第4話 君が為 春の野に出でて④ 4月10日~12日
「待って」
短く発した私に、先輩が止まる。
目を右往左往させるのを止めて真っ向から見つめ合う。そんなに聞きたいのなら。
「入部して欲しくないなら、普通に言ってください」
狭まった声帯から絞り出した言葉は震えていた。隣から上がる「え、そうなんすか?」という素っ頓狂な声は一旦無視して。
「素直に言って貰えれば、違う部活に行きます。部員同士で嫌な思いまでして入りたいとは思わない……ので」
さっきから口を開けば私たちの意欲を削ぐようなことばかり。恐らく遅れてきたのもわざと。新入部員を拒んでいるという憶測は確信へと変遷しつつあった。
それなのにあくまで新入生側から去らせるようなやり方はあまり好きじゃない。
とはいえやっぱり上級生の、それも出会ったばかりの人に面と向かって伝えるのは怖い。
反抗心と後悔とが天秤に掛けられ、ぐらぐらと左右に振れる。
語尾の辺りは自分でも分かる程にごにょごにょしていた。多分顔も強張っている。
そんな私の言葉を、表情を、態度を受けて先輩は。
「そっか。ごめんね、誤解させてしまったかな」
にこりと相好が崩れる。氷が急速に溶けるようだった。
「別に君たちが入るのが嫌な訳じゃない。ただ本当にどうしようもない部でね。後悔して欲しくない。それだけだよ」
嘘か誠か。淀みなく、真意の読み取れない口調で説明しながら右手を私に伸ばす。
「という訳で二人とも、入部するならよろしく。特に集まりとかないし、練習の日程は君たちが本入部したら知らせに行くよ」
ぽん、と軽く私の肩を叩いて話がまとまった。
安堵が身体中を駆け巡り、強張りが今度こそ完全に解けていく。張り詰めていたものが弛んだ瞬間に、自分の掌の痛みに気付いた。爪が食い込むくらいに緊張していたらしい。
なけなしの勇気をこんなところで消費してしまった。
かくして一瞬訪れた不穏な空気も無事静まり、解散の流れとなる。なるはずなのだった。
「……あの」
左肩から先輩の右手が離れない。身を軽く捩ってみたらギリギリと食い込んできた。忖度のない力の入りようで、意図が分からず惑う。普通に痛い。
「君は残って」
全身に悪寒が走る。何がごめんね、誤解させてしまったかな、だ。めっちゃ根に持ってるじゃないか。
縋るように横を……二回目。 今度ばかりは心配そうに踏みとどまる木下さんがいた。
「ええと、あれなら私も一緒に聞いた方がいいっすか?」
「大丈夫。話があるのは西藤さんにだけだから」
「っす」
申し訳程度の奮闘が幕を下ろす。役目は果たしたとばかりに、木下さんは顎を下げるような軽い会釈を残して足早に行ってしまった。
いやもうちょい粘ってくれよう、と切に願う。しかし去り際に先輩の背後で両手を合わせ、沈黙の謝罪を私に送ってきた姿を見るに、いい人ではあるんだろう。
実際私が彼女の立場でも同じような対応しかできないかもしれない。
「君さ」
短い呼び声。眼前の相手に注意が引き戻される。
「は、はい?」
声は頬の内側に留まったまま。先刻から言動が読めなさ過ぎて、どう答えていいのかも分からない。
身が竦むとはこういう状態なのだと身をもって知る。この短時間で緊張と緩和を何度繰り返せばいいのだろう。
報復に叩かれでもするのだろうか。いざとなれば振りほどいて逃げようと、固まる腕に力を込める。
「——私と一緒に練習しない?二人で」
先輩が何を言っているのか、面白いくらいに頭に入ってこなかった。。
過程をすっ飛ばした提案は私の予想していた展開を易々と超えていて。耳から脳に到達するまでに数拍。
「……は?」
到達したとて、理解には到底及ばなかった。呆けた様に開いた口を閉じるのも忘れて立ち尽くす。
「放課後にさ。バレー部らしくパス練習なんてどうかなと思って」
練習、私と、先輩が、二人で。 この流れで?
バレー部らしくも何も、さっきまでの説明と百八十度方向が異なるじゃないか。
「四月末の地区大会。それまでの間だけで構わない」
慌てた様に緩めの条件を付け加えてくる。
三週間ほどという超短期の練習期間。それはまぁ、負担は少ないかもしれないけれど、何の意味がある?
二人きりで出来る練習なんてたかが知れている。
意義を問おうにも、先輩の表情は真剣そのもので。先ほどまでの重苦しく冷たい眼差しとは異なり、切望が込められている気がした。
「……ダメ、かな?」
消え入りそうな声。
神経は先輩に注がれていて、運動部の掛け声が、校舎から漏れる吹奏楽部の演奏が遠くなっていく。ぐるぐると渦巻く思考に意識が呑み込まれて、ようやく抜け出して。
「……なんで?」
もっともな疑問を呈することしか出来ないのだった。
しかし特に事情は話してくれなくて。
そして断りきれずに「大会までなら……」と受け入れた私が居て、昨日から練習に付き合い続けて今日……四月の十二日に至る。
母親に、「あんたは冷めているようで情に流されやすい」と評されたことがある。
中学の部活加入時も似たようなものだった。
私としては冷めているつもりも情け深いつもりもないのだけど。
母に見せる顔も、友達に見せる顔も、先輩に見せる顔もそれぞれ違う。でもどれも本当の私だ。自分の性格って、時に他人のものより難しい。
「明日は流石に違う靴履いてきますね」
「ん?」
「ローファー、流石に動きづらいんで」
私が足元を指さして、先輩が目で追う。納得したのか、「そうだね」と短く相槌を打つ。
そもそも何故外で練習をしているのか。満足に活動していないが故に当然体育館の使用権が認められていないらしい。練習初日……昨日それを聞かされた時は心底驚いた。ていうか、月曜日に教えて欲しかった。
抗議の念を込めてローファーを履いたまま、足を地面に左右へ擦らせてみる。じゃりじゃりと立てる音と、私の不可解な行動を見て、先輩は何を言うだろう。
「ローファーってさ」
「はい?」
「英語で【怠け者】が名前の由来らしいね。ほら、紐結ばなくていいから」
それは遠まわしな嫌味だろうか。そりゃ、活動が少ないのを餌に女子バレー部に来た私だけれども。いずれにしても、遠まわしな抗議は全く届く気配がない。
「へぇ、そうですか」
そして明日は靴を替える宣言をしたことで、明日も練習にいくことが確定したことに気付く。怠け者でもあるし、愚か者でもあるのだろう。うるせー。
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