第8話 ドワーフの鉄槌
ドワーフの都市は噂に違わぬ巨大さだった。
険しい岩山の内部をくり抜くようにして築かれた都市は、鉱山の坑道を思わせる迷路のような通路と巨大な鍛冶の音が響く広大な空間が広がっていた。
熱気と鉄の匂いが充満するその場所は、エルフの森とは対照的に力強さと実用主義が支配する世界だった。
「ひゅー! すげぇなここ。なんか、あたしの街の地下道みてぇだ」
ゼフィラは興味深そうに周囲を見回した。
彼女が育った裏社会の「影溜まり」の地下街を彷彿とさせる光景に、どこか親近感さえ覚えているようだった。
通路の至る所でたくましいドワーフたちが槌を振るい、金属を叩く音が響き渡る。
彼らの表情は真剣そのもので、よそ者に対する視線は警戒とわずかな敵意を含んでいた。
特にリーファに対する視線は厳しく、あからさまな侮蔑の色を隠さない者もいた。
「エルフがこんなところに何の用だ」
「この場はドワーフの聖域。不純なものは立ち去れ!」
彼らの言葉にリーファは怯え、バルドは怒りで拳を握りしめた。
しかしゼフィラは動じない。
彼女はドワーフたちの視線を真正面から受け止め、挑むような眼差しを返した。
フェリックスが間に入り、この場の事情を説明しようとするがドワーフたちは一向に耳を貸そうとしない。
彼らの頑固さはまさに岩のようだった。
やがて一行は都市の中心にある、巨大な溶鉱炉の熱気が立ち上る大広間にバルドに案内された。
そこにはドワーフの族長、ドランが鎮座していた。
ドランは太い腕と胸板を持つ巨漢で、顔には無数の傷跡が刻まれ、その片目は潰れていた。
深く刻まれた皺と燃えるような赤い瞳は、彼がどれほどの修羅場を潜り抜けてきたかを物語っている。
彼の周囲には屈強なドワーフの戦士たちが控えており、その威圧感はラーン氏族長とは全く異なる種類のものだった。
バルドは族長の前で深く頭を下げた。
「何の用だ
その声は地響きがするように重い。
それでもバルドは
「ドラン様! このバルド、エルフのリーファとの婚姻の件で再びお許しを乞いに参りました!」
ドランの瞳が一瞬だけリーファに向けられ、即座に侮蔑の色を宿した。
「ほざけ。お前は俺らドワーフの誇りを捨てるつもりか? あの薄汚れた森の住人などと血を混ぜようとするとは。恥を知れ!」
ドランの声は絶対的な拒絶を含んでいた。
「し、しかし、ドラン様! 私たちは互いを心から愛し合っています! そして、エルフの氏族長ラーン様も、仮交際を許可してくださいました!」
「ラーンだと?」
ドランは葉巻に火をつけながら怠そうに返事をした。
「あの枯れた木の老人の戯言なんて俺らには何の価値もない。エルフの『仮交際』など所詮はごっこ遊びに過ぎねぇ。お前は俺らが築き上げてきた歴史と血に刻まれた教訓を忘れたのか……!」
ドランは立ち上がり、巨大な鉄槌を床に打ち鳴らした。
ゴォン……! と重い音が大広間に響き渡る。
「俺たちはエルフとの和平協定なんざ形だけのものだと知っている。奴らは狡猾で常に俺らを裏切ってきた。魔石戦争でどれほどの同胞が奴らの魔法で命を落としたか、忘れたのか!」
ドワーフたちの間から怒号と地響きのような唸り声が上がった。
ドランの言葉は彼らの心に深く刻まれた憎悪を呼び起こしたのだ。
リーファは恐怖に顔を青ざめバルドは悔しさに唇を噛みしめる。
ラーンの時のように愛を語るだけではこの鉄壁のような拒絶は崩せない。
その時ゼフィラがドランの目の前へと恐れを知らない足取りで進み出た。
「おいおい、こっちもクソジジイじゃねぇか!」
ゼフィラの声はドワーフたちの怒号にも負けないほど響き渡った。
ドランはその視線をゆっくりとゼフィラに向けた。
彼の赤い瞳には、怒りというよりも不快とわずかな侮蔑の色が宿っている。
「なんだこの女は。ドワーフの聖域でそのような粗野な口を叩くとは。すぐに出ていけ。でなければその首を叩き折ってやる」
「はっ、あたしの首を折るだと? そんなこと言ってる暇があったら、てめぇの腐った頭の中を叩き直せってんだ!」
ゼフィラは腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。
