第9話 軽視




 ドランはわずかに顔をしかめると、言葉を発することなくゆっくりと構えに入った。

 その巨体が地面を踏み締めると大広間に鈍い震動が伝わる。


 肩に担いでいた巨大な鉄槌をまるで羽毛のように軽々と持ち上げ、彼にとって最も慣れた重心の低い戦闘態勢を取る。

 その全身から放たれるのは長きにわたる戦いの歴史と己の「力」に対する絶対的な自信。

 周囲のドワーフたちは息を呑み、固唾を飲んでその圧倒的な存在感を見つめていた。


「ちょっと、ゼフィラ! 謝りなさい!」


 フェリックスは慌ててゼフィラとドランを止めようとするが時すでに遅し。

 お互いに戦闘態勢に入っておりフェリックスの言葉は両者に届いていなかった。


 ドランの重圧の中ゼフィラは一切動じず、不敵な笑みを浮かべたまま先に口を開いた。


「クソジジイ、てめぇホントにやる気か? 吠え面かくなよなぁ!」


 ゼフィラはニヤリと笑ってドランを挑発するように言った。


 ドランは無言でその巨躯に見合う巨大な鉄槌を構えている。

 彼の周囲の戦士たちは周囲から避難し、誰もが固唾を飲んでこの異様な決闘を見守っていた。


 バルドは呆然と立ち尽くしリーファは恐怖に顔を青ざめている。

 もう諦めた表情をしているフェリックスは、ゼフィラの背後から発せられる微かな波動に鋭い視線を向けていた。


「来ますよ!」


 フェリックスの声が響くのと同時にドランが地を蹴った。

 その巨体が繰り出す一歩一歩が大広間の床を揺るがす。

 彼の持つ鉄槌が唸りを上げ、ゼフィラの頭上めがけて振り下ろされた。


 ドワーフ最強の戦士による、見るものを圧倒する一撃。

 ゼフィラはそれを真っ向から受け止めることはしない。

 彼女は一歩横にスッと足を踏み出し、鉄槌の風圧が頬を掠めるほどの紙一重でかわした。


「そんなデカいもん振り回して、当たると思ってんのか? どんくせぇんだよ、クソジジイ!」


 ゼフィラは嘲笑うように呟くと、ドランの巨体に食い込むように懐へ潜り込んだ。

 ドランは驚くほどの速さで体勢を立て直し、再び鉄槌を横薙ぎに振るう。

 だが、ゼフィラは再び軽々とそれを避けた。


 そして彼女の蹴りがドランのぶ厚いすねを狙って放たれた。


 ドワーフの肉体は鋼鉄の如し。

 通常の人間であれば骨折するような衝撃にもドランはびくともしない。


「小賢しい小娘が……! その小手先、いつまで持つか見せてみろ!」


 ドランは苛立ちを募らせ、怒濤の連続攻撃を仕掛けた。

 巨体が躍動し鉄槌が縦横無尽にゼフィラを襲う。

 その度に大広間の床が軋み、壁に亀裂が走る。


「その程度か!?」


 ゼフィラはまるでダンスを踊るかのように軽やかに、その全てを避け続けた。

 そして、その猛攻の合間を縫うように彼女の蹴りや拳が執拗にドランの脚を狙い続ける。


「へっ、その図体であたし一人も捕まえらんねぇのか? 見た目ばっかで中身はスカスカだなぁ!?」


 ゼフィラは攻撃を避けながらさらに挑発の言葉を浴びせた。


「このガキがぁあああっ!! 調子に乗るなよ!!」


 ドランの顔がみるみるうちに紅潮していく。

 彼の剛腕から繰り出される鉄槌の一撃はますます苛烈になったが、その分わずかながらも隙が生まれ始めていた。


 ドランは最初、ゼフィラの攻撃を全く気にしていなかった。

 軽い攻撃は無視できるレベルの衝撃だと考えていたのだ。


 彼の全身を覆う筋肉と骨はこれまで数多の剣や斧、魔法の直撃さえも跳ね返してきた。

 こんなチンケな小娘の攻撃など痛痒つうようを感じるはずがない。


 だが、徐々に異変が起き始めた。


 ドランが次の攻撃に移ろうとした時、足元がわずかにぐらつく。

 そして決定的な一撃を放とうと体勢を整えた瞬間、狙ったはずのゼフィラが寸前でいなくなる。

 まるで、彼女が一瞬だけ吸い寄せられるように移動しているかのように。


 いや、そうではない。

 彼の足がまるで勝手に動くかのように、ほんのわずか、狙いから外れるのだ。


 ドランは僅かに首を傾げた。

 こんなことは初めてだった。

 己の肉体がこれまで経験したことのない奇妙な感覚に陥っている。


「どうしたクソジジイ。動きが鈍ってるぜ!! さっきまでの威勢は口だけかぁっ!?」


 ゼフィラはさらに煽る。

 その言葉がドランの苛立ちをさらに煽り、彼の動きに僅かな狂いを生じさせた。


「うおおおおおおおおっ!!!」


 ドランは咆哮を上げ、再び鉄槌を振りかざす。

 だがその振りは先ほどまでの精密さを欠き、わずかに重心がブレていた。

 その隙をゼフィラは見逃さなかった。


 彼女は稲妻のように低い姿勢から駆け抜け、ドランの膝の裏を鋭く蹴り上げた。

 その一撃がこれまで蓄積されたダメージを呼び起こすように、ドランの巨体を大きく揺らした。


 そしてついにドランの片膝が大地にその鉄槌を打ち付けるかのように、重く鈍い音を立てて床に触れた。


 その瞬間、ゼフィラは素早く地を蹴った。

 喧嘩慣れした獰猛な笑みを浮かべたまま、彼女の身体が跳躍する。

 ドランの視線がゆっくりと彼女を追うが、もう間に合わない。

 数々の喧嘩で鍛え抜かれたゼフィラの右足が、完璧な弧を描いてドランの顔面に叩き込まれた。


 ドゴン!


 重々しい打撃音が大広間に響き渡り、ドランの巨体がゆっくりと傾いた。


「がぁっ……」


 ドランの視界が急に天地が逆転したかのようにグワングワンと回った。

 脳震盪のうしんとうだ。


 次の瞬間、ドランは燃えるような赤い瞳を虚空に向けたまま、意識を失って崩れ落ちた。


「っしゃぁ!!」


 大広間を支配していたのは静寂だった。

 ドワーフの戦士たちは、信じられないものを見るかのように呆然と立ち尽くしている。

 彼らの族長、ドワーフ最強の戦士ドランが目の前の女に倒されたのだ。


 ゼフィラは、倒れ伏すドランを一瞥する。


「ふん。結局暴力でも勝てねぇじゃねぇか。マジでつまんねぇジジイだったぜ」


 そう吐き捨てると、彼女は勝ち名のりの咆哮をあげた。

 その咆哮はドワーフの街中に響き渡る程の咆哮であった。



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