第19話 闇に咲いた花




 ゼフィラが生まれたのは表舞台から隔絶された裏社会の片隅だった。


 家族も皆、泥にまみれた『仕事』で日銭を稼ぎ、質素どころか時には飢えに苦しむような暮らしを強いられていた。

 幼いゼフィラの目には飢えた子供たちがカビの生えたパンを奪い合う姿や、僅かな金のために大人が互いを罵り、殴り合う姿が焼き付いていた。


 そんな過酷な環境でゼフィラが学んだのは、ただ一つの真実だった。


 弱い者は奪われる。


 生き残るためには強くならなければならない。

 誰にも奪われないだけの力を手に入れなければならない。


 彼女は来る日も来る日も喧嘩に明け暮れた。


 小柄な身体でも素早い動きと鋭い眼光で相手の隙を突き、容赦なくねじ伏せた。

 裏社会の子供たちの間では、瞬く間に彼女の強さが知れ渡った。


 まだ幼いながらも頭角を現し始めたゼフィラに、目をつけたのがライアットだった。

 当時のライアットもまた、裏社会の若き新星としてその名を轟かせ始めていた頃だ。


 「お前、なかなかやるじゃねぇか」


 それが、ゼフィラがライアットからかけられた最初の言葉だった。


 彼はゼフィラを気に入り、まるで少し年の離れた兄のように接した。

 ゼフィラの実際の兄弟姉妹よりもずっと、ライアットの方がより家族らしく彼女を扱った。


 ライアットは手に入れた獲物の盗品や食料をゼフィラと公平に分け与え、裏社会の厳しいルールや生き残る術を教え込んだ。


 「ゼフィラ、よく見とけよ。この世界じゃ信じられるのは自分と力だけだ。けど、お前には俺がいる。俺についてこい」


 そう言ってボロボロの毛布にくるまり震えるゼフィラの頭を、彼は優しく撫でてくれた。

 幼いゼフィラにとって、それは何よりも温かく絶対的な安心感を与えてくれるものだった。


 彼女は彼と共にいることでさらに強くなれると信じていた。

 ライアットの指示には絶対に従った。

 彼の存在が暗い裏社会における唯一の光だった。


 しかし、ライアットの『強さ』はどんどん歪んだものへと変わっていく。

 彼は更なる力を得るにつれてより残虐になり、人を支配することに喜びを感じるようになった。

 それはゼフィラに対しても例外ではなかった。


 ある時ゼフィラが些細な抗争でミスを犯し、ライアットの計画に綻びを生じさせたことがあった。


 「テメェ、何やってんだ!? 俺の顔に泥を塗るんじゃねぇ! 足手まといはいらねーんだよ!!」


 ライアットは激昂しゼフィラを容赦なく殴りつけた。

 身体中が痛み、恐怖で息もできない。


 しかしその顔を腫らし、地面に蹲るゼフィラにライアットはゆっくりと近づき、冷たい指で彼女の顎を掴んで持ち上げた。


 「……次は気をつけろよ。お前だけが悪いわけじゃねぇ。俺の指導が足りなかったな」


 そして、どこから取り出したのか飴を取り出した。


 「ほら。お前は俺の妹分だからな。次からはもっとうまくやれよ」


 その飴は裏社会では高価なものだった。

 殴られたばかりの痛みと突然の優しさに、ゼフィラの心は混乱した。


 恐怖と同時に彼に見捨てられなかった安堵と、再び認められたいという歪んだ願望が入り混じる。


 ライアットはゼフィラに暴力と優しさを交互に与え続けた。


 命令に従えば温かい食事や褒め言葉、飴。

 少しでも逆らえば精神的な追い詰めて、時には物理的な罰を与える。


 ゼフィラの心は、その飴と鞭によって完全に絡め取られていった。


 彼女はライアットの顔色を常に伺い、彼の機嫌を取るためだけに動くようになっていた。

 彼の存在が彼女の全てだった。


 しかし、どんどん汚い事を生業なりわいにしてそれに全く罪悪感を抱かないライアットに心を痛めていた。


 ライアットにそんなことをしてほしくなかった。

 ゼフィラは彼に意見しようとしたことがあった。

 だが、ライアットの「鞭」が飛んでくるかもしれないという恐怖でゼフィラはライアットを止めることができなかった。


 非合法な魔法資源の強奪・密売、人身売買・種族間奴隷取引、情報操作と暗殺請負、違法な実験・魔法改造……

 あらゆる悪事に手を染めていくライアット。

 金銭面でいうならば、もうライアットはこれ以上資金を稼がなくてもいいほど潤沢な資金をもっていたはず。

 それでも彼は悪事をやめようとはしなかった。


 もう昔のライアットの面影は微かにあるという程度になり、別人のようになってしまったとゼフィラは感じていた。

 そんなライアットから離れたいとゼフィラは感じ始めていた。

 しかし、ライアットから逃げる事なんて不可能だ。


 ライアットから逃げた者がどんな目に遭わされたかゼフィラは知っている。

 見るも無残な状態にされ、二度とライアットに逆らわないように身体と心に刻み込まれた。


 そんな日々の中、ゼフィラは『白鴉はくあの評議会』という影牙衆とは別の裏社会組織との抗争に駆り出され、瀕死の重傷を負った。


 血だらけで倒れ伏し、もう命が尽きるかと思ったその時フェリックスに助けられた。

 彼女の脳裏にふと、一筋の光が差し込んだ。


 このまま死んだことにすれば……


 ――……もしかしたら、ここから、ライアットから逃げられるかもしれない……


 ――汚い裏社会から、足を洗えるかもしれない……!


 その微かな希望が彼女に再び生きる気力を与えた。


 そして、彼女はフェリックスに保護され一時的にライアットの支配から逃れることに成功する。


 辿り着いたのは平和な『エヴァー・ブロッサム』、そしてフェリックスの温かな庇護だった。


 裏社会の血と暴力から離れ、彼女は初めて人々の『愛』に触れ、自分の人生を一時的に取り戻した。


 しかし、それも一時的な逃避行に過ぎなかった。


 ライアットはただ暫くゼフィラを泳がせていたにすぎない。

 その飴を奪い取り、再びゼフィラに鞭を与える。

 そしてまた自分の飴を与えて懐柔する。


 結局ぜフィラはライアットの手のひらの上でしかなかった。



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