定なベッドの上で、警戒した姿勢を取る少女に、エレナが慌てて言う。


「お、落ち着いてっ。ねえ、ここは安全なんだよ。私達、怪しい者じゃないんですっ」


 険しい少女の表情は変わらない。

 荒い呼吸でエレナを睨み返す。

 俺もエレナの横から、膝蹴りの当たらない位置に顔を出して言った。


「そうだよ。ほら、俺。覚えているか? 君に、その、助けてもらった……」


 俺を見た少女の顔から、ゆっくりと険しさが消えていく。

 ようやく彼女は口を開いた。


「……君、禿げたくない人?」

「は、はげ?」


 エレナがきょとんとして俺を見るが、無視する。


「そうそう、その俺だ。君がいきなり倒れたからさ、あの場所に置いておく事もできないし、俺の家まで連れてきたんだよ。ここ、旧ビル地区の俺んち」

「正確には、十川瀬とがわせビル。俺とエレナの家だ……、いてて」


 後ろから丸世路が付け足した。

 螺数が丸世路の前に飛んでいき、蹴られた顔をのぞきこむ。


「歪んで残念だった顔面が、いい感じに治ったぞ、丸世路」

「本当かよ? そりゃ良かった。螺数、てめえの歪んだ心根も治してやるぜ」


 丸世路が螺数に殴りかかる。

 それを華麗に飛び回って避ける螺数。

 どたどたと走る二人を、エレナが「お兄ちゃんっ、螺数っ」と言って止めにいく。


 ぽかんとした顔で、そのやり取りを見ている少女に、俺は自己紹介した。


「俺の名前は、栗栖(くりす)・16・イザム。この店であいつらと暮らしながら、本業は運送屋をやってるよ」

「……イザム。……神衛」

「うん? ああ、半年前に徴兵されて、神衛もやってるよ。もうすぐ十八歳だから、それまでに終わればいいんだけどな」


 俺の言葉を、耳聡く聞きつけた螺数が飛んできた。


「終わるか、チキンのくせに」


 その後ろから、丸世路まで口を挟んでくる。


「そうだ、イザム。朽蟻をしっかり倒して役目を果たしてこそ、認められて退役できるんじゃねえのか?」

「うるさいなっ。だからこそだよ。役に立たない奴を神衛にしていても、意味がないだろ。そういう俺の作戦なんだよ!」


 俺が二人に言い返していると、またベッド脇にエレナが戻ってきた。


「私の名前は、十川瀬・3・エレナです。歳は十六です」


 今度は落ち着いた顔でエレナを見返した少女は、考えるようにゆっくり口を動かす。


「十六……。あたしの一個上」

「え、一個しか違わないんだ? あ、ごめんなさい。もっと下かなって思っていたから。十五歳なのかな?」

「……多分、十五だったと思う」

「わあ、歳が近いって、なんか嬉しいな。よろしくね。ほら、お兄ちゃんも早く、自己紹介しようよ」


 エレナに言われて、丸世路が妹の上から顔を出す。


「ああ、俺は十川瀬・3・丸世路。エレナの兄だ。この前、二十二歳になった。この家じゃ、一番年長だから、俺の言う事は絶対だぞ」


 その途端、横にやってきた螺数が、ぬいぐるみの足で丸世路を蹴った。


「何言ってんだ。俺の方がはるかに年上だ。そして、この家をまとめているのは、この俺だ」

「お前は、俺が造ってやったんだろうが! 玩具の分際で……」

「やめて、お兄ちゃんっ。螺数もっ。お客さんの前で失礼だよ」


 再びもめ始める二人に、エレナが怒った声を上げる。

 だが、その途端、螺数がじろりとエレナをにらんだ。


「お? なんだ、エレナ。随分、えらそうな口をきくようになったな」

「え、ええ?」


 ドスのきいた声を出す螺数に、怯えた声を出すエレナ。


「廃ビル群で迷子になった時、迎えに行ってやったのは誰なんだ? ほら、言ってみろ」

「それは、今は……」

「おらおら、どうなんだよ。受けた恩は、端から忘れていきますってか?」

「そ、そんな事ないよぅ。あの時は、螺数に助けてもらったけど……」

「そうだよなあ。その俺にえらそうな口をきくとは、おしおきが必要だな」

「や、やめてー! 螺数ーっ!」


 今度は螺数に追いかけられて、エレナが逃げ始めた。

 螺数はエレナの頭に取りつき、ガジガジと銀髪に噛み付く。

 エレナは悲鳴をあげて走り回る。


 いつもの騒ぎに、俺は止める気も起きず、やれやれと首を振るのだった。

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