第3話 君が為 春の野に出でて③ 4月10日
仮入部期間はその翌週、四月十日の月曜日から始まった。
一週間の期間を経て、来週からは本入部となる。
生徒玄関に貼られていた女子バレー部のポスターによると集合場所は体育館ではなく、校舎の側面とグラウンドの間に建てられた運動部用の部室棟……の脇。
「なぜ外」
生徒玄関から右に出て、ぐるりと校舎を回るように石畳を進む。
グラウンドへの入り口、水飲み場を横手に通り過ぎる。
匂い立つ程に草木が生い茂る植え込みと、続いて色鮮やかな花々が植えられた花壇をも通過した先にある、横長二階建てのプレハブ建築が二棟。これが部室棟だ。
手前が男子用で、奥が女子用。
「おお……?」
一件綺麗な白塗りに見えて漏らした感嘆が、疑問形へと変遷する。
トタンの屋根や鉄製の階段、手すりといった細部はしっかり錆びついて年季を感じさせた。つまりそれなりにボロい。
裏手は緑のフェンスが張られていて、改装中のテニスコートとグラウンドが広がり、既に屋外競技の部員達が整備を始めていた。
指定された女子部室棟の奥にまで移動すれば、既に数名の女子生徒がいた。所在なさげにしていることから、全員一年生だろう。
最終的に私を含む七名が集まり、ぎこちなく自己紹介を交わす。バレー経験者は私含む三人。
「女バレ緩そうだよねー」とか「実はブラックだったりして」とか「先輩超きれいじゃなかった?」などと会話を交わすもそんなに盛り上がることも無く、次第に黙りがちになる。人生経験の足りなさをこういう時に痛感する。
ていうか、会話が尽きてしまう位に先輩が誰も来ない。
「集合ここだったよね?」
「誰か先輩に知り合いいる?」
「私はいないわー」
「ウチも」
「私も」
不安に顔を見合わせても事態は動かず、経過すること三十分。
「他の部活観に行くわ」と、二人が連れ立って去っていった。
変化が生じたのは「体育館に行けば誰かいるかな」なんて、残された五人で話している時だった。
先輩が花壇の角から姿を現す。
ついさっき話題にも上がった、綺麗な先輩。
天から糸で吊るされているかの如く姿勢を乱さずに歩んでくる。感銘さえ受ける整った歩き方。花壇に咲くラベンダーを始めとした花々が風に煽られ首を垂れる。彼女を出迎えているようにさえ思えた。
そんな美人は待機している私たちを見て足を速めることも無く。
「こんにちは」と、のんびりと悪びれる様子もなく挨拶をされれば虚を衝かれ、私たちも一様に頭を下げて挨拶を返す。
先輩はただにこにこしていた。
友好の精神を表さない、空虚な笑み。
人当たりがよさそうな印象を取りあえず顔に貼り付けたような。そしてそれ以上口を開く気配がまるでない。
「……え、あの、バレー部ここに集合でいいんですよね」
一人がおずおずと尋ねる。何故こちら側から切り出さねばならないのか。
「そうだね……何から話そうかな」
左手で右肘を掴み、右人差し指は口に当てて、いかにも考えるような素振り。じろりと、五人を見渡すように瞳を巡らせて。
「とりあえず、ほんの少しでもちゃんとバレーをしたい子は、帰った方がいいよ」
あっさりと告げられる冷ややかな言葉に、空気が凍てついた。
ただ一人、先輩だけが変わらずに緩やかな雰囲気を纏い続ける。それがまた一層、発言内容との寒暖差を生んで気持ちが悪い。
「多分、真っ当な青春はここにないだろうから」
「それは、どういう」
抽象的ながらに厭世的な宣告に、誰かが疑問をぶつけた。
「年に二回大会にでること、団体戦に出場可能な人数を二年連続で下回らないこと」
質問した子の方に見向くこともせず、先輩は短く言い切る。何のことか分からず、私たちはただポカンとすることしかできない。
そしてひと息つき、用意していたかのように淡々と説明を並べていく。
「これが我が校の部活動存続における規定。最低限の活動実績だけあれば十分だから、年に二回だけ大会に出場して、練習は大会直前の四日間だけ」
つまりそれ以外は休み。
部活動紹介の内容を思い出す。練習は週四日以内。物は言いようというか、なんというか。
