インパーフェクト・ワールズ
kihiro
序章
イザムとチサラ
「なあ、イザム。いつまで逃げるんだ?」
全力で走る俺の肩口で、
「そんなの、決まってるっ。命の危険が無くなるまで――うおっ!」
瓦礫を飛び越えると、その先の地面はえぐれていた。
着地に失敗し、砂利の上を派手に転がる。
仰向けに倒れた俺の視界に、廃墟のビル群が飛び込む。
空の彼方に、第二都市エリアがはりついているのが、かすんで見えた。
それを見上げていられたのも束の間、すぐに螺数の呑気な声が響く。
「ほら、右にもいるぞー」
その方向を見ると、ひび割れた道路にワサワサと
まるで天道虫のようなフォルム。
腹の下の無数の足が、気持ちの悪い動きをしている。
「うわうわうわっ! きもいなっ! 何なんだよっ、こいつらは!」
実施される気配もない再開発を待つ廃ビル街を、再び駆動スケーターで走り出した。
螺数が冷静な声で答える。
「こいつらは、
「そんなん、知ってるわ!」
「お前が聞いたんだよ」
「くそっ、早く、早くぅっ!」
「早くって、誰に言ってるんだ?」
「
「はあ……。神衛はお前だろうが、イザム」
ため息をつく螺数。
いや、ぬいぐるみに呼吸はないから、ため息をついたふりをしてみせたのだ。
全く、嫌味ったらしい。
全身のブースターで飛んでいる螺数と違って、こっちは走るのに必死だっていうのに。
「おう、イザム」
「うるさいな、螺数。無駄口叩く暇があったら、俺が逃げる手伝いしろっての」
「だから、してやってるだろうが。おら、正面に来るぞ」
「は? おっせえぇよっ! うわあっ!」
脇道から正面に、朽蟻が飛び出してくる。
俺は、握っていた波動剣で、その横っ面を斬りつけた。
機械の破片が飛び散り、キラキラと輝く。
朽蟻は一瞬怯んだが、すぐに鉄の足を俺に振り下ろした。
その足を波動剣で斬り上げ、顔面に向かって、左手で抜いた波動銃を乱射する。
体表が砕けて穴が開き、朽蟻は煙を吹き出して倒れた。
「どうだよ。逃げてるからって、俺が弱いと思うなよ」
「キめてるとこ悪いが、追いつかれたぞ」
螺数の言葉に振り向くと、道をふさぐ朽蟻の群れ。
俺の鼓動が早くなる。一人でこの数の朽蟻を相手にするのは危険だ。
だが、これ以上、逃げ続けるのもつらい。
それならばいっそ、
「くそ……。もうやるしかないのか」
思わず漏れた言葉に、螺数が反応した。
「お、ギフトか。ようやく反撃ってわけか。で、どこにするんだ? 腕か? 足か? それとも内蔵か?」
「馬鹿っ、そんなもの失くせる訳ないだろうが」
「じゃあ、どこだ? ちまちまと指か?」
「か、髪の毛とか?」
「はあ……。お前は一回死なないとわからんようだな」
「何でだよっ、髪だって使ったら禿げるんだぞっ。俺、禿げたくねえよっ!」
その時、ビルの向こうで爆発音がした。遅れて伝わる振動と、空に昇る黒煙。
朽蟻の群れがその音に反応して、爆発が起きた方向に向かっていく。
どうやら、他の神衛の連中が到着したらしい。
俺は、肩で大きく息をついた。
「き、来てくれたのか。助かったー」
「禿げなくてすんだな。よかったよかった。毟られたチキンなんて、食べる以外、使い道がないからな」
「うっせえっ!」
近くのバス停の屋根に、瞬間ブースターで跳び乗る。
道の遠くでまた爆発が起きた。
そちらに目をこらすと、重火器を構えている神衛達が小さく見える。
ふと視線を移すと、近くのビルの屋上にいる人影を見つけた。
通りの戦いをカメラで記録しながら、どこかに通信している。
