13.「休息」

「え、えっと〜……」


 目の前にいるのは、私の世界——リカルド様。


 先ほどまで、魔王軍四天王「炎牢のファルネウス」に追い詰められていた彼を救うため、私は必死だった。仮面で顔を隠し、声を変え、でもまさか、直接話しかけられるなんて。


「……君は、ナディア、じゃないか?」


(やば……バレた? 声? 言葉遣い?)


 頭の中で死霊たちがざわつく。


『名乗るな、ナディア様!』

『バレたら推し活終了だぞ!』


(どうしよう、なんて答えたらいいの? 素性を明かすわけにはいかないし)


 視線が仮面を貫通して、私の心臓を射抜く。


「私はナディ…じゃなくて、ネイディです。そうただの通りすがりの冒険者です、勇者様」


 そう言って、私はなんとかごまかした。リカルド様は怪訝な顔をしながらも、それ以上は追求しなかった。


「……そうか。ネイディ、本当にありがとう」


「当然のことをしたまでです!」


「その通りですじゃ、我らはしがない冒険者の一団。勇者様を見て助けねばと……」


 私の動揺を感じ取ってか、ヴェル爺が少し前に出て、私を庇うように立ってくれた。


「本当に、助かったよ。君たちがいなければ、俺は……」


 リカルド様は心の底からの感謝を述べてくれた。

 その言葉だけで、私の胸は満たされる。彼の役に立てた。ただそれだけで、この上ない幸せを感じる。


「と、とにかく、今は回復を優先してください!」


「そうですな」


 ヴェル爺が静かに一歩前に出る。杖を掲げると、そこから放たれた光がリカルド様の身体を優しく包み込んだ。瞬く間に彼の疲労が回復していく。




 激戦から一夜明け、リアルテイ要塞は勝利の余韻に包まれていた。

 要塞の兵士たちは、突如現れた私たち仮面の協力者たちを英雄と称え、盛大な宴を開いて歓待してくれた。


「まさか魔王軍四天王のファルネウスを数人で撤退に追い込むとは!」

「素晴らしい力だ。死霊術というのを見たのは初めてだったが、さほど恐ろしいものでもないようだ」

「我らを救ってくれて本当にありがとう」


「私たちは……しがない冒険者です。ただ、勇者様のために、少しばかりお手伝いをさせていただいただけです」


 私はそう言って、はにかむように微笑んだ。


 宴は盛り上がり、要塞の兵士たちが次々と私たちに話しかけてきた。彼らの会話から、王国の他の戦線状況を知ることもできた。


「東の国境——黒牢領の軍の攻勢が激化しているらしい。このリアルテイ要塞での勝利が、他の戦線の士気にも繋がるといいんだがな」


「南の要塞は、また魔王に攻められたそうだ」


 私は、聞き耳を立てながら、静かに推し活の次の作戦を練っていた。


 リカルド様率いる勇者パーティーとえいば、宴の隅で静かに過ごしていた。


「あの死霊術は、神の教えに背く禁忌です。認めるわけには……」


 フローラさんは複雑な表情を浮かべ、ゴドフリーさんは驚きを隠せないといった様子だ。魔法使いのミランダさんは、少し違って、悩んでいる素振りをしている。


 一方、リカルド様は、私たちをじっと見つめていた。彼の視線は、私と死霊たちを交互に行き来している。


「みんな、リカルド様に見られてるよ……」


 私が小さく呟くと、クラウスが『勇者様も、私たちの正体が気になっているのでしょう』と答えてくれた。


 私がリカルド様のためにできることは、この「推し活」なのだ。彼の光を邪魔することなく、彼の影となり、そっと支える。それが、私が選んだ道だ。


 これからも、バレないように、そっと、彼を支え続けよう。私は、私の推し活を、続けていく。


 それが——私の幸せだから。



「……君は……誰だ?」


 問いかけながら、俺は仮面越しに彼女の目を探す。

 視線の奥にある光が、脳裏の記憶をかすかに揺らす。

 しかし彼女はわずかに視線を逸らし、口元を仮面の奥で動かした。


「私はネイディ。ただの通りすがりの冒険者です、勇者様」


 ……ネイディ。

 作り物のような名前だと、直感でわかった。

 だが、それ以上は聞き出せない、踏み込めなかった。


「……そうか。ネイディ、本当にありがとう」


 礼を告げると、彼女は胸を張って笑みを作るように見えた。その様子に、どうしようもなく既視感がこみ上げた。


 そのあと、治療を受けた俺たちは、リアルテイ要塞の大広間で行われる勝利の宴に参加していた。

 兵士たちが肩を組み、声を張り上げて勝利を讃えている。

 その中心で、あの仮面の冒険者たちが囲まれていた。


「まさか魔王軍四天王を退けるとは!」

「死霊術ってのは初めて見たが、思ってたより怖くないもんだな!」

「勇者様だけじゃなく、あんたらも英雄だ!」


 兵たちの歓声は素直だ。救ってくれた者への感謝に、嘘はない。


 ――あの死霊術師、ネイディ。

 あの姿は、俺の知る一人の仲間と重なってしまう。

 戦い方は記憶にあるものとは違うところもある。しかし、俺の目を真っ直ぐに見返すあの強い眼差しだけは確かに彼女そのものだ。


「リカルド様」


 隣に座っていたフローラが、低い声で呼びかけてきた。

 金色の瞳が、仮面の集団を鋭く射抜く。


「あの術は、神の教えに背く禁忌です。いかに助けられたとしても、認めるわけにはいきません」


「……わかってる。だけど、命を救われた事実は変わらない」


 俺の答えに、彼女は唇を結び、視線を落とした。

 信仰深い彼女にとって、死霊術は受け入れがたいはずだ。それでも、命の恩人を否定する必要はないだろう。


「おいおい、あんま眉間に皺寄せんなって」


 向かいの席でゴドフリーが肉をかじりながら笑う。


「俺は驚いたぜ。死霊術師ってのは、もっとこう、陰湿でジメッとしてるかと思ってたが……あの仮面の姐ちゃんは、戦い方がキレッキレだったじゃねぇか」


「そうね……あれだけ動ける死霊術師なんて、聞いたことがないわ。あの魔法の威力、精度……悔しいけど私よりも上だったわ」


「そうだぜ、あんなに前で魔法を放つ奴は見たことがねぇ!」


「私もよ、死霊が戦うんじゃなく、あんな魔法まで使えるなんて」


 ミランダがワインを揺らしながら呟く。


「でも、少し……似てたのよね」


 ミランダの言葉に、心臓が一瞬だけ強く脈打つ。

 俺たちは一斉に口を閉ざし、互いに視線を交わした。


 彼女の名を、誰も口には出さなかった。



 宴が終わり、外に出ると、要塞の上空には無数の星が瞬いていた。

 冷たい夜風が汗を拭い、頭を少しだけ冷やしてくれる。


 城壁の上からは、ちょうど仮面の冒険者たちが去っていくのが見えた。

 背を向け、月明かりに照らされる彼女らの影は、どこか懐かしい。


 ——ナディア。


 手を伸ばせば届きそうな距離に感じるのに、名前を呼べば消えてしまいそうで――俺はただ、その背中を目で追い続けた。

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