「まぁ実質帰宅部だから、ウチは……だから、ちゃんと部活がしたい子はやめたほうがいい」
その事実を聞いて、バレー経験者の二人が去っていった。
残ったのは私と未経験者二人。恐らくは、私含む元々やる気の無い生徒たち。ほぼ帰宅部ならそれはそれで悪くない。むしろ願ったり叶ったりじゃないか。
そんな残りの面々を前にして、先輩の口が意地悪気に歪む。
「ちなみに、上級生の中に試合に出たい生徒は誰もいない……からね。一年生には優先的に試合に出て、存分に恥をかいて貰うよ」
途中言葉に詰まったように聞こえたのは気のせいだろうか。何にせよ、ただ楽をさせるつもりは毛頭ないらしい。
見透かされたとばかりに、「うげ」と声を漏らす子が一人。 「えーと、私も失礼します」と、そそくさとその場を去っていく。
これで残るは私ともう一人……見覚えのある顔だった。
同じクラスの近藤さん?だったっけ。ツーブロック入りのショートヘアが似合う、快活そうな子。私よりも少し背が高い。
「さて、君たち二人は残るということでいいのかな?」
私は一拍置いて頷き、近藤さんは腕を組んで目を瞑り、分かりやすく葛藤した後に頷いた。
「それでは改めて、私は部長の明智です。宜しく。君たちは?」
簡潔すぎる自己紹介を終えた先輩の目線が、先に近藤さんの方を射抜いたので自然と順番を譲る。
「あー……木下夏帆(きのしたかほ)っす。中学ではソフト部でした。んー……」
苗字全然違った。近藤さん改め木下さんは煮え切らない態度で頭を掻く。言われてみればガシガシと指で梳かれている髪色は元ソフト部らしく日に焼けていた。
「運動部で、ここ以上に緩いとこあります?」
「ないね。流石に」
「……っすよねー」
ダメ元の質問がばっさりと切り捨てられて、深々と嘆息。
「もし出ていくタイミングを見失ったのなら、今出て行ってもいいよ。ソフト部だってあるし、楽な文化部ならいくつもある。ここよりは活動することにはなると思うけど」
そんな木下さんに対し、饒舌に他の部を勧め始めた。
「あー、いや、ソフトにもちょっと未練はあるし、大会で恥かくのも嫌っすけど……」
深く俯いて躊躇った後に、意を決したように顔が上がる。
「あたし、だいぶ背伸びしてこの高校に入ったんで、勉強しないとやばいんすよ。それに文化部って柄でもないし、正直練習がほぼ無いならむしろありがたいし……遊ぶ時間もちょっと欲しいし!文化部には向いてないし!まぁサクッと負ければいいし!つーわけで決めた!入部します!」
一度決めてしまえば吹っ切れたようで、どんどん語勢が強まっていく。
内容がだいぶ後ろ向きなのはともかくとして、最終的にはとても晴れ晴れと目を輝かせていた。先輩は首を縦に振って短い承諾を終え、私に目線を流す。
「私は、西藤深月(さいとうみづき)……です。中学でもバレー部でした」
無言の催促に対して覇気なく答える。木下さん程の葛藤がある訳でもなく。
若干灰色がかった瞳がまじまじと私を捉えてくる。落ち着かなくて後ろ髪を指で弄ぶ。
入学前に美容室で整えて貰ったミディアムボブは、早くも肩の辺りで跳ね始めていた。 可愛い、似合っているとクラスの子たちは言ってくれるけど、セットにはそれなりの時間を要する。
「さっきも言ったけどまともにバレーは出来ないし、一回戦敗退は免れないけどいいの?」
念を押すように尋ねてきても、特に私の心は揺らがない。
「別に。元々そんなにやる気もないので」
私は自分の才能に見切りをつけている。
バレー自体は好きだ。中学時代にそれなりに熱量は注いだし、そこに後悔もない。
しかし三年間を通して、一度も表彰台に立つことは無かった。
というより、これまでの人生の中で高い評価をされたことは殆どない。
何でもある程度器用にこなせる自負はあるけれど、最大値には自信がない。努力を重ねてみてもどこかで頭打ちになってしまう。これは生まれ持ったものでどうにもならない。
「そもそも、才能もありませんし」
伸び代があって、かつ限界を超える為に血の滲むような努力が出来る人たちの為に表彰がある。
最後の大会で負けた時もそうした観念が脳内を占めて、涙は一滴たりとも零れなかった。
