第2話 “笑顔”の皮をかぶった怪物たち


「ここでは、皆“平等”に扱われます。安心して暮らしてくださいね」


そう言って、あの女は笑った。施設スタッフ・菊田カナ。その笑顔は、どこか貼り付けたようで、目が笑っていない。

初日、彼女の言葉にわたしは「良かった」と安堵しかけたけれど、その“笑顔”の裏には、沼のように深い気味の悪さがあった。


そして、問題の“村岡タカシ”。

住人たちは彼のことを陰で“監視屋”とか“地獄の帳簿係”と呼んでいた。小柄で、目が笑ってないどころか、常に他人の不正や隙を探しているような目つき。


わたしの夫に向かって突然キレたあの日から、わたしたちはその小さな独裁者の監視下に置かれることになる。


「荷物を40箱? 許可できないッッ!!」


叫んだ村岡の声が、共用キッチンの壁を震わせた。業者と話していた夫の電話の声に割り込むように怒鳴ったのだ。

その瞬間、空気が凍った。“彼の中で何かが壊れた”音がした。





夫の身体はおかしくなっていた。


左頬はまるでおたふく風邪のように腫れ、夜ごと咳き込み、目の焦点が合っていない。病院に行っても異常はない。

でも、わたしには分かっていた。“念”が入っている。


誰かの怒りか、呪詛か、憎悪か……とにかく、何かが夫の肉体に貼りついていた。


「……てめぇ、“離婚数秒前”ってわかってんのか!?」

ある夜、夫が荒れた。彼の中の“何か”が、わたしを責めるように言葉を投げてきた。


自由に金も使えない。呼び出されるたびに管理人の部屋に行かされる。アルコールも厳しく制限される。

これはただの“福祉”ではない、“監禁と監視”の装置だ、と気づき始めていた。





他の住人も変だった。


髪の脂にまみれ、焦点の定まらない目で天井を見つめる少女。

夜中、廊下で意味不明の言葉をわめく女性。

パンツを干していたら、「盗られるよ」と笑いながら話しかけてくる初老の男。



彼らの言動は、もう“日常”ではなかった。


「ここでは“自由”があります」と言っていた菊田。

でも実際は、女性用生理用品の申請すら“チェックされる”。羞恥心も、尊厳も、ここでは全て提出物に変わる。





わたしはうすうす感づいていた。

この建物自体が、ひとつの“生け贄箱”であることを。

誰かの呪い、誰かの欲、誰かの搾取の舞台。

管理人・村岡の「お気に入り」となった者は呼び出され、二人きりで話をする。


それがどういうことを意味するのか、想像しただけで寒気がした。



しかもその“誤解”で、わたしは別の女性から嫉妬を買っていた。

睨まれる。冷たい視線。

まるでこの空間全体が“疑心と妬み”で満ちている。





これは、“地獄”の名前をした福祉だった。


そしてわたしは、ある夜、夢の中で“あの音”を聞いた。

誰かの呻き声。金属が軋む音。

そして、低く囁くような声がこう言った。



「見てるよ……全部、見てるから……」



それが“誰”の声だったか、わたしはまだ言えない。

でも、それがこの“絶望の住民票”の真実へと繋がる第一歩だった。





つづく







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