第22話 春の夜の 闇はあやなし 4月23日

 二十三日の日曜日。


 夏帆がバレーシューズを買うのに付き合って欲しいという誘いを受け、駅前のスポーツ用品店へ一緒に行く約束になっていた。

 あと一週間を切った大会後は当面出番もないだろう。それなら学校の上履きシューズでもいいのにと私は思うけど、形にこだわるタイプらしい。


 十三時に中央駅で待ち合わせ。


 流石に休日の真っ昼間ということもあって、肩を縮めないと通行人にぶつかりそうになるくらいに人の往来が激しい。

 先に付いたことをメッセージで送って、壁に背を預けるようにして夏帆を待つ。先にあるロータリーではバスがひっきりなしに出入りし、その度に大勢の人々が乗り降りしている。雪乃が乗っていたらまた文句を言いそうだ。


 時間ギリギリになって、人の波の中から夏帆が小走りでやってきた。

「ごめん、セーフ?」

「大丈夫。おお……」


 申し訳なさそうに後ろ頭を掻く夏帆は、薄手の白いパーカーの上からデニム生地のショートジャケット、下は黒のチノパンといった出で立ち。


「なんだよ?」

「や、服が夏帆っぽい。カッコ可愛いなって」


 高校でできた友だちと休日に遊ぶのは初めてだ。

 私服姿も当然初めて見るので新鮮だけど、イメージ通りで安心感がある。ボーイッシュなコンセプトが良く似合っていた。


「サンキュ。深月もいいじゃん。シンプルに可愛い。深月っぽい」

「ありがと」


 互いに語彙力に欠けた誉め合いだけど、これくらいが気兼ね無くて素直に嬉しい。

 カーキのワイドパンツに、白Tシャツの上から薄手のロングカーディガン。

 四月も下旬に差し掛かったのに、今日のような薄曇りではまだ肌寒くて何を着るか迷う。

 一級河川の河口付近に建てられた駅前の街並み。風はまだまだ冷涼さを孕むのだ。


 いつもどこで服や化粧品を買っているかなんて話しながらスポーツ用品店へ向かう。互いに同じプチプラ店を利用していることが発覚してちょっと盛り上がった。

 自分でも無駄遣いする方じゃないとは思っているけど、お財布事情は油断するとあっという間に切迫する。安くて高品質がいい。店選びも大変だ。


「さて、どれがいい?」

「んー、私もそんなに詳しい訳じゃないんだけど……」


 化粧品にかける情熱と反比例するように、シューズ選びはあっさりと済んだ。

 無難に大手メーカーの物を勧めておいた。メーカーごとのクッション性や耐屈曲性の差異を説明できるほど、私も精通している訳ではない。我ながら役に立たない付添人である。


 サイズ感だけ確かめた夏帆がレジに向かう間、店内を軽く物色。

 スポーツ店独特の匂いは結構好きだ。ゴムと革によるものなのかな。匂いを堪能しつつ、私も軽い買い物を済ませて店を出た。

 僅か三十分弱の滞在期間。


「もうちょい付き合ってくれよ深月さんや」

「もち」


 駅まで来てこれで解散するのは流石に惜しく、皆大好きな赤と黄色のハンバーガー店で適当に時間を潰すことにした。


 お昼のピーク時間は過ぎていても大混雑の様相。2階席の隅の方に二人掛けの小テーブル席が丁度空いていて、滑り込む様に席を埋める。

 私が席番をして、夏帆がオーダーを取りに行ってくれた。


 座して待つ。店内を一瞥すれば、ママ友軍団とその子どもたち、私たちと同じ学生同士、はたまた男性の一人客まで、多種多様な客層でごった返している。

 母親に連れられた小学校低学年と思しき少年が嬉しそうにハンバーガーを頬張るのを見て、釣られて口元が緩くなる。


 小さい頃、たまに母親に連れてきて貰うときは私もあんな風だった。ジャンクな味が美味しいとかおまけのおもちゃが可愛かったとか、そんなのもあるけれど。

 多分、外食という普段と異なる行為そのものに高揚していたのだろう。

 色々と冷めてしまった今とは大違いだ。私も歳を取ったなんて、生意気にもしみじみとしてみた。


「お待たせ」

「ありがと」


 二つ重ねたトレイの上に、二人分のポテトとドリンクを乗せた夏帆が程なくして戻ってきた。互いに昼食は軽く済ませてきたから、注文は控えめにしておいた。

 早速夏帆がポテトに手を付ける。何本かを指で突いてから一本取り出した。


「カリカリしてる方が好き」

「そんな気がした」

「深月は?」

「しんなり派」

 少数派らしいけど。

「あなたとはやっていけないわ!」

「待て夏帆。話せばわかる」