かといって努力をする側の人間になりたいわけでも無く、適度に勉強して安定した人生を歩みたいというのが信条だった。いうなれば冷めたガキで、多分大人ウケは悪いのだろう。
「そうか。じゃぁ打ってつけかもしれないね……ただ」
まだ忠告があるのかと、流石にげんなりしてきた。幾重にも張り巡らされる予防線は、何のためにあるのだろう。
「経験者なら分かると思うけど、点をいたずらに取られ続けるあの居たたまれない空気。あれを味わうことになるけど、それも大丈夫?」
「構いません」
聞いていれば同じことばかり。意思は変わらないとばかりに即答した。
僅かに先輩の目が丸くなる。
「ちゃんと練習した相手に勝てないのは当たり前で、恥ずかしい思い位しないと失礼ですから」
曲がりなりにも三年間、汗を流しながら私なりにバレーボールと向き合ってきた。
当時の私が、何の練習もせずボケボケとした相手チームと対戦することになったらどう思うかを考える。ラッキーだとは思うだろうけれど、仮に相手が悔しがったり、恥ずかしがったりする素振りを見せようものなら心の中で侮蔑はする筈。
相応の努力を重ねた相手に、苦労の一つもしないまま相対するからには、醜態を晒す位は当然の報い。
そうでなければ釣り合いが取れないという、自分の中の正義感みたいなものがある。
「ていうか……」
話す内に勢いづきそうになるところを、ブレザーの裾を強く握って自制する。
今、私は余計なことを口走りかけていた。
二人は黙って私の言葉を待っていて、気まずさで額に汗が滲むのを感じる。
「あー……何でもないです」
誤魔化すように笑ってやり過ごそうと試みる。この緩い部活は私にとって好条件。入部を望むのなら特に波を立てる必要はないのだから。
「何?言ってごらん」
そんな試みがばっさりと切り捨てられる。
先輩の顔からは、軽薄な笑みが消え去っていた。
催促は剣呑としていて、先ほどとはまるで様相の異なる硬質さを前に私の作り笑いも引いていく。
先輩の足が一歩踏み出されて、私に近づく。ふわりと花のような香りが鼻腔を擽る。 拳三つ分の距離。近い。そして、怖い。
能面のように喜怒哀楽が欠落した先輩の顔。その瞳に、固まる私が映る。
薄い灰色の虹彩。吸い込まれてしまいそうだと、場にそぐわない情感を抱いた。
「怒らないから」
口を殆ど動かさないまま淡々と。もう怒ってないですか?などとは口が裂けても言えない雰囲気。
そんなにも目くじらを立てるような出来事だろうか。
「ちょっ......」
思わずあとずさるも、すぐにフェンスに背がぶつかって逃げ場を失う。
縋るように横を見れば、露骨に顔を背ける木下さんがいた。お、おのれ。
「さあ、早く」
蛇に睨まれた蛙のように硬直して、息を吸っているのに酸素が行き届かない。
心構えもないままに上級生から凄まれる経験などそうあるはずもなく、完全に臆していた。事態を収めるべく謝罪を捻りだそうとする。
「えっと......その、」
焦燥で舌が回らない。某小さくて可愛いキャラクターのような反応に留まってしまう。
狼狽するしかない私に、先輩が心底つまらなそうに薄く息を吐く。早く何かを言わなければと、焦燥がちりちりと脳を焦がす。
でも焦れば焦る程何に対して謝ればいいのかも分からなくなって、ついには思考が途絶えた。真っ白になって、立ち尽くす。
「すみ、ません」
ようやく普遍的な謝罪を捻り出した私と、興味を失ったように一歩下がる先輩と。
「……そう、じゃあもういいや。練習の日程だけど――」
距離が開いた分だけ、金縛りめいた物が解けていく。
止まっていた呼吸が戻り、酸素が枯渇した脳を潤わせた。
それでも緊張と萎縮で早まる鼓動だけはしっかりと残っていて、ドクドクと、エンジンが掛かるように違う感情を生み出していくようだった。
なぜ私が謝らなくてはならないのか。その上一方的に呆れられなければならないのかという、苛立ち。
たかだか何かを言いかけて止めたくらいで。理不尽だ。
「待って」
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