12.「辛勝の撤退」

 私たちは報告を聞いてから、早々に拠点を出発した。


 皆には人間に見えないように姿を隠してもらったが、ヴェル爺やクラウスのように強力な死霊は、完全には存在を消せない。


「あなたたちは、このローブと仮面をつけてちょうだい」


 そう言って私の身に着けているのと同様の黒いローブと仮面を手渡す。

 これを着ていれば、死霊であることはバレないし、私がナディアであることも隠せるだろう。


 別のパーティーとして、勘違いしてもらえるはずだ。


 ——ブォォン


 夜を切り裂く、低く響く竜笛の音。空気そのものが震え、馬たちが耳を伏せていななく。魔王軍の作戦開始の合図だ。

 私たちは速度を上げ、魔王軍の背後へと回り込み、後方からの奇襲で援護する算段を立てる。


 炎牢——魔王軍四天王の一人は、きっと後ろの陣に控えていると思っていた。だが、それは誤算だった。


『ナディア様、リカルド様が単身で炎牢と対峙しておられます!』


 ルビアからの報告に、私は思わず息をのんだ。尾行部隊は常にリカルド様を見ている。何かあれば助けるように指示を出していたけれど、四天王となれば、任せっきりにするわけにはいかない。


 私は急いで、炎牢とリカルド様がいる場所へと駆けた。ヴェル爺たちも同様に、私に続く。


 峡谷にかかる橋の上。リカルド様がファルネウスと激しい剣戟を繰り広げている。

 聖剣から放たれる蒼炎が夜空を焦がし、ファルネウスの全身から迸る赤炎と衝突するたび、空気が爆ぜて熱風が頬を打つ。

 剣と槌がぶつかる金属音が、峡谷の壁に幾重にも反響し、耳の奥を震わせる。


 リカルド様の剣技は——私が知るどの剣士よりも、遥かに鋭く、無駄がなかった。一瞬たりとも目を離せない。

 気づけば、私はその姿に見入ってしまい、戦場であることを忘れかけていた。


 その時、リカルド様が窮地に陥る。ファルネウスが放った一撃が、リカルド様の体を捉えようとする。


「このまま、終わるのか?」


 リカルド様のそんな心の声が聞こえたような気がして、私はハッとした。いけない。

 私は一気に二人の間に飛び込み、ファルネウスの攻撃を弾き飛ばした。


「応援してたら、つい出てくるのがギリギリになっちゃったわ」


 軽口を叩きながらも、内心は焦りでいっぱいだった。リカルド様がこちらを驚いたように見つめる。


(お願い、バレませんように)


「その力……貴様もしや、カルディアを——」


 ファルネウスの声は、背後から飛来した氷弾によって遮られた。ヴェル爺の魔法だ。

 氷結の鎖が炎の腕を絡め取り、じゅうっと白い蒸気を上げながら軋む。


「——!!」


 さすがヴェル爺だ。炎魔法の弱点を的確に付いている。

 ファルネウスも動揺したのか動きが一瞬止まる。


「ヴェル爺は後方の安全を確保してちょうだい」


 その隙を逃さず、私は指示を出す。


「クラウス、ドレイコは炎牢の足止めをお願い!」


 私の声に、クラウスとドレイコは剣を構え、ファルネウスの進路を塞ぐ。


「バーン、他の魔族は任せたわよ!」


「おうよ、任せとけ!」


 バーンは嬉しそうに笑い、背後に控える戦闘部隊の死霊たちを率いて、一斉に魔王軍へ突撃していった。

 そして、残りの死霊達には、負傷した兵士たちの治療を指示して、ファルネウスへと向き直る。


 見える死霊たち、つまり人間には、私、ヴェル爺、クラウス、ドレイコ、バーンの5人パーティーに見えているだろう。


 そして、その5人が、魔王軍を圧倒している。その様子を見て、リカルド様はきっと混乱しているに違いない。


「さあ、覚悟しなさい!」


「小癪な!」


 ファルネウスはそう言って、巨大な炎の槌を振り下ろした。


「俺がやる、ドレイコ左は任せた」


「かしこまった」


 クラウスとドレイコが同時に動き、攻撃を受け止める。


「っち、【大煉獄連球グラン・インフェルノ・バースト】」


 今度は空が赤い魔方陣一色に染まり、無数の火球が、炎の雨となって要塞前の橋を埋め尽くすように降り注いだ。


(その攻撃はここに来るまでに一度見た)


