第10話 引き寄せる力




 ドワーフ最強の戦士、族長ドランが崩れ落ちた大広間は静寂に包まれていた。

 周囲のドワーフたちは信じられないものを見るかのように呆然と立ち尽くしている。


「ド、ドラン様……!」


 バルドが震える声で族長の名を呼んだ。

 リーファは心配そうにドランを見つめている。

 バルドに続き、重い沈黙を破ったのはフェリックスだった。


「すぐに医務室へ! 脳震盪のうしんとうです!」


 フェリックスの指示にようやく我に返ったドワーフの戦士たちがドランの巨体を抱え上げ、慌ただしく運び去っていく。

 その場にはただ茫然自失としたドワーフたちのざわめきだけが残された。


「頭だけは鍛えられねぇからな」


 ゼフィラは倒れ伏すドランを一瞥するとそう吐き捨てた。


 数分後、ゼフィラたちはドワーフの客間に通されドランが目を覚ますのを待たされることになった。

 重厚な石造りの部屋は外の喧騒が嘘のように静まり返っている。


 リーファはバルドの隣に座り、まだ興奮冷めやらぬ様子で不安げに俯いていた。

 バルドはドランの様子が気がかりなのか落ち着かない様子で立ち尽くしている。


 フェリックスはゼフィラと向かい合うように座り、静かに口を開いた。


「ゼフィラ、貴女の戦い方は私がこれまで見てきたどの戦士とも異なります。貴女は相手の攻撃を避け続け絶妙なタイミングで反撃を仕掛けました。まるで相手の動きが貴女にとって最大限有利になるように誘導されていたかのようでした」


 相変わらず突飛な話でゼフィラは怪訝な表情をする。


「あたしはただ喧嘩慣れしてるだけだ。相手の動きを読んで隙をつく。それだけだろうが」


 ゼフィラは腕を組んで不機嫌そうに答えた。


「確かに貴女の身体能力と経験は素晴らしい。しかし、それだけでは説明できない現象が起きていました。ドラン殿の放った猛攻はドワーフ最強の戦士たる彼のもので、本来であれば貴女の回避能力をもってしても一度や二度はまともに食らうはずだった」


 フェリックスは言葉を選びながら続けた。


「しかし貴女は全ての攻撃を回避しました。そして貴女の蹴りや拳はドラン殿の急所を的確に捉え続けました。まるでドラン殿自身が貴女の攻撃を受けるために、わずかに決定的な隙を晒していたかのようだ」

「だから、それが何だってんだよ」


 ゼフィラは苛立たしげに返した。

 自分の身体能力や経験以外の何かを指摘されるのが、どうにも気に食わないようだった。


「それは、貴女のキューピットの加護によるものだ」


 フェリックスはきっぱりと言い放った。


「キューピットの加護はただの愛の縁結びの力ではありません。それは人々や物事の『縁』を操作する力です。貴女の攻撃が最も効果的な場所へ『引き寄せられる』。ドラン殿の攻撃が君を外れるように『縁がずれる』。貴女の無意識の行動がその力を最大限に引き出しているのです」


 ゼフィラはフェリックスの言葉に言葉を失った。

 自分では理解できない「力」の話をされるたび、胸の中に割り切れない感情が渦巻く。


「……そんなこと、ねぇよ」


 ゼフィラは自分の暗い過去を思い出していた。

 血と暴力と裏切りに満ちた日々。

 そんな自分に都合のいい「愛の力」などあるはずがない。


「では、証明してみよう」


 フェリックスは手のひらに小さな小石を一つ乗せ、もう一方の拳をぎゅっと握りしめた。


「私のどちらかの手にこの小石が入っている。君は小石が入っている方の手を選んでくれ。単純なゲームだ」


 ゼフィラは訝しげにフェリックスを見つめた。こんな子供騙しのようなゲームで何が分かるというのか。

 フェリックスはゆっくりと両手を前に差し出した。


「さあ、選んでくれ」


 ゼフィラは直感で右の手を指差した。

 フェリックスは静かに右の手を開く。

 そこには、確かに小石があった。


「こんなの偶然だろ」


 フェリックスは再び小石をどちらかの手に握り、差し出した。

 ゼフィラは今度は迷わず左の手を指差した。

 フェリックスが左の手を開くとやはり小石があった。


「まぐれだ。もう一度だ」


 それを三度、四度と繰り返す。

 しかしゼフィラは全て、何の迷いもなく小石が入っている方の手を正確に選び続けた。


「……ん?」


 ゼフィラの顔に初めて明確な動揺が浮かんだ。

 偶然ではここまで当たるはずがない。

 自分の選択がまるで最初から「決まっている」かのように感じる。


「これが、貴女のキューピットの加護の力です。ゼフィラ」


 フェリックスは、静かに言った。


「貴女は無意識のうちに最も正しい『縁』を選び取っている。それが君の戦闘において、最高の回避と的確な攻撃を可能にしているのです」


 ゼフィラは自分の両手をじっと見つめた。

 まさか自分の力がそんな不可思議なものだったとは。

 しかし、頭では理解できても心はそれを拒絶する。


「……わかんねぇ」


 彼女の声は力なく視線はどこか遠くを見つめていた。

 自分の過去とフェリックスが語る「愛」の力があまりにもかけ離れすぎていて、受け入れられないのだ。


 その時……――――


 客間の扉がゆっくりと開いた。

 そこに立っていたのは包帯を巻かれて若干の疲弊が見えたが、その眼光は以前と変わらないドワーフの族長ドランだった。


「……待たせたな」


 ドランはわずかに顔をしかめながらも、ゼフィラたちの座るテーブルへと歩み寄った。

 彼の顔には、まだ痛みの色が残っている。


「なんだクソジジイ。もう起き上がれるのか。結構強めに蹴りを入れたんだがな」


 ゼフィラはいつもの調子でドランを煽った。

 ドランの顔が僅かにピクリと動く。


「……貴様の力は確かに規格外だ。この俺がまともに一撃を食らったのは、生涯で二度目だ」


 ドランは渋々といった様子で正直にそう告げた。

 彼の言葉にバルドが驚いたように息を呑む。

 ドランがそのような弱音を吐くなど考えられないことだった。


「貴様らの要求についてだが……」


 ドランはリーファとバルドに視線を向けた。

 その瞳には以前のような侮蔑の色はない。

 しかし簡単には譲れないというドワーフ族長の矜持きんじが宿っていた。


「……エルフの長と同じ見解で、仮交際であれば認める」


 その言葉にリーファとバルドは、再び驚きと希望に満ちた表情で互いを見つめ合った。

 ドランがここまでの譲歩をするとは誰も想像していなかったのだ。


 だが、ゼフィラはニヤリと口角を上げた。


「なんだよ、結局毛嫌いしてる奴と同じ意見かよ。つまんねぇジジイだな」


 ゼフィラの挑発にドランは再び怪訝な表情をした。

 フェリックスはまたしても騒動が起きかねないと静かに頭を抱えた。



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