第18話 沈む闇
ライアットとゼフィラの姿が闇に消え去った事務所に、荒い息遣いが響く。
ガレンは血だらけの腕を押さえながら、倒れたままのフェリックスに這い寄った。
「所長! しっかりしてください!」
顔を蒼白にさせたフェリックスは薄っすらと目を開ける。
激しい痛みが全身を襲うが、彼は意識を保とうと必死だった。
「ガレン殿は……無事ですか……?」
掠れた声にガレンは頷く。
「はい。それよりも所長、早く手当を……」
「大丈夫です……」
そう言うとフェリックスは自分に治癒魔法をかけた。
自分の怪我の治療を大まかにした後、ガレンの傷に対しても治癒魔法をかけ、傷を治す。
それから『エヴァー・ブロッサム』の中にいた他の客に対して謝罪し、今日はもう閉店することにした。
客はライアットの来襲に恐怖に顔を引きつらせており、フェリックスが言わなくても退店していっていた。
「皆さんも今日は帰って休んでください」
他の従業員ももう帰宅させ、ガレンとフェリックスだけ店内に残る。
「あの男……ライアットの攻撃を受けた時……ゼフィラから何か感じませんでしたか……?」
呟くように言ってガレンは険しい表情をした。
「……彼の一撃が僅かに逸れたような……そんな違和感がありましたね……」
フェリックスはゆっくりと頷いた。
「恐らく、あれはゼフィラの持つキューピットの精霊の加護の力です。彼女がガレン殿を想う心に呼応して、無意識に発動したのでしょう……」
フェリックスの言葉にガレンは目を見開いた。
ゼフィラが不可思議な存在だとは感じていたが、そんな能力を持っていたとは。
「ゼフィラの加護は本当に
フェリックスは顔を歪める。
彼の言葉には消せない悲しみが込められていた。
ガレンはゼフィラを救い出すことが単に一人の女性を助けるだけでなく、世界の根源に関わる戦いであることを悟った。
自身の未熟さが今さらながらに悔やまれた。
ライアットの異常なまでの強さ、そして彼の戦い方……
正統派の武術では、あの男を相手にするには限界がある。
「俺は……もっと強くならなければならない。ライアットのような理不尽な暴力にも対応できる新たな『強さ』を……」
ガレンの瞳に揺るぎない決意が宿った。
フェリックスはそんなガレンの姿に微かな希望を見出す。
「私もできる限りの協力を惜しみません。ですが、今は……」
フェリックスはまだ痛む身体を押さえ、ゆっくりと立ち上がろうとした。
***
ゼフィラはライアットたちと共に街の光が届かない裏路地を抜けていた。
重苦しい沈黙の中、ライアットの足音だけが虚しく響く。
彼女の心は恐怖と絶望、そしてガレンとフェリックスを残してきたことへの罪悪感で押し潰されそうになっていた。
「はぁ……はぁ……」
植えつけられた恐怖で息ができなくなり、荒い息を吐くゼフィラ。
それを見てライアットが足を止めた。
彼は振り返り、ゼフィラの顔を覗き込む。
「どうしたぁ? 疲れてんのかぁ……? ちょっと休みたいか? 飴舐めるか?」
ゼフィラが
「ほら、飴」
どこから取り出したのか、ライアットは飴を手品のように出してゼフィラの前に差し出した。
ぜフィラはその差し出された飴を受け取りたくなかった。
絶対に何か混ぜ込まれている。
そう分かっていても、ぜフィラはライアットへの恐怖の感情からその飴を受け取らざるを得なかった。
「なんだ、食べないのかぁ? あーんしてほしいのか? 手間のかかるやつだな。ほら、口開けろよ」
ライアットは飴の包みを開けて、ぜフィラの震えている口に半ば強引に飴を押し込む。
口に入れて少し舐めると、なんの変哲もない飴の味がしてぜフィラは少し安堵した。
その少し安心したゼフィラの顔を見て、ライアットはゼフィラの髪を乱暴に掴んで向き直させる。
その表情は先ほどまでとは打って変わって冷酷なものだった。
「なに飴舐めてホッとしてんの? お前が俺の元を離れた事がどれほどの罪か……分かってるだろうなぁ……?」
ゼフィラは身を硬直させた。
彼は、彼女の心を完璧に支配していたあの頃と何一つ変わっていなかった。
その恐怖に何の言葉も出てこない。
ゼフィラの髪を乱暴に掴んだ手をライアットは離し、乱れた髪を優しくなでて整えてやった。
それに恐怖と同時に安堵を感じているぜフィラは、完全にライアットの術中にはまっていた。
「よーしよしよし……ところでさぁ……お前のやってた縁結びの仕事は、本当につまらねぇな。そんなバカげた真似事して楽しいかぁ? あぁ?」
ライアットは嘲笑する。
ゼフィラは自分が縁を結んだ人々の笑顔を思い出し、反論しようと口を開いた。
しかし声は出ない。
ライアットはそんなゼフィラをあざ笑うように、さらに言葉を続ける。
「ゼフィラぁ……世間で今、平民の女と王子が結婚したって、えれぇ騒ぎになってるだろ? アハハッ! あれ、俺のおかげ」
ゼフィラは信じられない思いでライアットを見上げた。
その表情を見てライアットは満足そうに話を続けた。
「俺の『ヴァニタス』の力で王子を平民のクソ女にメロメロにしてやったわけ。あの女から、たんまり報酬を払ってもらったぜぇ! クソ女経由で王子の金がそのまま俺に流れ込んでくる」
おかしさで顔を歪めて笑うライアットは、手を顔に当てて笑い続ける。
「何の特徴もない平民のクソ女が王子の目に留まるわけねぇだろバーカ! 身の程知らずってのは怖ぇなぁ?」
ライアットは勝ち誇ったように言い放った。
その言葉はゼフィラの心を深く抉った。
彼女が「真の愛」の力だと信じていたものが、ライアットによって報酬のために意図的に歪められていたという衝撃的な事実。
絶望が、彼女の全身を覆い尽くした。
「お前……キューピットの加護の力を使ったみたいだなぁ……? エルフとドワーフがちょーっと恫喝しただけで婚姻を許す訳ねぇもんなぁ……?」
「…………」
「俺にとってキューピットは一番邪魔な存在だ。俺のヴァニタスはキューピットと対なる存在……他の加護者みてぇにぶっ殺してもいいんだぜぇ……? なぁ、ぜフィラ」
ライアットの「他の加護者みたいに殺して」のところで、ゼフィラは更に目を見開いてライアットを見た。
「でも、お前だけは殺さないでおいてやるよ。いい子にしてたらな……」
狂気に満ちた歪んだ笑顔でライアットはそう言い放った。
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