その態度にドワーフの戦士たちが一斉に武器を構え、彼女を取り囲んだ。
彼らの間に激しい殺気が立ち込める。
「お前の嫌いなエルフの長と同じ事言ってやがる! ばっかじゃねぇの!? 今と昔は違うだろ! 頭硬すぎるんだよ!」
ドランの顔が怒りで真っ赤に染まった。
彼が片手を振り上げると周囲の戦士たちが一斉にゼフィラに襲いかかった。
ドワーフの戦士はその見た目通りの猛攻で、剛腕から繰り出される拳や振り回される斧がゼフィラの四方八方から迫る。
しかし、ゼフィラは一切動じない。
彼女の周りには、目には見えないが精霊キューピットの力が無意識に発動し、ドワーフたちの殺意と憎悪を押し返すような温かくも強固な波動を放っていた。
彼らの拳や斧はゼフィラの寸前で威力が減衰し、それをゼフィラは軽々と避ける。
「てめぇらみてぇなチンケな暴力で、あたしが怯むとでも思ったか? 暴力でなんでも解決できると思うなよ!!」
ゼフィラはドワーフたちの攻撃をかわしながら、バルドとリーファの方を指差した。
「目の前のやつらを見ろ! エルフのクソジジイが攻撃してきた時、二人は命賭けて互いを庇い合ったんだ! それがてめぇらの言う『過去の憎しみ』より、どれだけ重いか分からねぇのか!?」
ドランはゼフィラの言葉に、ゆっくりと確実に表情を変えていった。
彼のかつて魔石戦争で失ったその瞳の奥底に未だ宿る「希望」の光を淡く宿した。
彼が最も重んじる「力」と「絆」が目の前で示されているのだ。
「過去に縋り付いて新しい芽を摘むのが、てめぇらの『伝統』か? そんなもんは、ただの腐った因習だ! 本当に部族を思うなら新しい『絆』がどれだけ大きな力になるか、てめぇの目で確かめてみろ!」
ゼフィラの言葉がドランの心の奥底に深く響いた。
彼の頑なな信念がかつてないほど揺さぶられている。
これが愛の精霊キューピットの加護の力。
ドランは襲いかかっていた戦士たちに静かに手を上げた。
戦士たちは即座に動きを止め、武器を下ろす。
「貴様は……何者だ? ……そのような言葉で、俺らの『鉄の掟』に正面から挑むとは……」
彼の言葉には不快や侮蔑ではなく、探るようなわずかな興味が混じっていた。
ドランは深く息を吐き出した。
彼の表情に諦めとも葛藤ともつかない複雑な色が見える。
「……バルド」
ドランはバルドに視線を向けた。
バルドは固唾を飲んで族長の次の言葉を待っている。
「このドワーフの『鉄の掟』を曲げることはできない。エルフとの婚姻は我ら部族の誇りに関わる」
バルドの表情から再び希望が消え去る。
リーファは絶望に顔を伏せた。
「だが、唯一この掟を覆す方法がある」
ドランの声にバルドはハッと顔を上げた。
「それは……力だ」
ドランはその巨躯に見合う巨大な鉄槌をゆっくりと肩に担いだ。
その鉄槌からは長年の使用で染み込んだ血の匂いと並々ならぬ圧が感じられる。
「この俺と決闘で勝負しろ。もしお前がこの俺に勝てばお前とエルフの婚姻を認める。たとえ、この俺が族長の座を追われることになろうとも、それがドワーフの『鉄の掟』だ」
ドランの言葉にバルドは凍り付いた。
ドワーフ族長ドランはドワーフ最強の戦士として知られている。
その圧倒的な力量はバルド自身が誰よりもよく知っていた。
そして何よりバルドはまだエルフの里での怪我が完治していない。
とてもドランに勝てるとは思えない。
「ド、ドラン様……それは……!」
バルドは震える声で何か言おうとするが、言葉にならない。
絶望が彼の心を支配した。
しかしその時、ゼフィラがバルドの前に立ち塞がった。
彼女はドランを真っ直ぐに睨みつけると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「決闘だぁ? 面白ぇじゃねぇか!!」
ゼフィラはドランに向かって堂々と言い放った。
「その決闘、あたしが受けてやる!」
ゼフィラの宣言にドランの赤い瞳が見開かれた。
バルドとリーファ、そしてフェリックスもまた驚愕に言葉を失っていた。
ドワーフの里に新たな嵐が吹き荒れようとしていた。
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