第30話 危機(ユキ視点)
タケルが都会へ行ってしまう――。それが嫌で、小学校四年生だった私はいじけていた。
今思えば子供だったのだ。山でタケルと二人で遊んでいた時に、へそを曲げて「帰らない」とすねていた。
永遠に夏休みが終わらなければいいと思った。このまま遊びを続けていれば、ずっとタケルと一緒にいられるような気がしていたのだ。
「腹減ったしもう帰ろうぜユキ。男のくせにいつまでもピーピー言うなよ」
短めの髪、短パンなどの特徴から、この頃のタケルは私を男の子だと勘違いしていた。てこでも動かない風の私にはあと呆れていた。
「今年はもうお別れでもさ。また来年会えるんだからそれでいいだろ?」
翌年のお盆になれば、タケルはまたこちらに帰省することになるが。その時私はもうこの地にいないのだ。
夏休みが終われば、父の都合で家族で引っ越し。二度と会えなくなってしまうことを、この時のタケルは知らない。
もっとも結果としては、私たち家族の引っ越し先はたまたま佐久間家の近所だったわけだが、その事実に気づくのは高校の合格発表の日。
そのため幼い私には今生の別れのように思われていて、今にも泣きだしてしまいそうな心持ちだった。
「聞いてんのかユキ? 俺一人で帰っちゃうからな」
無言でうずくまる私に愛想を尽かして、タケルはひと足先に山を下りてしまう。私を女だと認識している今のタケルならそうしないだろうが、男友達相手には妥当な判断だろう。
「あ……待って」
タケルがいなくなって急に心細さを覚える私。慌てて立ち上がり後を追ったが、既に暗くなり始めている時間帯ということもあり、姿を見失ってしまった。
「どうしよう……。道、分からなくなっちゃった……」
歩き回るうちに整備された道から外れ、森の奥へ来てしまった。家に帰れなくなってしまう。
完全に迷子だ……。自分はタケルがいないと何もできないのだと気づいた。
「タケル~? どこ~?」
不安から名前を呼んでみるが、当然返事はない。私は半べそ状態になってしまい、ひっくひっくと泣きじゃくり始めた。
「怖いよ……。お父さ~ん、お母さ~ん……」
誰でもいいから来て――! そう心で願った時、茂みのあたりでがさごそと動くものがあった。
「タケル?」
よかった、帰ったんじゃなかったんだ……。ほっとした私はすっかり安心しきって、そっちの方に向かっていった。
(ん……?)
本能的な違和感を覚えて、その場で足を止める。ほんのわずかではあったが……獣が息をする音が聞こえたのだ。
茂みの向こう側を、私はそーっと覗いてみる。ひっ、と短く息をのんだ。
(クマだ……!)
一頭の大きなクマが、黒い体で存在感を放っていた。こちらに気づいた様子はないが、私は金縛りにあったように動けなくなってしまう。
(いけない。このままじゃ――)
恐怖のあまり叫んでしまう――。そんなことをすれば驚いたクマは、私めがけて突進してくるだろう。
もうダメ、限界……。甲高い叫び声を上げそうになった、その時だった。
(むぐっ⁉)
突然何者かに口をふさがれる。誰かと思い視線を移してみると、現れたのはタケルだった。
一人で帰ったはずでは――? と思ったが、タケルは注意深い小声で教えてくれた。
『友達置いて放っておけないだろ? やっぱり引き返してきたんだよ』
あのあと結局戻ってきてくれたようだ。私が悲鳴を上げないようにと、口を押えてくれたのだ。
『大きな声を出すのはダメだ。クマがびっくりして襲いかかってくるからな』
茂みの間から、タケルもクマを視認する。私にもう叫ぶ意志がないのを確認して、手を離してくれた。
『じゃあ……どうするの?』
私も囁くようなひそひそ声で話す。タケルは私の手を掴むと、隠れ蓑となる木の陰まで引っ張ってくれた。
『……ここに隠れてやり過ごそう』
二人で身体をくっつけるようにして、できるだけ小さくなる。そうしている間も、タケルは私の手を握り続けてくれた。
私と同じように、タケルの手も震えていることに気づいた。
『大丈夫だユキ。……俺が守ってやる』
自分もいつ襲われるか分からないという状況で、私のことを励ましてくれる。この時、私は初めてタケルを男の子として意識した。
二人で息を殺しながら、脅威が過ぎ去るのをじっと待つ……。一秒が一分にも感じられるような緊張感だった。
やがて風向きが変わったのか、クマはにおいでこちらに気づいた。くんくんと鼻をひくつかせている。
驚くことなく自然と人間の気配を感じとったクマは、面倒な争いを避けて去っていった。
クマが山の奥の方へ逃げ去った後も、私たちは身じろぎ一つせず息を潜め続ける。十分に間を置いてから、タケルが"もう大丈夫だ"の判断を下した。
「はあ……! はあ……!」
抑えていた呼吸を解放させる。汗がどっと噴き出した。
本当に死んでもおかしくなかった――。悲鳴を上げずに堪えることができたのは、紛れもなくタケルのおかげだ。
そのタケルも真っ青になって息を切らしていた。やはり内心では、自分と同じようにただらなぬ恐怖に怯えていたのだ。
それを私に感じさせないよう、彼はニコと無理矢理微笑みを作った。
「……な? "守ってやる"って言っただろ」
当時の私にはっきりとした自覚はなかったが……今振り返ってみれば分かる。
この日、私は女の子としてタケルに惚れたのだ。
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『クマ出没注意』、うちの田舎でも有線でしょっちゅうお知らせされてましてね。
この間ランニング中にがさごそっ! って音がして、『クマか⁉』って身構えてたら……。
かわいい子だぬきのきょうだいが、5匹もわらわら出てきました♡
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