「螺数、あの屋上にいる奴ら、気づいていたか?」
「ああ。大方、反体制派だろう」
「やっぱりそうだよな。この朽蟻も、あいつらが生み出したのかよ?」
「奴らにそんな技術があるか。だが、ああして呑気に撮影しているところを見ると、ここまで朽蟻を誘導してきたのかもしれないな」
「あいつら、朽蟻がどれだけ危険か、わかっていないのか。朽蟻に殺されている人間だっているんだぞっ」
「全くその通りだ。その街の人間達を守る役目なのに、ビビって逃げ回ってるどこかの神衛様にも、言ってやりたいよ」
螺数の嫌味に、俺は宙を飛ぶぬいぐるみを睨みつける。
俺の視線などどこ吹く風で、螺数は宙返りした。
その時、がらがら……、とコンクリートが崩れる音がした。
その音がした方を何気なく見て、「げっ」と声をあげる。
近くのビルの中から、一体の朽蟻が壁を壊して出てきたのだ。
その大きさは、俺の身長近くもある。
朽蟻は、黒と銀色の斑の顔を、俺の方に向けた。
「おい、こっち来んな。来んなよっ。く、来るなってっ!」
俺の願いも虚しく、朽蟻は機械音を立てながら突進してくる。
俺はバス停の屋根から飛び降りて、再び廃ビル群の通りを走り出した。
肩の上を飛ぶ螺数が、話しかけてくる。
「ほら、どうする? いよいよギフトか? 禿げるのか?」
「嫌だ。禿げるのも、やっぱり嫌だっ!」
「全くいつまで逃げて―― まずいっ! イザム、上だっ!」
螺数の鋭い声。
見上げた俺は、ビルの上から降ってくる無数の朽蟻の影を見た。
「うわあっっっ!!」
とっさに頭を抱えて、横に飛んだ。
転がった俺の周辺に、朽蟻が落下する音が響く。
痛みをこらえて立ち上がった俺は、周囲に並んでいる十近くの朽蟻を見た。
「はあ……はあ……。くそぉ」
「囲まれたぞ。もう逃げ場はない」
頭の上に浮かぶ螺数の真剣な声。
俺は悲痛な声を上げる。
「ああ! もう、ギフトしかないのかよ!」
そう、いざとなれば、神衛の俺は『ギフト』を使える。
ギフト。
それは、神から全ての神衛に授けられる能力。
体のどこかを犠牲にすれば、圧倒的な力で攻撃ができる。
自らの肉体を捧げる事で、神の力を行使できるのだ。
でも俺は嫌だ。ギフトを使いたくない。体を失うのは嫌なのだ。
ギフトに捧げた肉体は、二度と戻らない。
神衛の徴兵期間は、いつか終わる。
その先には、一般人に戻った普通の人生が続く。
でもギフトで体を一部でも失ってみろ。
「普通」の人生すら送れなくなる。
腕のない生活。足のない生活。
それは、失われた肉体以上に不自由な生活となる。
未来を思えば、肉体を犠牲にする事なんてできるわけがない。
逡巡する俺の上から、螺数の言葉が降ってくる。
「ちなみに言っておくがな。恐らくお前が丸禿げチキンになるくらいでは、この数の朽蟻を突破はできないぞ。体の大事な部分である程、ギフトの力は強くなる。どうでもいい部分では、大した威力はない」
「まじかよ。髪の毛ぐらいじゃ足りないってか。じゃあ覚悟、決めなきゃな」
「そうだ。男を見せろ。どこにする?」
「……つ、爪の先っぽで」
「お前という奴は、チキン以下だっ!」
でかい朽蟻が、頭の上から蒸気のような白いガスを噴き出した。
それを合図に、周囲の朽蟻達もガチャガチャと金属音を立て始め、飛びかかってくる。
その時、凄まじい音がした。
それは、耳をつんざくような衝突音。
波動の弾丸ではありえない、金属と金属がぶつかりあって、ねじ切れる音。