 などと冗談を交わし、その後は他愛のない話をしながらポテトをもしゃもしゃした。久しぶりに食べると美味しい。油と塩気が利いた罪の味。

 口内を洗い流すようにオレンジジュースをストローで吸う。氷が多くて薄い。甘味が先行して、オレンジの印象は浅い。


「で、例の先輩とは上手くいってんの?」

 おもむろにそんなことを聞かれるものだから、思わずジュースを噎せそうになった。

 慌てて飲み込んで何とか事なきを得る。


「上手くも何も……普通だよ」

 両親から学校はどう?と聞かれた時のような返答になる。実際には起伏に富んだそれを言葉にするのが億劫なのと気恥ずかしいのとで、平坦を装うあの感じ。


「へー……。へぇぇ……」

 濁した私をニヤニヤと眺めている。な、なんだこいつ。

「何でそんなこと聞くのさ」

「だって、結局毎日二人で放課後過ごしてんでしょ?そりゃ怪しさ満点よ」


 尖ったポテトを摘まんで、ずびしと指してくる。

 しなびたポテトを緩く左右に振って否定を示した。


「そんなんじゃないから。断じて」

 そうは言いつつ、ここ数日の出来事を思い返すとそれなりに怪しい。密室で頬を触られたり、寄り添い合って転寝したり、抱きしめられたり。冷静に振り返るといよいよヤバい部活である。


 身体の芯から、燻っていたものが思い出と共に再燃していきそうだった。

 赤面してしまったら肯定と同じだ。動揺を隠しきれるだろうかという心配も杞憂に終わる。


 そして短い回想は金曜日の別れ際に着地して、胃の辺りがずんと重くなる。

 喧嘩にも至らないような摩擦。しかし収まりの悪いズレが確かに私と先輩の間に生じて、未解決のまま明日に持ち越さなければならない。


「適当に練習してるだけだから」

 どこか棘があるような口は、自分に言い聞かせるようだった。

 ただ練習に付き合わされてるだけの関係性。何も気負う必要はない。


「へー、意外」

「意外?」

 うん、と頷いて夏帆が続ける。

「だって深月、部室に向かうとき楽しそうだったし」


 それなりに衝撃的だった。


 思考に脳のリソースが割かれて、ポテトを口に放っても油分も塩気も判別できない。

 子どもたちがはしゃぐ甲高い声もどこか遠く感じる。

 楽しそうにしていた、誰が?私が。客観的にみてそう思われるほどに。


「楽しそうって……私、笑いでもしてた?」

「いや、そんなんじゃないけど。なんていうか……そうだな」


 夏帆は腕組をして、難しい顔をしている。分かりやすく考え事をしている姿は微笑ましいけど、当事者としては気が急く。

 自分でも表現できない、時には眠れなくなるまで考えてしまう先輩への想い。その片鱗が得られそうで。


「わっかんね」

 おい。

 強張った肩からがっくりと力が抜ける。首が揺れて筋でも違えてしまいそうだった。


「説明むずいんだって。とりあえずそんな雰囲気がしたってこと。目が輝いてる的な?深月は基本淡々としてるから珍しいなと思ってた」


 説明を諦めた夏帆が抽象的に話を終わらせた。

 まぁ仔細はこの際仕方ないとして、とにかく傍目には前のめりに部活に向かっているように見えたようだ。


「それより夏帆は本当にいいの?ソフト部に入らなくて」

 さっきとは別の羞恥に苛まれそうで話題を逸らす。

 急に矛先を向けられた友人は「ほ?」と、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。使い古された慣用句の割に実物は見たことないけど。多分こんな感じ。


「まだ四月だし、今からでも転部全然間に合うと思うけど」

 体育の授業でも、夏帆の運動神経は目を見張るものがある。


「あー、いいのいいの。うちのソフト部結構練習キツイらしいし」

「夏帆は勉強優先なんだっけ?」


 仮入部初日、先輩に話していた入部の動機を記憶から引っ張り出す。

 学力的にかなり無理して入学したから、勉強に時間を費やさないといけないとか。


「そーそー。あたし馬鹿だからさ」

 軽い口調の卑下に「そんなことないと思うけど」と返す。

 夏帆は「いやいや、ほんとにさ」と、尚も自虐的。こういうのは水掛け論になりやすいからこれ以上変にフォローするのは止めるとして。


「でも、何でウチを受験したの?」

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