 ヴェル爺ならきっと——。


「ほっほっほ、無意味なことをするようじゃな……【蒼穹治天セレスティアル・ガーディアン】」


 ヴェル爺の声が響くと同時に、上空に蒼色の半透明な天蓋が展開される。

 火球がぶつかるたび、光の波紋が走り、爆風が弾かれて空へと返されていく。


 まるで天そのものに大きな盾があるかのような光景だった。


「ぬぅ……ならば!」


 そして、ファルネウスと私の間で、激しい魔法の応酬が始まった。


「【死号令砲ネクロ・カノン】!」


 漆黒の骸骨で組み垂れた大砲が虚空から形成され、轟音と共に弾丸のような霊弾を吐き出す。

 その軌跡が撃ち抜く直前、ファルネウスは炎を纏わせた腕をかざした。


「【導引火フレイム・リダイレクト】!」


 火炎が流線のように軌道をねじ曲げ、霊弾の進路が無理やり逸らされる。

 逸れた弾は峡谷の壁を砕き、爆ぜた衝撃で煙と火花が舞った。


「まだまだ! 【白骨伸槍ボーン・ランサー】!」


 私は続けざまに骨の槍を数十本生み出し、槍衾やりぶすまのように突き出す。

 白く輝く槍の群れが、ファルネウスへと迫った。


「その奇妙な術——報告には聞いていたが……貴様、勇者パーティーのあやつか!」


 ファルネウスの目が見開かれる。


「それ以上は喋らないでちょうだい。【死霊乃栄光ネクロ・グローリア】!」


 この戦場で倒れた多くの魂を呼び起こし、死体を一時的に操り、死霊として行使し、左右から包囲を試みる。


(流石に死霊術ってバレちゃうわよね……でも仕方ないか)


 しかしファルネウスは冷笑し、大技を振る。


「なればこちらも——【大連魔地獄業インフェルノ・コンバージェンス】!」


 空間が裂け、紅蓮の魔柱が幾筋も立ち上る。炎と死霊の群れが衝突し、視界が赤黒く染まった。


(っ……状況はジリ貧。四天王との連戦はやっぱり——)


 その時、胸の奥で静かに眠っていた“魂”が、微かに震えた。

 カルディアの魂が、目覚めを告げるように鼓動する。


「……っ!? この気配……まさか、カルディアか!」


 ファルネウスの顔色が変わる。

 その眼には驚きとわずかの恐怖があった。


「どうやら、ここまでのようだ」


 彼は大きく後方へ跳び、魔王軍の隊列へ飛び込む。

 撤退の号令が響き、次々と兵が橋の向こうへと退いていく。


 残されたのは、焼け焦げた地面と、漂う硝煙と血の匂いだけ。


「か、勝ったのか……?」


 誰かの呟きと共に、要塞の兵士たちの勝利の咆哮が鳴った。


「うぉぉぉ!!」

「勝ったぞ!」


 その声は戦場を次々と連鎖して響いた。


(油断はできないけれど——)


 勝利は勝利だ。正直、あのまま続けていても勝てた保証はない。

 今はカルディアに感謝をしよう。


『ありがとう』


 そうして、一息をつくと視線が自然と、リカルド様を探していた。

 霧が立ち込める中、彼は少し遠くに膝をつき座っていた。鎧は焦げ、息は荒い。


 私はそっと彼のもとへ歩み寄る。


「勇者様……ご無事ですか?」


 差し伸べた手は、しかし取られない。

 代わりに、彼は仮面越しに私の顔を凝視していた。


「……君は……誰だ?」


 その問いに、戦いで昂ぶっていた心臓が違う意味で脈を早めたのを感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る