数匹の朽蟻の背中が弾け飛び、砕け散るのを俺は見た。
何が起こったのか、わからない。
「な、何だよっ、これっ!」
「これは実弾か? どこかの神衛……いや、イザム! あそこだっ」
螺数が、正面の建物の屋根を指さす。
そこに、一人の少女が、錆びた剣を持って立っていた。
剣の柄の辺りから、白煙が細く立ち上っている。
周囲の朽蟻も彼女に気がつき、そちらに向かって移動を始めた。
次の瞬間、少女が屋根を蹴って宙に飛び出した。
地に飛び降り様、迫っていた朽蟻を、片手に持った剣で一刀両断する。
錆びた剣だからか、鉄板を叩いたような鈍い音が響いた。
一瞬の間もなく、少女は走り出す。
「何者だよ、あの子……」
俺は上ずった声を出した。
なぜなら、少女の動きが人間離れしていたからだ。
その脚力、跳躍力、どれも並ではない。
小さな体なのに、錆び付いた剣を片手で振り回しながら、朽蟻を次々と破壊していく。
すると、俺の前にいたでかい朽蟻が、背を向けて走り始めた。
あの少女の方が強敵だと判断したのだろう。
だが、それを逃す程、俺は甘くない。
その背中に向けて、波動銃を連射する。
後ろ足の付け根が壊れ、朽蟻は下半身を引きずりながら止まった。
その頭上に、飛び上がる影。
先程の少女だ。
そのまま朽蟻の頭の上に、剣を突き刺して着地した。
もがいていた朽蟻の巨体が、壊れる音とともに停止する。
ぽかんと見上げる俺の前で、朽蟻の上に少女が立った。
ちょうどその時、絶対に沈まない太陽が、天の中心で夕陽に変わる。
真上から降り注ぐ夕焼けの陽光を、少女は全身に浴びる。
無造作に伸びて荒れた長い髪。
汚れた服と肌。
路上生活者と悟らせるその風貌。
でも、オレンジの光に照らされた彼女の顔は、この球の中のどんな生き物より輝いて見えた。
少女は朽蟻に刺さった剣を引き抜き、口を開く。
「君、失くすのがそんなに怖いの?」
「え……?」
少女の第一声に、戸惑う。
彼女は、そんな俺を剣を握った「左手」で指さした。
「あたしなんて、始めからないよ。
そして、彼女は「右手」を真横の宙に突き出した。
そこには、何も無かった。
少なくとも、普通の腕といえるものは……。
肩から先に少しだけ伸びた短い棒のようなもの。
それが、彼女の右腕の全て。
そこに結ばれた赤いスカーフが、ふわりとなびいて揺れた。
右腕が無い。
少女が言った「そんなもの」。
それが「右腕」の事だと気がついた時、俺は言葉が出なくなった。
俺を見下ろす自信にあふれた少女の顔。
足下には朽蟻の残骸。
無い腕になびく赤いスカーフ。
真上で燃える夕陽で、オレンジに染められる廃ビル群。
その中心で、少女はゆっくりと目を閉じながら、倒れていく。
「イザムっ!」
螺数の鋭い声で、俺は我に返った。
朽蟻の上から、少女の体が落ちてくる。
慌てて飛び出した俺は、少女の体を抱きとめた。
その体は軽い。
骨と皮とまでは言わないが、やせこけている。
それは当たり前だ。
もしも、この子が
生きていくだけで精一杯の生活のはず。
この日本球の世界で、それは当然の事。
腕の中に収まった彼女は、意識がない。
そして、その右腕は、肩と肘の中間辺りから先が無い。
見上げた俺と目が合った螺数が、ぬいぐるみのくせに様になった動きで、肩をすくめる。
右腕の無い汚れた少女を抱えたまま、俺は途方に暮れて、夕陽と廃ビル群を見上げた。
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